2019年3月24日日曜日

ロンドン バーンズ地区(Barnes)–その2

バーンズ地区内にあるロンズデールロード(Lonsdale Road)沿いにある学校 St. Paul's School

西の方から流れてきたテムズ河(River Thames)は、バーンズ地区(Barnes)近辺に到達したところで、北側へ大きく曲がりくねり、そして、再び南側へと曲がって、ロンドン市内へと流れていく。テムズ河に沿って、大きな瘤のように北側へとせり出している部分が、バーンズ地区に該る。

バーンズ地区内にあるロンズデールロード(Lonsdale Road)沿いに
建ち並ぶ高級住宅街(その1)

バーンズ地区は、テムズ河の上流にあるチジック橋(Chiswick Bridge)経由、テムズ河の北岸にあるハウンズロー・ロンドン自治区(London Borough of Hounslow)のチジック地区(Chiswick→2016年7月23日付ブログで紹介済)と繋がっているが、正確には、チジック橋があるのは、リッチモンド・アポン・テムズ・ロンドン自治区(London Borough of Richmond upon Thames)のイーストシーン地区(East Sheen)内である。
また、北側へ大きくせり出した瘤の頂点辺りで、ハマースミス橋(Hammersmith Bridge→2019年2月16日 / 2月24日付ブログで紹介済)経由、テムズ側の北岸にあるハマースミス・アンド・フラム・ロンドン自治区(London Borough of Hammersmith and Fulham)のハマースミス地区(Hammersmith)と繋がっている。
そして、テムズ河の下流にあるパットニー橋(Putney Bridge)経由、テムズ河の北岸にあるハマースミス・アンド・フラム・ロンドン自治区のパーソンズ・グリーン地区(Parsons Green)を繋がっているが、正確には、パットニー橋があるのは、ワンズワース・ロンドン自治区(London Borough of Wandsworth)内である。

と言う訳で、バーンズ地区自体がテムズ河の北岸と繋がっているのは、実質的には、ハマースミス橋を経由してのみで、改修工事等の関係で、ハマースミス橋が閉鎖されてしまうと、バーンズ地区は、所謂、「陸の孤島」状態になってしまうのである。

バーンズ地区内にあるロンズデールロード(Lonsdale Road)沿いに
建ち並ぶ高級住宅街(その2)

テムズ川の北岸にあるハマースミス地区内には、地下鉄ハマースミス駅(Hammersmith Tube Station)があり、

(1)地下鉄ハマースミス駅を始発駅とするサークルライン(Circle Line)とハマースミス・アンド・シティーライン(Hammersmith and City Line)を使って、シティー・オブ・ロンドン(City of London→2018年8月4日 / 8月11日付ブログで紹介済)の北側方面へ、
(2)ピカデリーライン(Piccadilly Line)を使って、ウェストエンド(West End)方面へ、そして、
(3)ディストリクトライン(District Line)を使って、シティー・オブ・ロンドンの南側方面へと

行くことが可能で、非常に交通の便が良いため、ハマースミス橋を渡ったテムズ河の南岸にあるバーンズ地区には、ロンドン市内へと通う会社勤めの人も、かなり多く住んでいる。

バーンズ地区の西エリアと北東エリアには、18世紀 / 19世紀に建てられた住宅街が広がっており、南東エリアには、WWT London Wetland Centre と呼ばれる湿原があり、保存されている。

2019年3月10日日曜日

ロンドン バーンズ地区(Barnes)–その1

バーンズ地区内にあるロンズデールロード(Lonsdale Road)沿いに建ち並ぶ高級住宅街

サー・アーサー・コナン・ドイル作「六つのナポレオン像(The Six Napoleons)」は、ある夜、スコットランドヤードのレストレード警部(Inspector Lestrade)がベーカーストリート221Bのシャーロック・ホームズの元を訪れるところから、物語が始まる。

最近、ロンドンの街中で何者かが画廊や住居等に押し入って、ナポレオンの石膏胸像を壊してまわっていたのだ。そのため、レストレード警部はホームズのところへ相談に来たのである。最初の事件は、4日前にモース・ハドソン氏(Mr Morse Hudson)がテムズ河(River Thames)の南側にあるケニントンロード(Kennington Road→2016年6月11日付ブログで紹介済)で経営している画廊で、そして、2番目の事件は、昨夜、バーニコット博士(Dr Barnicot)の住まい(ケニントンロード)と診療所(ロウワーブリクストンロード(Lower Brixton Road)→2017年7月20日付ブログで紹介済)で発生していた。続いて、3番目の事件がケンジントン地区(Kensington)のピットストリート131番地(131 Pitt Street→2016年6月18日付ブログで紹介済)にあるセントラル通信社(Central Press Syndicate)の新聞記者ホーレス・ハーカー氏(Mr Horace Harker)の自宅で起きたのであった。4体目の石膏胸像が狙われた上に、今回は殺人事件にまで発展したのだ。

ハマースミス橋(Hammersmith Bridge)を渡って
バーンズ地区内に入ったところ

ステップニー地区(Stepney→2016年7月16日付ブログで紹介済)のチャーチストリート(Church Street)にあるゲルダー社(Gelder and Co.)を訪れたホームズとジョン・H・ワトスンは、ナポレオンの石膏胸像が全部で6体制作され、3体がケニントンロードのモース・ハドソン氏の画廊へ、そして、残りの3体はケンジントンハイストリート(Kensington High Street→2016年7月9日付ブログで紹介済)のハーディングブラザーズ(Harding Brothers)の店へ送られたことを聞き出す。モース・ハドソン氏の画廊へ送られた3体は、全て何者かによって壊されたため、ホームズとワトスンはハーディングブラザーズの店へ出向き、ホーレス・ハーカー氏が購入した1体を除く残りの2体の行方について尋ねたのであった。


この大商店の創始者は、きびきびとして歯切れのいい小柄な男で、こざっぱりした服装をしていた。また、頭の回転が速く、口が達者な男だった。
「ええ、夕刊で既にその記事を読みました。ホーレス・ハーカーさんは、私どもの顧客でございます。数ヶ月前に彼に問題の胸像を配達しました。同じ種類の胸像は、ステップニー地区にあるゲルダー社に注文しましたが、もう全部売れてしまいました。誰にですって?ああ、売上台帳を見れば、簡単にお教えできますよ。ここに記載してあります。一つは、既に御存知の通り、ハーカーさん、もう一つは、チジック、ラバーナムヴェール、ラバーナム荘のジョサイア・ブラウンさん、最後の一つは、レディング、ロウワーグローヴロードのサンドフォードさんです。」

The founder of that great emporium proved to be a brisk, crisp little person, very dapper and quick, with a clear head and a ready tongue. 
'Yes, sir, I have already read the account in the evening papers. Mr Horace Harker is a customer of ours. We supplied him with the bust some months ago. We ordered three busts of that sort from Gelder and Co., of Stepney. They are all sold now. To whom? Oh I dare say by consulting our sales book we could very easily tell you. Yes, we have the entries here. One to Mr Harker, you see, and one to Mr Josiah Brown, of Laburnum Lodge, Laburnum Vale, Chiswick, and one to Mr Sanderford, of Lower Grove Road, Reading.'

11時にベーカーストリート221Bの戸口に四輪馬車が横付けされた。私達はそれに乗って、ハマースミス橋の反対側の場所へと向かった。そこで、馬車の御者は待つように指示された。少しばかり歩くと、一目につかない道に出た。その道の周辺には、自分の敷地にそれぞれ建てられた感じの良い家が並んでいた。街灯の明かりで、それらの家の一つの門柱に「ラバーナム荘」と書かれていることが見てとれた。住人は既に就寝しているようだった。というのも、玄関口の上の扇形の明かりを除くと、家全体が真っ暗だったからだ。扇形の明かりは、庭の小道にぼんやりとした光の輪を落としていた。庭を道から隔てる木製の塀が、内側に濃く、そして、黒い影を落としていた。私達は、正に、その影の中にしゃがみ込んで、身体を低くしたのである。

A four-wheeler was at the door at eleven, and in it we drove to a spot at the other side of Hammersmith Bridge. Here the cabman was directed to wait. A short walk brought us to a secluded road fringed with pleasant houses, each standing in its own grounds. In the light of a street lamp we read 'Laburnum Villa' upon the gatepost of one of them. The occupants had evidently retired, for all was dark save for a fanlight over the hall door, which shed a single blurred circle on the garden path, The wooden fence which separated the grounds from the road threw a dense black shadow upon the inner side, and here it was that we crouched.

ロンズデールロードから
カステルノー通り(Castelnau−ハマースミス橋から真っ直ぐ南下する道路)を
見たところ

夜の11時過ぎに、ホームズ、ワトスンとレストレード警部の3人が四輪馬車で向かった「ハマースミス橋(Hammersmith Bridge→2019年2月16日 / 2月24日付ブログで紹介済)の反対側」とは、リッチモンド・アポン・テムズ・ロンドン自治区(London Borough of Richmond upon Thames)のバーンズ地区(Barnes)で、テムズ河(River Thames)の南岸沿いに位置している。

2019年3月3日日曜日

カーター・ディクスン作「九人と死で十人だ」(Nine - and Death makes Ten by Carter Dickson)–その2

東京創元社が発行する創元推理文庫「九人と死で十人だ」の表紙−
    カバーイラスト:ヤマモト マサアキ氏
カバーデザイン:折原 若緒氏
  カバーフォーマット:本山 木犀氏

航海初日が何事もなく過ぎた翌日(1月20日(土))の午前11時、エドワーディック号の甲板では、三等航海士クルクシャンクの指導の下、緊急時に備えた救命ボート訓練が、一般人の乗客8名も含めて、実施された。全員参加が必須であったが、ヴァレリー・チャトフォードとジェローム・ケンワージーの2人が結成して、クルクシャンクの機嫌が非常に悪くなる。彼は「これは生死に関わる重大な問題だ。」と言って、手伝いのボーイに2人を船室から引きずり出すよう、命じる。そうこうしている間に、今度はフランス人のピエール・ブノワ大尉が、いつの間にか、姿を消してしまった。

同日の午後9時、食堂で夕食を終えたマックス・マシューズとエステル・ジア・ベイの二人は、休憩室でブランデーを飲み始め、一緒に酔いつぶれた。
甲板で暫く風にあたって酔いを冷ました二人は、社交室を通り抜けて、中央階段があるホールまでやって来た。すると、ジア・ベイ夫人は、お化粧直しと肩に羽織るものを取って来るため、一旦船室へ戻って行った。その時、中央階段の向かい側にあるエレベーターの上の掛け時計は、午後9時45分を指していた。

ジア・ベイ夫人が船室へ戻ってから、マックス・マシューズは彼女を十数分間待ったが、戻って来ないため、彼女のことが心配になってきた。マックス・マシューズは、ジア・ベイ夫人の様子を見に行くために、階段を下りて、B甲板へと着いた。マックス・マシューズは、ジア・ベイ夫人の部屋B37号室をノックするが、内から全く返事がなかった。三度目のノックの後、マックス・マシューズはドアを開けて、ジア・ベイ夫人の部屋へ入った。
室内は暗く、右隅の浴室内に灯る薄明かりで、ジア・ベイ夫人が化粧机の前にスツールにこちらへ背を向けて座り、机に顔を伏せているのが、朧げに見えた。一見すると、彼女は化粧直しをしている最中に寝入ってしまったかのようだった。マックス・マシューズが寝室の明かりをつけると、化粧机の鏡に飛び散った血しぶきが、彼の目に飛び込んできた。彼が彼女の周りを見ると、一面血の海だった。ジア・ベイ夫人は、何者かによって、喉を掻き切られていたのである。

マックス・マシューズは、部屋を出ると、近くに居た船室係に、兄で船長のフランシス・マシューズ海軍中佐を至急呼んでくるように伝えた。5分も経たないうちに、フランシス・マシューズ海軍中佐がやって来て、マックス・マシューズと一緒に、ジア・ベイ夫人の遺体を調べ始めた。すると、彼女の白いドレスの右肩に、親指と思われる血染めの指紋が、明瞭に残されていたのである。それに、ややぼやけているいるものの、遺体の左腰にも、指紋がもう一つあった。これらの指紋は、ジア・ベイ夫人の喉を掻き切った犯人のもので、ジア・ベイ夫人の喉から飛び散った血しぶきの量に動転した犯人が慌てて逃げる際に、誤って残したのだと、二人には推測できた。