2020年6月28日日曜日

ジョン・ロウランド作「ケント州の災難」(Calamity in Kent by John Rowland)

大英図書館(British Library)が発行する
British Library Crime Classics の一つに加えられている
ジョン・ロウランド作「ケント州の災難」の表紙

「ケント州の災難(Calamity in Kent)」は、英国の推理作家であるジョン・ハーバート・シェリー・ロウランド(John Herbert Shelley Rowland:1907年ー1984年)が1950年に発表した推理小説で、スコットランドヤードのシェリー警部(Inspector Shelley)を主人公とするシリーズの第16作目に該る。

ジェイムズ・ロンドン(James London)は、ロンドンのフリートストリート(Fleet Street)で新聞記者として活躍していたが、病で入院。退院後、新聞記者を辞め、療養を兼ねて、イングランド南東部のケント州(Kent)内のブロードゲート(Broadgate)という海浜保養地へと来ていた。

6月のある朝、朝食前の日課である散歩のため、ジェイムズが海浜の方へ出かけると、赤髪で分厚い眼鏡をした男性が酔ったようにふらふらと歩いているところに遭遇する。片方の足を引きずるようにしているので、足が少し不自由と思われた。
異変を感じたジェイムズがその男性に近寄って事情を尋ねると、アロイシアス・ベンダー(Aloysius Bender)と名乗った彼は、ブロードゲートリフト(Broadgate Lift)という断崖の上から海浜へと降りるケーブルカーを運用する業務を務めていると話した。彼によると、「昨晩、帰宅する際に、間違いなく、ケーブルカーの扉に施錠した筈なのにもかかわらず、今朝、出て来たところ、施錠したケーブルカーの中で、人が死んでいる。」と言う。

ジェイムズが、アロイシアスを伴って、ケーブルカーのところへ行ってみると、確かに、施錠されたケーブルカーの中で、男性がナイフで背中を刺されて、うつ伏せに倒れていた。ジェイムズがアロイシアスにケーブルカーの扉の鍵を開けてもらい、男性を調べてみると、残念ながら、既に死亡していた。ジェイムズが男性の死体を仰向けにしてみたが、アロイシアスは「今までにみたことがない人だ。」と告げる。
アロイシアスの説明では、「ケーブルカーの扉の鍵は、2つしかなく、一つは自分が常に身につけていて、昨晩は自宅へ持ち帰っており、もう一つは役所にて保管されているので、施錠したケーブルカー内へ入れるはずがない。」とのことだった。彼が言うことが正しければ、正に「密室」状態であった。

ジェイムズは、自分が現場にとどまることにし、アロイシアスに対して、警察を連れてくるように頼んだ。アロイシアスが警察へと向かい、現場に残されたジェイムズが、男性のポケットを探ってみると、財布が入っており、財布内に入っていた紙によると、

(1)男性の名前は、ジョン・ティルスリー(John Tilsley)
(2)現在、男性はブロードゲートのチャリントンホテル(Charrington Hotel)に滞在中
(3)男性の住まいは、ロンドン南西5区のサッカレイコート25番地(25 Thackeray Court)

等が判った。

ジェイムズが警察の到着を今か今かと待っていると、怪しげな男性が姿を現して、ケーブルカーの中の様子を知りたげにする。その男性は、医師のサイラス・ワットフォード(Cyrus Watford)と名乗り、ケーブルカー内で殺されているジョン・ティルスリーのことをよく知っているようで、彼のことを悪党だと告げる。ところが、アロイシアスに連れられて、警察が現場に到着すると、何故か、その男性は慌てて現場を立ち去ってしまった。

現場に到着した警察の中には、地元警察のビーチ警部(Inspector Beech)が居たが、ジェイムズが非常に驚いたことに、彼の友人で、スコットランドヤードのシェリー警部も同行していたのであった。シェリー警部は、休暇のため、ブロードゲートに来ていて、偶然、同行することになったのだ。

シェリー警部からの非公式な要請を受けて、警察では捜査が困難な情報を得るため、ジェイムズは、シェリー警部に協力し、警察とは別個に、独自の捜査を開始する。
そして、ケーブルカー内で殺されていたジョン・ティルスリーのポケットに入っていた手帳、さらに、彼のロンドン市内の住まい内の本棚で見つけた手帳から、被害者が商品の闇取引を仲介していたことが判ってくる。その商品は、石油、自動車部品、金やプラチナ等、非常に多岐にわたっていた。

翌朝、ジェイムズが散歩していると、またもや、ひどく慌てたアロイシアスに出会う。アロイシアスによると、「また、施錠したケーブルカー内で、男性が殺されている。」とのことだった。アロイシアスと一緒に、ジェイムズが現場へ駆け付けると、被害者は、昨日、現場から急に姿を消した医師だと名乗ったサイラス・ワットフォードだった。ところが、現地に到着したシェリー警部が被害者の財布の中身を調べてみると、彼の名前は、サイラス・ワットフォードではなく、ヘンリー・マージェリソン(Henry Margerison)であることが判明した。

2日連続で発生したケーブルカー内での密室殺人、犯人は、如何にして、施錠されたケーブルカー内に入り、そして、出て行けたのか?被害者2人は、どのように繋がるのか?更に、犯人の殺害動機は?


物語の冒頭直後から、推理小説好きには非常に魅力的な「密室殺人」が発生するものの、物語の最後には、事前に懸念した通り、あまりにも平凡な解決が待っていて、正直ベース、非常に残念。何故、わざわざ、犯人は施錠したケーブルカー内で殺人を実行したのか、大きな疑問が付き纏う。

本作品は、スコットランドヤードのシェリー警部シリーズではあるものの、彼の友人である元新聞記者のジェイムズ・ロンドンが、実質的には主人公で、最後の解決をシェリー警部が担当している。シェリー警部がかなり大目に見ていることもあり、ジェイムズは、時々、やや違法なことをしているものの、彼独自に考えて、いろいろと捜査を進めており、物語自体はとても読みやすく、展開は面白いと言える。

なお、作者のジョン・ロウランドは、1907年、イングランド南西部のコンウォール州(Cornwall)内にある市場町ボドミン(Bodmin)に出生。近くには、花崗岩の丘陵であるボドミンムーア(Bodmin Moor)があることで有名。
ジョン・ロウランドは、推理作家以外にも、出版業者、編集者、公務員、及びユニテリアン派(キリスト教の正当信仰である三位一体論を否定し、神の単一性を主張する教派)の牧師等、様々な顔を有している。

本作品の舞台となるケント州ブロードゲートは、あくまでも、作者による架空の地名で、作者が、ケント州内に実在する

(1)ブロードステアーズ(Broadstairs:海浜保養地)
(2)ラムズゲート(Ramsgate:港・保養地)

の名前を組み合わせているのである。

2020年6月27日土曜日

ロンドン バーキング平原(Barking Level)

英国で売られている
サー・アーサー・コナン・ドイル作「四つの署名」等を題材にした絵葉書

サー・アーサー・コナン・ドイル作「四つの署名(The Sign of the Four)」(1890年)において、独自の捜査により、バーソロミュー・ショルト(Bartholomew Sholto)を殺害した犯人達の居場所を見つけ出したシャーロック・ホームズは、ベーカーストリート221Bへスコットランドヤードのアセルニー・ジョーンズ警部(Inspector Athelney Jones)を呼び出す。ホームズは、呼び出したアセルニー・ジョーンズ警部に対して、バーソロミュー・ショルトの殺害犯人達を捕えるべく、午後7時にウェストミンスター船着き場(Westminster Stairs / Wharf→2018年3月31日 / 4月7日付ブログで紹介済)に巡視艇を手配するよう、依頼するのであった。

巡視艇がウェストミンスター船着き場を離れると、ホームズはアセルニー・ジョーンズ警部に対して、巡視艇をロンドン塔(Tower of London→2018年4月8日 / 4月15日 / 4月22日付ブログで紹介済)方面へと向かわせ、テムズ河(River Thames)の南岸にあるジェイコブソン修理ドック(Jacobson’s Yard)の反対側に船を停泊するよう、指示した。ホームズによると、バーソロミュー・ショルトを殺害した犯人達は、オーロラ号をジェイコブソン修理ドック内に隠している、とのことだった。
ホームズ達を乗せた巡視艇が、ロンドン塔近くのハシケの列に隠れて、ジェイコブソン修理ドックの様子を見張っていると、捜していたオーロラ号が修理ドックの入口を抜けて、物凄い速度でテムズ河の下流へと向かった。そうして、巡視艇によるオーロラ号の追跡が始まったのである。

夜の静寂の中で、オーロラ号の機関室がガチャンガチャンと音を立てるのが聞こえた。船尾の男は、まだデッキに身を屈めており、両腕を忙しそうに動かしていた。その一方で、彼は、時々、ちらっと目を上げて、私達との間の距離を測ろうとしていた。私達との間の距離は、更に縮まっていった。ジョーンズ警部は、オーロラ号に対して、停船するように大声を挙げた。私達の船は、オーロラ号の背後、四艇身もないところまで迫っていて、両方の船とも、恐ろしい勢いで、飛ぶように進んでいた。そこは、片側がバーキング平原で、反対側がプラムステッド湿地になっている河幅が広い区域だった。私たちの呼び掛けに、船尾の男が、甲高いしゃがれた声で罵りながら、跳び上がり、私達に向かって、固く握りしめた両手を振った。彼は、体格がよく、屈強な男だった。そして、彼が両足を開き、バランスを取りながら立ち上がった時、彼の右足の大腿の下に、木製の義足が見えた。

In the silence of the night we could hear the panting and clanking of their machinery. The man in the stern still crouched upon the deck, and his arms were moving as though he were busy, while every now and then he would look up and measure with a glance the distance which still separated us. Nearer we came and nearer. Jones yelled to them to stop. We were not more than four beaf’s-lengths behind them, both boats flying at a tremendous pace. It was a clear reach of the river, with Barking Level upon one side and the melancholy Plamstead Marshes upon the other. At our hail the man in the stern sprang up from the deck and shook his two clenched fists at us, arising the while in a high, cracked voice. He was a good-sized, powerful man, and as he stood poising himself with legs astride, I could see that, from the thigh downwards, there was but a wooden stump upon the right side.

ホームズ達が乗った巡視艇がオーロラ号の背後、四艇身まで迫った辺りのバーキング(Barking)は、テムズ河(River Thames)の北岸にある町で、現在はロンドンの特別区の一つであるロンドン・バーキング&ダグナム区(London Borough of Barking and Dagenham)に属している。

バーキングは、元々、エセックス州(Essex)に属しており、テムズ河沿いということもあって、漁業や農業等が盛んだった。
1854年に鉄道の駅が、また、1908年に地下鉄の駅ができたことに伴い、20世紀に入って、ロンドンの郊外として、人口が流入し、栄えていく。
1931年にエセックス州からロンドンの特別区へと変わり、1965年にロンドン・バーキング&ダグナム区へと編入されている。

2020年6月21日日曜日

デイヴィッド・マクドナルド・ディヴァイン作「兄の殺人者」(My Brother’s Killer by David McDonald Devine)

英国の Arcturus Publishing Limited から
 Crime Classics シリーズの一つとして出版されている
デイヴィッド・マクドナルド・ディヴァイン作「兄の殺人者」の表紙–
物語の冒頭、サイモンが、自分の弁護士事務所内で、
兄オリヴァーの射殺死体を発見する場面が描かれている。
実際には、オリヴァーの死体は、右手をいっぱいに伸ばして、
左手は胸を掴んでいる状態が、本作品通りである。

「兄の殺人者(My Brother’s Killer)」は、 英国の推理作家であるデイヴィッド・マクドナルド・ディヴァイン(David McDonald Devine:1920年ー1980年)が、英国コリンズ社主催の大学教員を対象にした書き下ろし推理小説コンクールに応募したものである。実際のところ、D・M・ディヴァインは、大学教員ではなく、事務局の職員だったこともあって、残念ながら、受賞には至らなかったものの、当時審査員の一人を務めていたアガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1970年)は、「最後の最後まで楽しんで読めた。極めて面白い犯罪小説」という最高の褒め言葉を残している。

4月中旬のある深い霧の夜、バーネット・ウォーターストン・アンド・ファーガスン弁護士事務所の共同経営者であるオリヴァー・バーネット(Oliver Barnett)からの急な呼び出しを受けて、自宅から事務所へと呼び戻された弟のサイモン・バーネット(Simon Barnett)は、そこで兄オリヴァーの射殺死体を発見する。オリヴァーは、家庭内の不和と仕事上の軋轢をいろいろと抱えており、トラブルには事欠かなかった。
ブリックフィールド署のケネディー警部(Inspector Kennedy)やスコットランドヤードのガーランド警視(Detective-Superintendent Garland) / ベーカー部長刑事(Detective-Sergeant Baker)による捜査の過程で、次々と暴かれる兄オリヴァーの忌まわしい「秘密」。

・グリブル街(Gribble Street)に保有している密会用のアパート
・謎の愛人
・ゆすり / 恐喝等

兄オリヴァーは、それが原因で殺害されたのか?

警察の捜査で、昔の友人であるシーラ・グラント(Sheila Grant)が逮捕されるに及んで、サイモンは、兄オリヴァーの汚名をそそぎ、また、第一容疑者となった友人を苦境から救うために、独自の捜査に乗り出す決心を固める。そして、サイモンは、弁護士事務所の事務員アラン・ケリー(Allan Kelly)とオリヴァーの秘書だったジョイス・ガラザス(Joyce Garruthers)に助けを求めて、捜査チームを立ち上げる。

私生活でも、また、仕事上でも、いろいろとトラブルを抱えていた兄オリヴァーを殺害したのは、一体誰なのか?彼を殺したいという動機をもつ容疑者は、非常に多かった。

(1)エドワード・ファーガスン(Edward Fergusson):弁護士事務所の共同経営者の一人。前年の冬に行われた弁護士事務所のクリスマスディナー / ダンスパーティーにおいて、オリヴァーとの間で謎の諍いを起こしている。
(2)サー・チャールズ・ウォーターストン(Sir Charles Waterston):弁護士事務所の共同経営者の一人。ある件で、オリヴァーから強請られていたことが判明。
(3)マリオン・バーネット(Marion Barnett):オリヴァーの妻。数年前にあった車の衝突事故により、顔半分にひどい傷跡が残っていて、自暴自棄になっており、家庭内の不和の原因となっていた。
(4)リンダ・バーネット(Linda Barnett):サイモンの妻で、現在、別居中。サー・チャールズ・ウォーターストンの娘でもあり、ある件でオリヴァーが父親を強請っていたことを知り、なんとか自分の父親を助けようとしていた。
(5)ロジャー・グラント(Roger Grant):農場主で、サイモンの昔の友人。昔からシーラを愛していて、彼女の為であれば、どんなことも厭わない。
(6)シーラ・グラント:ロジャーの妻で、サイモンの昔の友人。若き日、ナイトクラブ「ポリゴン」であったある件の写真が、オリヴァーの金庫内に保管されていた。
(7)ミリー(Millie):バーネット家の家政婦で、現在は、マリオンの世話をしている。

果たして、兄オリヴァーを殺害したのは、これらの容疑者の中に居るのか?それとも、別に居るのか?
容疑者の数名は、彼の殺害時刻の頃、弁護士事務所のオフィス近辺に出没していた。
サイモンは、別居中とは言え、自分の妻であるリンダまでも、兄オリヴァーの殺害容疑者として疑わざるを得ない厳しい捜査を続けるのであった。

サイモンは、自分には警察にない利点として、関係者とその性格・背景を個人的によく知っていることを挙げている。通常の推理小説において活躍する名探偵や警察官は、基本的に、事件自体の部外者であり、本作品のように複雑に絡み合った人間関係を解きほぐして、真相に迫っていくには、適していないという訳である。逆に、事件関係者として複雑な人間関係の真っ只中に居る自分の方が、いろいろなことがよく見え、真相に到達することができるのだと、サイモンは確信する。ただし、そうは言っても、犯罪捜査の専門家ではなく、所詮は素人であるので、サイモンは、途中、何度も誤った結論に至り、そのために挫折を味わうのである。

ここが、ある意味、作者のD・M・ディヴァインの非常にうまいところで、複雑な人間関係や際立った人物描写等を前面に押し出し、それらを主人公であるサイモンの目というレンズを通すことにより、物語を面白くする一方、読者をサイモンに同化させることで、読者の目を曇らせて、作者が意図する方向(つまり、真相から遠ざかる方向)へと巧妙に導いていくのである。つまり、本作品では、伝統的な本格推理小説と人間ドラマが見事に融合している訳で、通常の推理小説では為し得ていないことを達成したという意味で、高得点を与えたい。

物語の最後で、思ってもみなかった意外な犯人の正体が明らかにされる。実際、物語を読み進んでいくと、微妙に違和感を感じるところが所々出てくるのだが、サイモンの目を通して事件を見ているために、作者の非常にうまいミスディレクションにより、なかなかうまく真相に到達できないのである。

なお、「兄の殺人者(My Brother’s Killer)」は、東京創元社から創元推理文庫として、2010年5月に翻訳版が刊行されている。

2020年6月20日土曜日

ジョン・ディクスン・カー作「三つの棺」(The Three Coffins by John Dickson Carr)–その5

早川書房からハヤカワミステリ文庫として出版された
ジョン・ディクスン・カー作「三つの棺」の表紙
(カバーデザイン: 山田雅史氏)

原作を既に読んだ人にはお判りになるかと思うが、
推理小説として、この表紙の内容は、非常に掟破りの内容を言える。

米国のペンシルヴェニア州(Pennsylvania)に出生して、英国人のクラリス・クルーヴス(Clarice Cleaves)との結婚後、1932年から1946年にかけて英国のブリストル(Bristol)に居を構えていた米国の推理作家で、「不可能犯罪の巨匠」とも呼ばれているジョン・ディクスン・カー(John Dickson Carr:1906年ー1977年)が1935年に発表した推理小説である「三つの棺(The Three Coffins 英題: The Hollow Man)」は、3部全21章から成っており、そのうち、第17章「密室の講義(The Locked-Room Lecture)」において、ギディオン・フェル博士(Dr. Gideon Fell)がスコットランドヤード犯罪捜査課(CID)のハドリー警視(Superintendent Hadley)とテッド・ランポール(Ted Rampole)に対して行う説明は、密室トリックを分類したエッセーとしても有名で、推理小説論のアンソロジーに収録されたりもする。

ジョン・ディクスン・カーは、パリの予審判事であるアンリ・バンコラン(Henri Bencolin)シリーズ第1作目に該る「夜歩く(It Walks by Night)」(1930年)を以って、推理作家としてデビューした後、

*「絞首台の謎(The Lost Gallows)」(1931年)
*「髑髏城(The Castle Skull)」(1931年)
*「蠟人形館の殺人(The Corpse in the Waxworks)」(1932年)

と、アンリ・バンコランシリーズを続けてきたが、アンリ・バンコランの人物像にリアリティーを段々と感じられなく成った彼は、舞台を英国へと移し、

*ギディオン・フェル博士シリーズ第1作目「魔女の隠れ家(Hag’s Nook)」(1932年)→2020年3月8日 / 3月15日 / 3月22日 / 3月29日付ブログで紹介済
*ヘンリー・メリヴェール卿(Sir Henry Merrivale)シリーズ第1作目「黒死荘の殺人(The Plague Court Murders)」(1934年)→2018年5月6日 / 5月12日付ブログで紹介済

を始動させた。

1935年初頭、ジョン・ディクスン・カーは、アンリ・バンコランを復帰させるために、「吸血鬼の塔(Vampire Tower)」という長編の執筆に取り掛かったものの、アンリ・バンコランシリーズを書き続けることができず、途中で原稿を破棄して、彼が書き直したのが、本作「三つの棺」である。

日本では、1935年の発表の翌年に該る1936年に、伴大矩(ばん だいん)訳の「魔棺殺人事件」(日本公論社)が初版として出版されたが、「抄訳」の上に、「悪訳」だった。不幸なことに、以降、「三つの棺」には悪訳が付いて回り、第二次世界大戦(1939年ー1945年)後の村崎敏郎訳「三つの棺」も、評価はあまり高くない。また、三田村裕訳「三つの棺」(1976年ーハヤカワポケットミステリ / ハヤカワミステリ文庫)にも、誤訳が続いた。そのため、2014年に加賀山卓郎氏による新訳(ハヤカワ文庫)が刊行された。

明智小五郎シリーズ等で有名な日本の推理作家である江戸川乱歩(1894年ー1965年)は、「カー問答」(1950年ー別冊宝石)の中で、ジョン・ディクスン・カーの作品を第1位グループから最もつまらない第4位グループまで評価分けしており、本作「三つの棺」については、第2位グループ7作品の筆頭に挙げている。
ただし、江戸川乱歩も、「抄訳」の上、「悪訳」だった「魔棺殺人事件」を読んでいて、本人としても、「最初に「魔棺殺人事件」の拙い役で読んだために本作の印象が悪いが、初めから原本で読んでいたらもっと高く評価していただろう。」と語っている。

一般に、「三つの棺」は、ジョン・ディクスン・カーの最高傑作と評する意見が多いが、物語の設定がかなり複雑で、細部を見ると、不自然なところや無理なところは、正直ベース、あると言えるが、1935年当時としては、この奇術的トリックは読者に大きな驚きを与えたのではないだろうか?個人的には、カリオストロストリート(Cagliostro Street)で発生した事件を解明するには、事件の現場となるブルームズベリー地区(Bloomsbury)を含むロンドンの地図が頭に完全に入っていないと、文章の説明だけでは、ロンドン以外に住む読者には、非常に難しいと思う。

2020年6月14日日曜日

F・W・クロフツ作「ホッグズ・バックの怪事件」(The Hog’s Back Mystery by Freeman Wills Crofts)

大英図書館(British Library)が発行する
British Library Crime Classics の一つに加えられている
F・W・クロフツ作「ホッグズ・バックの怪事件」の表紙

「ホッグズ・バックの怪事件(The Hog’s Back Mystery)」は、英国の推理作家であるフリーマン・ウィルス・クロフツ(Freeman Wills Crofts:1879年ー1957年)が1933年に発表した推理小説で、スコットランドヤードのジョーゼフ・フレンチ警部(Inspector Joseph French)(後に、主席警部→警視→主席警視に昇進)が登場するシリーズ10作目の長編に該る。


物語は、英国サリー州(Surrey)ノースダウンズ(North Downs)内にあるホッグズバック(Hog’s Back)という場所で始まる。なお、ホッグズバックの東側には、ギルフォード(Guildford)が、そして、西側には、ファーナム(Farnham)が所在している。

ホッグズバック内にある「St. Kilda」というコテージには、引退した医師のジェイムズ・アール(Dr. James Earle)と彼の妻のジュリア・アール(Julia Earle)の二人が、4年前から住んでいた。
ジュリアの姉で、文筆業で生計を立てているマジョリー・ローズ(Majorie Lawes)は、冬はエジプト、春と秋はフランスのリヴィエラ、そして、夏はスイスかイタリア北部と、生活の拠点を転々としていたが、今回、英国で、つまり、ホッグズバックにおいて、2~3週間を過ごすこととなった。その日程に合わせるように、ジュリア・アールは、学生時代の友人で、現在、バース(Bath)に住むウルスラ・ストーン(Ursula Stone)を、ホッグズバックへと招待したのである。

ジュリア・アールとマジョリー・ローズの二人が用事で外出した日曜日、ウルスラ・ストーンは、「The Red Cottage」というコテージに住む旧友のアリス・キャンピオン(Alice Campion)を訪ねた。
ウルスラ・ストーンが、アリス・キャンピオンと彼女の兄で、ジェイムズ・アールと共同で診療所を営むハワード・キャンピオン医師(Dr. Howard Campion)に車で送ってもらい、「St. Kilda」へと戻ると、ジュリア・アールが戸口から出て来て、「暫く前から、夫のジェイムズの姿が見当たらない。」と心配していた。

ジュリア・アールとマジョリー・ローズの話によると、午後8時頃から、ジェイムズを含めた三人で夕食を食べ始め、食べ終わったのが、午後8時半頃。ジュリアとマジョリーの二人が皿洗いを済ませた後、マジョリーが居間を覗くと、ジェイムズは暖炉の側で椅子にくつろいで新聞を読んでいた。ところが、その2~3分後に、マジョリーが居間を再度覗くと、ジェイムズの姿はなく、椅子の上に新聞が置かれたままだった。心配したジュリアとマジョリーの二人がコテージ内を見て回ったが、ジェイムズはどこにも居なかったのである。全く説明がつかない謎の失踪だった。

地元警察からの要請を受けて、スコットランドヤードのフレンチ警部が現地へと派遣される。
ジェイムズ・アールは、何故、失踪したのだろうか?誘拐なのか、それとも、数日前に彼が密かに会っていた女性と一緒に駆け落ちしたのか?
フレンチ警部が捜査を進めるが、また、謎の失踪者が...

「ホッグズ・バックの怪事件」の舞台となる
ホッグズ・バックの地図

作者のフリーマン・ウィルス・クロフツは、1879年にアイルランド島のダブリンに出生。英国陸軍の軍医だった地父親の死後、母親の再婚相手が住むアイルランド島の北東部アルスター地方ダウン州で育つ。
その後、F・W・クロフツは、当地で鉄道義姉となるが、40歳(1919年)の時に病で入院。その療養中に構想した処女作「樽(The Cask)」を1920年に発表、好評を博して、推理作家への仲間入りを果たしたである。「樽」は、F・W・クロフツの処女作であるとともに、彼の代表作の一つである推理小説となっている。また、同作は、推理小説におけるアリバイ崩しを確立させたとも評されている。
F・W・クロフツは、5作目の長編「フレンチ警部最大の事件(Inspector French’s Greatest Case)」(1925年)から、シリーズ探偵として、フレンチ警部を起用し、以降の全長編にフレンチ警部が登場する。

なお、「ホッグズ・バックの怪事件」は、1983年に東京創元社の創元推理文庫から初版が発行されているが、残念ながら、現在、「在庫なし」の状態である。

2020年6月13日土曜日

ジョン・ディクスン・カー作「三つの棺」(The Three Coffins by John Dickson Carr)-その4

ラッセルスクエアの西側にある
ギルフォードストリート(Guildford Street)沿いに建つフラット

テッド・ランポール(Ted Rampole)経由、彼の友人で、新聞記者でもあるボイド・マンガン(Boyd Mangan)の話を聞き、その話にただならぬ事態を予感し、ギディオン・フェル博士(Dr. Gideon Fell)は、その場に居合わせたテッド・ランポールとスコットランドヤード犯罪捜査課(CID)のハドリー警視(Superintendent Hadley)を伴って、ラッセルスクエア(Russell Square)の西側に所在するシャルル・ヴェルネ・グリモー教授(Professor Charles Vernet Grimaud)の邸へと急行する。


銃声が聞こえた3階のシャルル・グリモー教授の書斎へと向かって、ハドリー警視とテッド・ランポールの二人が、階段を駆け上がった。内側から鍵がかかった書斎の扉を二人が破って中に入ると、絨毯の上には、拳銃で胸を撃たれて、瀕死の教授が倒れていたのである。
彼らからの連絡を受けて、瀕死の教授は病院へと緊急搬送されるものの、残念ながら、病院で息を引き取った。


シャルル・グリモー教授の経歴について、元教師で、グリモー家の居候であるヒューバート・ドレイマン(Hubert Drayman)をギディオン・フェル博士達が追及するした結果、ヒューバート・ドレイマンから、教授から聞いた話を含め、以下の証言を得た。

・教授の本名は、カロリー・グリモー・ホーバート(Karoly Grimaud Horvath)。
・フランスから英国へとやって来たので、フランス人だと思われていたが、実際には、ハンガリー出身のマジャール人(Magyar)。
・三人兄弟の長兄。
・ホーバート兄弟三人は、政治犯として、ハンガリーの刑務所に投獄されていたが、弟二人が刑務所内において伝染病で死亡したことに乗じて、自分も死んだふりをして、脱獄を計画。ヒューバート・ドレイマンがハンガリー国内を旅行していた際、ある山中において、三つ並んだ墓の一つから這い出ようとしていた彼を助け出した。


ヒューバート・ドレイマンから話を聞いたギディオン・フェル博士達は、証言全てが真実だとは捉えなかった。実際には、ホーバート兄弟三人全員が投獄中に死んだふりをして脱獄を図ったものの、偶然、教授だけがヒューバート・ドレイマンに救い出されたが、教授は弟二人を墓下の棺内に閉じ込めたまま、見捨てて逃げたのではないかと推測した。そして、弟二人は、脱獄に気付いた刑務所員達によって救出され、自分達を見捨てて逃げた兄を恨み、出所後、復讐のため、英国にやって来たのではないかと考えた。また、大英博物館(British Museum)の近くにあるパブ「ウォーリックタヴァーン(Warwick Tavern)」において、教授を脅迫した奇術師(illusionist)のピエール・フレイ(Pierre Fley)こそ、ホーバート兄弟の次兄ではないかと。

ラッセルスクエアの西側にある
グレンヴィルストリート(Grenville Street)と
バーナードストリート(Bernard Street)の角に建つフラット

ギディオン・フェル博士達は、早速、ピエール・フレイの居所を探そうとしたが、不可解なことに、ピエール・フレイも、同じ夜に拳銃で射殺されていたのである。場所は、グリモー邸から徒歩で直ぐで、ラッセルスクエアの反対側にあるカリオストロストリート(Cagliostro Street)の真ん中だった。


カリオストロストリートは、先が行き止まりの200ヤード程の通りで、バーミンガム(Birmingham)からやって来たジェス・ショート(Jesse Short)とR・G・ブラックウィン(R. G. Blackwin)の二人が、通りの奥に住む友人のところを訪ねようとしていた。また、ヘンリー・ウィザース巡査(PC Henry Withers)が巡回中で、ちょうどカリオストロストリートの入口に達した時だった。
「二発目は、お前にだ。(The Second Bullet is for you.)」という声とともに、銃声が鳴り響いた。カリオストロストリートの奥へと向かっていたジェス・ショートとR・G・ブラックウィンが通りの入口の方へ振り返り、ヘンリー・ウィザース巡査が通りの入口の方から駆け寄って来た。カリオストロストリートの真ん中、宝石商のショーウィンドの灯りに照らされた路上に、ピエール・フレイが倒れていたのである。ヘンリー・ウィザース巡査がピエール・フレイの身体を調べたところ、ピエール・フレイは、背中を至近距離から拳銃で撃たれて、死亡していた。通りは暗かったものの、現場の路上には、ジェス・ショート / R・G・ブラックウィンの二人とヘンリー・ウィザース巡査以外には、誰も居なかった。また、現場は、身を隠せる建物から数メートルも離れており、銃声が鳴り響いてから、彼らが現場に駆け付ける間に、身を隠せる時間的な余裕はなかった。目撃者である彼らによると、午後10時25分とのことだった。


司法解剖の結果、ピエール・フレイの背中の致命傷は、自分で拳銃を撃つには無理な場所にあり、「自殺」とは考えられず、「他殺」と判断せざるを得なかった。ところが、ピエール・フレイの殺害現場であるカリオストロストリートの路上で、ジェス・ショート / R・G・ブラックウィンの二人とヘンリー・ウィザース巡査の誰も、ピエール・フレイを拳銃で撃った加害者を見ていない上に、現場周辺の雪の上には、被害者であるピエール・フレイ以外の足跡は全くなかったのである。また、ピエール・フレイの傍らに落ちていた拳銃は、グリモー邸において、シャルル・グリモー教授を射殺した凶器であると鑑定された。

ジェス・ショート / R・G・ブラックウィンの二人とヘンリー・ウィザース巡査に挟まれたカリオストロストリートの路上において、犯人は、被害者であるピエール・フレイの背中を至近距離から拳銃で撃った後、どのようにして姿を隠したのだろうか?グリモー邸の書斎において発生した密室状況の事件に加えて、カリオストロストリートの路上における事件も、不可能状況と言えた。
この難事件を、ギディオン・フェル博士が解き明かすのであった。

2020年6月7日日曜日

エセル・リナ・ホワイト作「誰かが見ている」(Some Must Watch by Ethel Lina White)

英国の Arcturus Publishing Limited から
 Crime Classics シリーズの一つとして出版されている
エセル・リナ・ホワイト作「誰かが見ている」の表紙–
「激しくなる嵐の夜、サミット邸内の階段に佇み、
恐怖に震えるヘレンに忍び寄る連続殺人鬼の影」という感じで、
物語のハイライト場面の雰囲気を非常にうまく伝えている。
ただし、厳密に言うと、ヘレンが着ている服の色は、
赤色ではなく、青色が正当である。

エセル・リナ・ホワイト(Ethel Lina White:1876年ー1944年)は、英国ウェールズ地方モンマスシャー生まれの女性推理作家で、1930ー1940年代を代表する推理作家の一人と言われている。彼女は、アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)の活躍時期(1887年ー1927年)の後半部分とアガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)の活躍時期(1920年ー1976年)の前半部分にちょうどオーバーラップしている。また、彼女は、アガサ・クリスティーのような多作ではなく、1944年に亡くなるまでに、推理小説は15作品しか執筆していない、とのこと。

本作品「誰かが見ている(Some Must Watch)」は、彼女の代表作の一つで、ロバート・シオドマク監督により、「螺旋階段(The Spiral Staircase)」というタイトルで映画化されている。他には、「サイコ」、「鳥」や「レベッカ」等で有名なアルフレッド・ヒッチコック監督が映画化した「バルカン超特急」等がある。

イングランドとウェールズの境界、何もない荒涼とした田園地帯に建つサミット邸(The Summit)。一番近い町から22マイル(約36㎞)、一番近い村からは1マイル(約15㎞)離れている。
一風変わったウォーレン(Warren)一家が住むこの屋敷に、女主人の世話役として雇われたヘレン・カペル(Helen Capel)は、不吉な予感に震えていた。何故ならば、近隣の町や村で、若い女性4人が連続して、何者かに殺害されているのだ。最初の2人は町で、3人目は村で殺されたのだが、サミット邸からはまだ離れた世界の話である。ところが、4人目はサミット邸から僅か5マイル(約8㎞)しか離れていない一軒家の中で絞殺されたのである。つまり、若い女性ばかりを殺害している犯人は、少しずつサミット邸へと近づいて来ているのであった。次に殺人鬼に狙われるのは、自分かもしれない。ヘレンは、そう感じていた。

雷鳴が近づくある夕暮れ、散歩に出かけたヘレンは、サミット邸に戻ろうとしていた。雨と風が激しくなりつつある中、正門からサミット邸の玄関へと向かうヘレンは、ある樹木の幹が2つに分かれるのを目撃した。それは、つまり、謎の男が樹木の幹の後ろから出て来て、暗闇の中へと姿を消したのである。

嵐が激しくなる夜、サミット邸に居るのは、ヘレンの他には、
(1)レディーウォーレン(Lady Warren):老齢の女主人
(2)ウォーレン教授(Professor Warren):女主人の息子
(3)ミスウォーレン(Miss Warren):ウォーレン教授の妹
(4)ニュートン・ウォーレン(Newton Warren):ウォーレン教授の息子
(5)シモーネ・ウォーレン(Simone Warren):ニュートンの妻
(6)ステファン・ライス(Stephen Rice):サミット邸に居ついているウォーレン教授の学生
(7)バーカー(Nurse Barker):レディーウォーレンを担当する新任の看護婦
(8)オーテス夫妻(Mr. & Mrs. Oates):サミット邸の家事全般をとりしきる執事と家政婦
(9)パリー(Dr. Parry):レディーウォーレンを担当する若き医師
の10人。
そこに、パブ「ザ・ブル(The Bull)」のオーナーであるウィリアムス(Williams)からパリー医師宛に電話がある。以前、サミット邸で働いていた女性セリドウェン・オーウェン(Ceridwen Owen)の死体が見つかったのである。近所に住むビーン大尉(Captain Bean)が市場から自宅に戻った際、ドアの鍵を開けようと、鍵穴をよく見るために、マッチを擦ったところ、庭の隅に彼女の死体が横たわっているのを発見したのであった。遂に、連続殺人鬼の魔の手が、サミット邸の近くまで達したのだ。

パリー医師は死体を調べるために、オーテス氏はレディーウォーレン用の酸素ボンベを調達するために、嵐の中、サミット邸を出て行く。更には、ニュートン、シモーネとステファンの間で、痴話喧嘩が発生し、ステファン、シモーネ、そして、ニュートンの順に、サミット邸を出て行ってしまう。
サミット邸からどんどん人が居なくなるにつれて、ヘレンは、ひたひたと忍び寄る連続殺人鬼の影に怯えるのであった。遂には、男性のように体格がよいベーカー看護婦に対して、ヘレンは疑惑の目を向けるようになる。この非常事態の下、ウォーレン教授は、翌朝までサミット邸を内側から封鎖するよう、指示を下す。しかし、実際には、ヘレンが恐れるよりもずっと近くに、連続殺人鬼はその姿を隠していたのである。
最後、連続殺人鬼が、遂にヘレンの前にその姿を現す...

本作品は、ゴシックサスペンスの古典的傑作と言われている。作者のエセル・リナ・ホワイトは、サミット邸内で各人を疑い、誰も頼りにできないヘレンの不安と緊張をうまく盛り上げてはいる。
ただ、全編を通して、ヘレンがサミット邸内を行ったり来たりして、屋敷内に残る人を遭遇しては、また不安に苛まれるというやや堂々巡りの繰り返しという印象を、個人的には否めない。確かに、最後の最後で、驚きのどんでん返しはあるものの、そこへ至る論理的な必然性が欠けているように感じる。また、あまり詳細には書けないものの、話の途中でサミット邸から出て行ってしまった、つまり、舞台から途中退場してしまった登場人物達にとって、再度の出番はほとんどなく、登場人物をできる限り多くして、読者を惑わそうとしたのかもしれないが、話の流れ上というか、舞台の構成上、登場人物の全員をうまく処理しきれていないように思えてならない。

2020年6月6日土曜日

ロンドン ブラックウォール(Blackwall)–その2

グリニッジにある快走帆船カティーサーク号(Cutty Sark)の甲板から、
テムズ河越しに、ドッグ島内にあるカナリーワーフ(Canary Whard)に建つ高層ビル群を望む–
なお、ブラックウォール地区は、カナリーワーフの右側に位置している

サー・アーサー・コナン・ドイル作「四つの署名(The Sign of the Four)」(1890年)において、独自の捜査により、バーソロミュー・ショルト(Bartholomew Sholto)を殺害した犯人達の居場所を見つけ出したシャーロック・ホームズは、ベーカーストリート221Bへスコットランドヤードのアセルニー・ジョーンズ警部(Inspector Athelney Jones)を呼び出す。ホームズは、ジョーンズ警部に対して、バーソロミュー・ショルトの殺害犯人達を捕えるべく、午後7時にウェストミンスター船着き場(Westminster Stairs / Wharf→2018年3月31日 / 4月7日付ブログで紹介済)に巡視艇を手配するよう、依頼する。

ホームズ達を乗せた巡視艇が、ウェストミンスター船着き場を離れて、ロンドン塔(Tower of London→2018年4月8日 / 4月15日 / 4月22日付ブログで紹介済)近くのハシケの列に隠れて、バーソロミュー・ショルトの殺害犯人達が隠れていると思われるジェイコブソン修理ドック(Jacobson’s Yard)の様子を見張っていると、捜していたオーロラ号が修理ドックの入口を抜けて、物凄い速度でテムズ河(River Thames)の下流へと向かった。そうして、巡視艇によるオーロラ号の追跡が始まった。

グリニッジ(Greenwich→2018年1月27日付ブログで紹介済)において、ホームズ、ジョン・H・ワトスンやスコットランドヤードのジョーンズ警部達を乗せた巡視艇とオーロラ号の間は、300ペース分離されていたが、その距離が250ペース分以下まで詰められた場所であるブラックウォール(Blackwall)は、ロンドンの経済活動の中心地シティー・オブ・ロンドン(City of London→2018年8月4日 / 8月11日付ブログで紹介済)の東隣りの特別区であるロンドン・タワーハムレッツ区(London Borough of Tower Hamlets)内に所在しており、テムズ河(River Thames)の北岸ドック島(Isle of Dogs→2020年5月2日 / 5月9日付ブログで紹介済)の北東角にある地区である。


ブラックウォールという地区の名は、中世に建設された堤防(river wall)の色に因んで付けられたものと言われている。

地理的に、ブラックウォール地区は、ドッグ島の北東角に位置し、テムズ河の下流に近いということもあって、16世紀頃から港湾町として発展してきた。北アメリカ大陸や西インド諸島等、英国の植民地へと向かう船舶が、ブラックウォール地区から出航した。また、テムズ河沿いの他のエリアと同様に、ブラックウォール地区内にも、ブラックウォール造船所 / 修理ドック(Blackwall Yard)が建設された。
19世紀初めには、ブラックウォール地区の西側に、東インドドック(East India Dock)も建設されたが、テムズ河沿いの他のエリアと同じく、ブラックウォールも、港湾町としての役割が低下し、ブラックウォール造船所 / 修理ドックも、20世紀後半には閉鎖されたしまった。

ブラックウォール地区を通過していないものの、ブラックウォール地区の西側(テムズ河北岸)とノースグリニッジ(North Greenwichーテムズ河南岸)を結ぶ地下トンネルは、「ブラックウォールトンネル(Blackwall Tunnel)」と名付けられている。