大英図書館(British Library)が発行する British Library Crime Classics の一つに加えられている ジョン・ロウランド作「ケント州の災難」の表紙 |
「ケント州の災難(Calamity in Kent)」は、英国の推理作家であるジョン・ハーバート・シェリー・ロウランド(John Herbert Shelley Rowland:1907年ー1984年)が1950年に発表した推理小説で、スコットランドヤードのシェリー警部(Inspector Shelley)を主人公とするシリーズの第16作目に該る。
ジェイムズ・ロンドン(James London)は、ロンドンのフリートストリート(Fleet Street)で新聞記者として活躍していたが、病で入院。退院後、新聞記者を辞め、療養を兼ねて、イングランド南東部のケント州(Kent)内のブロードゲート(Broadgate)という海浜保養地へと来ていた。
6月のある朝、朝食前の日課である散歩のため、ジェイムズが海浜の方へ出かけると、赤髪で分厚い眼鏡をした男性が酔ったようにふらふらと歩いているところに遭遇する。片方の足を引きずるようにしているので、足が少し不自由と思われた。
異変を感じたジェイムズがその男性に近寄って事情を尋ねると、アロイシアス・ベンダー(Aloysius Bender)と名乗った彼は、ブロードゲートリフト(Broadgate Lift)という断崖の上から海浜へと降りるケーブルカーを運用する業務を務めていると話した。彼によると、「昨晩、帰宅する際に、間違いなく、ケーブルカーの扉に施錠した筈なのにもかかわらず、今朝、出て来たところ、施錠したケーブルカーの中で、人が死んでいる。」と言う。
ジェイムズが、アロイシアスを伴って、ケーブルカーのところへ行ってみると、確かに、施錠されたケーブルカーの中で、男性がナイフで背中を刺されて、うつ伏せに倒れていた。ジェイムズがアロイシアスにケーブルカーの扉の鍵を開けてもらい、男性を調べてみると、残念ながら、既に死亡していた。ジェイムズが男性の死体を仰向けにしてみたが、アロイシアスは「今までにみたことがない人だ。」と告げる。
アロイシアスの説明では、「ケーブルカーの扉の鍵は、2つしかなく、一つは自分が常に身につけていて、昨晩は自宅へ持ち帰っており、もう一つは役所にて保管されているので、施錠したケーブルカー内へ入れるはずがない。」とのことだった。彼が言うことが正しければ、正に「密室」状態であった。
ジェイムズは、自分が現場にとどまることにし、アロイシアスに対して、警察を連れてくるように頼んだ。アロイシアスが警察へと向かい、現場に残されたジェイムズが、男性のポケットを探ってみると、財布が入っており、財布内に入っていた紙によると、
(1)男性の名前は、ジョン・ティルスリー(John Tilsley)
(2)現在、男性はブロードゲートのチャリントンホテル(Charrington Hotel)に滞在中
(3)男性の住まいは、ロンドン南西5区のサッカレイコート25番地(25 Thackeray Court)
等が判った。
ジェイムズが警察の到着を今か今かと待っていると、怪しげな男性が姿を現して、ケーブルカーの中の様子を知りたげにする。その男性は、医師のサイラス・ワットフォード(Cyrus Watford)と名乗り、ケーブルカー内で殺されているジョン・ティルスリーのことをよく知っているようで、彼のことを悪党だと告げる。ところが、アロイシアスに連れられて、警察が現場に到着すると、何故か、その男性は慌てて現場を立ち去ってしまった。
現場に到着した警察の中には、地元警察のビーチ警部(Inspector Beech)が居たが、ジェイムズが非常に驚いたことに、彼の友人で、スコットランドヤードのシェリー警部も同行していたのであった。シェリー警部は、休暇のため、ブロードゲートに来ていて、偶然、同行することになったのだ。
シェリー警部からの非公式な要請を受けて、警察では捜査が困難な情報を得るため、ジェイムズは、シェリー警部に協力し、警察とは別個に、独自の捜査を開始する。
そして、ケーブルカー内で殺されていたジョン・ティルスリーのポケットに入っていた手帳、さらに、彼のロンドン市内の住まい内の本棚で見つけた手帳から、被害者が商品の闇取引を仲介していたことが判ってくる。その商品は、石油、自動車部品、金やプラチナ等、非常に多岐にわたっていた。
翌朝、ジェイムズが散歩していると、またもや、ひどく慌てたアロイシアスに出会う。アロイシアスによると、「また、施錠したケーブルカー内で、男性が殺されている。」とのことだった。アロイシアスと一緒に、ジェイムズが現場へ駆け付けると、被害者は、昨日、現場から急に姿を消した医師だと名乗ったサイラス・ワットフォードだった。ところが、現地に到着したシェリー警部が被害者の財布の中身を調べてみると、彼の名前は、サイラス・ワットフォードではなく、ヘンリー・マージェリソン(Henry Margerison)であることが判明した。
2日連続で発生したケーブルカー内での密室殺人、犯人は、如何にして、施錠されたケーブルカー内に入り、そして、出て行けたのか?被害者2人は、どのように繋がるのか?更に、犯人の殺害動機は?
物語の冒頭直後から、推理小説好きには非常に魅力的な「密室殺人」が発生するものの、物語の最後には、事前に懸念した通り、あまりにも平凡な解決が待っていて、正直ベース、非常に残念。何故、わざわざ、犯人は施錠したケーブルカー内で殺人を実行したのか、大きな疑問が付き纏う。
本作品は、スコットランドヤードのシェリー警部シリーズではあるものの、彼の友人である元新聞記者のジェイムズ・ロンドンが、実質的には主人公で、最後の解決をシェリー警部が担当している。シェリー警部がかなり大目に見ていることもあり、ジェイムズは、時々、やや違法なことをしているものの、彼独自に考えて、いろいろと捜査を進めており、物語自体はとても読みやすく、展開は面白いと言える。
なお、作者のジョン・ロウランドは、1907年、イングランド南西部のコンウォール州(Cornwall)内にある市場町ボドミン(Bodmin)に出生。近くには、花崗岩の丘陵であるボドミンムーア(Bodmin Moor)があることで有名。
ジョン・ロウランドは、推理作家以外にも、出版業者、編集者、公務員、及びユニテリアン派(キリスト教の正当信仰である三位一体論を否定し、神の単一性を主張する教派)の牧師等、様々な顔を有している。
本作品の舞台となるケント州ブロードゲートは、あくまでも、作者による架空の地名で、作者が、ケント州内に実在する
(1)ブロードステアーズ(Broadstairs:海浜保養地)
(2)ラムズゲート(Ramsgate:港・保養地)
の名前を組み合わせているのである。