チャリングクロス交差点内に建つチャールズ1世の騎馬像― 奥に見えるのが、トラファルガースクエア内に建つ ネルソン記念柱(Nelson's Column)とナショナルギャラリー(National Gallery) |
サー・アーサー・コナン・ドイル作「ギリシア語通訳(The Greek Interpreter)」において、ある水曜日の夕刻、シャーロック・ホームズとジョン・ワトスンの二人は、パル・マル通り(Pall Mallー2016年4月30日付ブログで紹介済)にある「ディオゲネスクラブ(Diogenes Club)」を訪れる。そこで兄のマイクロフト・ホームズ(Mycroft Holmes)に会ったシャーロックは、兄の隣人で、主にギリシア語通訳を生活の糧にしているメラス氏(Mr Melas)を紹介された。メラス氏によると、2日前、つまり、月曜日の夜に非常に恐ろしい体験をして、その件でシャーロックに捜査をお願いしたいと言う。
地下鉄チャリングクロス駅(Charing Cross Tube Station)の ベーカールーラインのホーム壁に架けられている地図― チャリングクロス交差点はトラファルガースクエアのすぐ南側にある |
メラス氏の説明によると、当夜、彼は上流階級風の身なりをした青年ラティマー氏(Mr Latimer)から通訳の依頼を受け、ラティマー氏が戸口に待たせていた辻馬車に一緒に乗って、パル・マル通りからケンジントン(Kensington)へと出発した。ところが、辻馬車はチャリングクロス交差点(Charing Cross)を抜けて、シャフツベリーアベニュー(Shaftesbury Avenueー2016年5月15日付ブログで紹介済)経由、オックスフォードストリート(Oxford Street)へと向かったのである。これでは、ロンドンの西部に位置するケンジントンとは反対方向へ、辻馬車は進んでいることになってしまう。
ハムハウス(Ham House)内に架けられている チャールズ1世の肖像画 |
メラス氏とラティマー氏が乗った辻馬車がパル・マル通りからシャフツベリーアベニューへ向かう際に走り抜けたチャリングクロス交差点は、ロンドンの中心部シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のストランド地区(Strand)内にあり、トラファルガースクエア(Trafalgar Square)の南側に位置しているにある。なお、古英語で「チャリング(Charing)」とは、「川が曲がった部分」を意味するとのこと。
地下鉄チャリングクロス駅へ向かう 地下通路の壁に描かれているチャールズ1世の騎馬像 |
ロンドンにおける距離は、清教徒革命(Puritan Revolution:1642年ー1649年)時の1647年に破壊された「ホワイトホール宮殿の十字架(Whitehall Cross)」があった場所を起点にして、公式に測定されることになっており、現在のそれは、チャリングクロス交差点内にあるチャールズ1世(Charles I:1600年ー1649年 在位期間:1625年ー1649年)の騎馬像である。
地下鉄チャリングクロス駅へ向かう地下通路の壁には、 「ホワイトホール王宮の十字架」が破壊される場面も描かれている |
騎馬像が片足を上げている場合、「不慮の死」を表すとのこと。
チャールズ1世はカトリック信徒を王妃に迎えた後、国教統一に乗り出し、ピューリタンを弾圧する一方、王権神授説を信奉して、議会を対立した。1642年1月、チャールズ1世は反国王派の議員5名を逮捕しようとして失敗し、王党派と議会派の内戦となるピューリタン革命(Puritan Revolution:1642年ー1649年)を引き起こすこととなった。最終的には、1648年11月、チャールズ1世は議会派軍に投降し、そして、1649年1月30日、フランドルの画家で外交官でもあったピーテル・パウル・ルーベンス(Peter Paul Rubens:1577年ー1640年)に天井画や内装を自ら依頼したホワイトホール宮殿(Palace of Whitehall)のバンケティングハウス(Banqueting Houseー2015年10月3日付ブログ「ホワイトホール通り」で紹介済)前で公開処刑(斬首)されたため、「不慮の死」に該ると言える。なお、英国の歴史上、公開処刑された国王は、チャールズ1世ただ一人である。
チャールズ1世はカトリック信徒を王妃に迎えた後、国教統一に乗り出し、ピューリタンを弾圧する一方、王権神授説を信奉して、議会を対立した。1642年1月、チャールズ1世は反国王派の議員5名を逮捕しようとして失敗し、王党派と議会派の内戦となるピューリタン革命(Puritan Revolution:1642年ー1649年)を引き起こすこととなった。最終的には、1648年11月、チャールズ1世は議会派軍に投降し、そして、1649年1月30日、フランドルの画家で外交官でもあったピーテル・パウル・ルーベンス(Peter Paul Rubens:1577年ー1640年)に天井画や内装を自ら依頼したホワイトホール宮殿(Palace of Whitehall)のバンケティングハウス(Banqueting Houseー2015年10月3日付ブログ「ホワイトホール通り」で紹介済)前で公開処刑(斬首)されたため、「不慮の死」に該ると言える。なお、英国の歴史上、公開処刑された国王は、チャールズ1世ただ一人である。
ルーベンスによって描かれたバンケティングハウスの天井画 |
バンケティングハウスの入口外壁には、 チャールズ1世のレリーフが架けられている |
チャリングクロス駅(Charing Cross Stationー2014年9月20日付ブログで紹介済)は、サー・ジョン・ホークショー(Sir John Hawkshaw:1811年ー1891年)による設計に基づき、サウスイースタン鉄道(South Eastern Railway)が建設して、1864年1月11日に開業した。駅の開業から約1年4ヶ月後の1865年5月15日に、エドワード・ミドルトン・バリー(Edward Middleton Barry:1830年ー1880年)が設計したチャリングクロスホテル(Charing Cross Hotelー2016年4月23日付ブログで紹介済)が開業し、現在も見られるフレンチ・ルネサンス様式の華麗な駅正面が完成した。
チャリングクロス駅/チャリングクロスホテル前に建つ 「エレアノールの十字架」 |
チャリングクロスホテルの開業に合わせて、「ホワイトホール宮殿の十字架」をモデルにして、「エレアノールの十字架(Eleanor Cross)」(これについても、エドワード・ミドルトン・バリーが設計)がチャリングクロス駅正面に設置されたが、ロンドンにおける距離測定の起点が「エレアノールの十字架」に変わった訳ではない。
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