セントマーク教会の塔を下から見上げたところ |
サー・アーサー・コナン・ドイル作「ボヘミアの醜聞(A Scandal in Bohemia)」によると、ボヘミア国王(King of Bohemia)がシャーロック・ホームズが住むベーカー街221Bを訪ねた翌日(=1888年3月21日)、ボヘミア国王の元愛人であるアイリーン・アドラー(Irene Adler)は、エッジウェアロード(Edgware Road)にあるセントモニカ協会(Church of St. Monica)で、テンプル(Temple)に事務所を持つ弁護士のゴドフリー・ノートン(Godfrey Norton)と秘密裡に結婚式を挙げる。変装をしたホームズは、アイリーン・アドラーの自宅があるセントジョンズウッド(St. John's Wood)から教会まで彼女を追跡して、彼女の結婚式の立会人を務めるのである。
コナン・ドイルの原作では、エッジウェアロードは 'Edgeware Road' と表記されているが、現在の住所表記では、'Edgware Road' となっていて、「g」と「w」の間の「e」が抜けている。エッジウェアロードは、ハイドパーク(Hyde Park)の北東角にあるマーブルアーチ(Marble Arch)から北西に延びる道路で、セントジョンズウッドの西側にあるメイダヴェール(Maida Vale)まで続いている。現在、エッジウェアロードの両側には、中東のレストラン、カフェや店舗等が一杯並んでおり、ロンドン市内でも独特の雰囲気がある通りとなっている。
現時点では、エッジウェアロード沿いには、教会は一つしか存在していない。地下鉄エッジウェアロード駅(Edgware Road Tube Station)の近辺で、エッジウェアロードからオールドマリルボーンロード(Old Marylebone Road)へ50m程横にそれたところに、セントマーク教会(Church of St. Mark)がある。マーブルアーチから北西に延びるエッジウェアロードのちょうど中間辺りである。物語中では架空の名前に変更されてはいるものの、今のところ、このセントマーク教会が、アイリーン・アドラーがゴドフリー・ノートンと結婚式を挙げた教会の候補地と言える。
なお、「ボヘミアの醜聞」には、もう一つ矛盾点がある。アイリーン・アドラーとゴドフリー・ノートンは、午前中に急いで結婚式を行ったが、英国では、1886年5月に法律が改正されて、結婚式は午後3時まで挙げられるように、時間が延長された。そうであれば、アイリーン・アドラー達は、セントジョンズウッドからエッジウェアロードのセントモニカ教会まで、それ程急いで行く必要はなかったのではないか?そして、結婚する相手のゴドフリー・ノートンは弁護士であり、専門分野は異なるのかもしれないが、直近の法律改正を認識していてもおかしくないのでは、と思われる。それに加えて、ホームズ一人が結婚式の立会人を務めているが、英国の法律では、結婚式の立会人は最低二人必要であるので、厳密には、アイリーン・アドラー達の結婚は法律上成立していないことになる。
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