2024年11月13日水曜日

ベアトリス・ポター生誕150周年記念切手 - その3

英国のファンタジー / SF / 推理作家であるフィリップ・パーサー=ハラード(Philip Purser-Hallard:1971年ー)が2023年に発表した「シャーロック・ホームズ / 湖の怪物」(Sherlock Holmes / The Monster of the Mere → 2024年10月30日付ブログで紹介済)は、英国の湖水地方(Lake District)を舞台にしている。

湖水地方と言うと、思い出されるのが、英国の絵本作家であるヘレン・ベアトリス・ポター(Helen Beatrix Potter:1866年ー1943年)と彼女が生み出したピーターラビット(Peter Rabbit)である。


2016年7月28日に、ヘレン・ベアトリス・ポターの生誕150周年を記念した切手10種類が、英国のロイヤルメール(Royal Mail)から発行されているので、前々回(11月7日)と前回(11月9日)に引き続き、紹介したい。


(5)こねこのトム(Tom Kitten)



「こねこのトムのおはなし(The Tale of Tom Kitten)」において、母親(Mrs. Tabitha Twitchit)がお友達を招いてお茶会を開く日、子猫のトムと妹達(Mittens / Moppet)は、母親におめかしをしてもらうが、残念ながら、彼らは、折角の素敵な洋服をダメしてしまう。

次作の「ひげねずみサミュエルのおはなし あるいは、ねんねこロール(The Tale of Samuel Whiskers or, The Rolv-Polv Pudding)」では、子猫のトムは、ネズミ達に捕まってしまい、夕食のねんねこロールにされてしまいそうになる。


<こねこのトムの登場作品>

*「こねこのトムのおはなし」(1907年)

*「ひげねずみサミュエルのおはなし あるいは、ねんねこロール」(1908年)


(6)ベンジャミンバニー(Benjamin Bunny)



ベンジャミンバニーは、ピーターラビット(Peter Rabbit)の従兄で、マクレガーおじさん(Mr. McGregor)の古い毛糸の帽子を冠っている。


ベンジャミンバニーが登場する「ベンジャミンバニーのおはなし(The Tale of Benjamin Bunny)」は、「ピーターラビットのおはなし(The Tale of Peter Rabbit)」(1902年)の続編で、母親の言い付けを守らず、マクレガーおじさんの畑へ忍び込んで、マクレガーおじさんに見つかり、上着と靴を忘れて来た大変な悪戯っ子であるピーターラビットは、従兄のベンジャミンバニーと一緒に、取り返しに行く。

ピーターラビットとベンジャミンバニーは、マクレガーおじさんの飼い猫に見つかってしまい、玉葱用の大きな籠に隠れるものの、その籠の上で猫が昼寝を始めてしまう事態に陥るのである。


<ベンジャミンバニーの登場作品>

*「ベンジャミンバニーのおはなし」(1904年)

*「フロプシーのこどもたち(The Tale of Flopsy Bunnies)」(1909年)

*「キツネのトッドのおはなし(The Tale of Mr. Tod)」(1912年)


                                    

2024年11月12日火曜日

ウィリアム・シェイクスピア作「ソネット集第98番」(’Sonnet 98 : From you have I been absent in the spring’ by William Shakespeare)

日本の出版社である株式会社 文藝春秋から
文春文庫として出版されている
「シェイクスピアのソネット」の表紙
装画:山本 容子(1952年ー : 日本の銅版画家)
デザイン:十河 岳男


エルキュール・ポワロやミス・ジェイン・マープル等のシリーズ探偵を生み出したアガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が、メアリー・ウェストマコット(Mary Westmacott)名義で、第二次世界大戦(1939年ー1945年)中の1944年に発表した長編小説「春にして君を離れ(Absent in the Spring → 2024年11月10日付ブログで紹介済)」は、ロマンス小説と分類される全6作のうち、第3作目に該る。


なお、メアリー・ウェストマコット名義で発表されたロマンス小説は、以下の通り。


(1)「愛の旋律(Giant’s Bread)」(1930年)

(2)「未完の肖像(Unfinished Portrait)」(1934年)

(3)「春にして君を離れ」(1944年)

(4)「暗い抱擁(The Rose and the Yew Tree)」(1948年)

(5)「娘は娘(A Daughter’s a Daughter)」(1952年)

(6)「愛の重さ(The Burden)」(1956年)


文春文庫「シェイクスピアのソネット」に挿入されている
ウィリアム・シェイクスピアの肖像画
絵:山本 容子

タイトルに関しては、英国(イングランド)の劇作家 / 詩人であるウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare:1564年ー1616年)による「ソネット集第98番(Sonnet 98)」の一節である「From you have I been absent in the spring」から採られている。


今回は、「ソネット集第98番」の一節である「From you have I been absent in the spring」について、紹介したい。


文春文庫「シェイクスピアのソネット」のうち、
「ソネット集第98番」の挿絵
絵:山本 容子

Sonnet 98 : From you have I been absent in the spring

<小田島 雄志(1930年ー : 日本の英文学者 / 演劇評論家)訳>


From you have I been absent in the spring,

あなたから離れているあいだ、季節は春でした。


When proud-pied April, dressed in all his trim,

華やかなまだら模様の(晴着をつけた)四月が


Hath put a spirit of youth in everything,

万物に青春のはずむような息吹きを送りこんだので、


That heavy Saturn laughed and leaped with him.

陰気な農耕神(サターン)さえいっしょに踊り浮かれたほどでした。


Yet nor the lays of birds, nor the sweet smell

だが小鳥たちの歌を聞いても、色とりどりに咲く


Of different flowers in odour and in hue,

花それぞれの甘い香りをかいでも、私は


Could make me any summer’s story tell,

楽しい夏物語を語る気にはなれなかったし、


Or from their proud lap pluck them where they grew:

咲き誇る花床から花を摘む気にもなれませんでした。


Nor did I wonder at the lily’s white,

また、純白の百合を讃嘆することもなく、


Nor praise the deep vermilion in the rose;

深紅のバラを称賛することもありませんでした。


They were but sweet, but figures of delight

この花々は甘く香るだけのもの、喜びの模写、


Drawn after you, – you pattern of all those.

あなたをモデルにして描いたあなたの似姿にすぎません。


 Yet seem’d it winter still, and, you away,

 だが私には永い冬に思われ、あなたがいないから


 As with your shadow I with these did play.

 あなたの影と思って花々とたわむれたのでした。


                                        

2024年11月11日月曜日

ロンドン市内にあるジョスリン・バーバラ・ヘップワース彫刻作品(Sculptures in London by Jocelyn Barbara Hepworth)- その3


前々回の「翼がある形(Winged Figure → 2024年11月6日付ブログで紹介済)」と前回の「サギ(Heron → 2024年11月8日付ブログで紹介済)」に続き、英国の芸術家 / 彫刻家で、英国コンウォール州(Cornwall)にあるセントアイヴス(St. Ives)に住む芸術家のコミュニティーにおいて、主導的な役割を果たした人物であるジョスリン・バーバラ・ヘップワース(JocelynBarbara Hepworth:1903年ー1975年 → 2024年10月1日 / 10月31日 / 11月2日付ブログで紹介済)による彫刻作品のうち、ロンドン市内にある分について、紹介したい。



3つ目は、ジョスリン・バーバラ・ヘップワースが1953年に制作した「天空の石柱(Monolith-Empyrean = Heavenly Stone)」で、ロンドン中心部にあるカムデン・ロンドン特別区(London Borough of Camden)区のハムステッド地区(Hampstead → 2018年8月26日付ブログで紹介済)内に所在している。




地下鉄ノーザンライン(Northern Line)が通る地下鉄ハムステッド駅(Hampstead Tube Station)の前を通り、ヒースストリート(Heath Street)を北上。




ヒースストリートは、地下鉄ゴルダースグリーン駅(Golders Green Tube Station)方面へと向かうノースエンドウェイ(North End Way)とハムステッドヒース(Hampstead Heath → 2015年4月25日付ブログで紹介済)沿いを通るスパニアーズロード(Spaniards Road)の2つに分岐する。



ハムステッドレーン(Hampstead Lane)へと名前を変えるスパニアーズロードを右折して、ケンウッドハウス駐車場(Kenwood Hose Car Park)を通り、ケンウッドハウス(Kenwood House → 2018年9月23日付ブログで紹介済)へと向かうと、ケンウッドハウスが建つ場所の横の芝生の上に、ジョスリン・バーバラ・ヘップワース作「天空の石柱」が設置されている。



ジョスリン・バーバラ・ヘップワース作「天空の石柱」は、以前、テムズ河(River Thames)南岸にあるサウスバンク(Southbank)内に設置されていたが、ロンドンカウンティーカウンシル(London County Council)が1959年に同彫刻作品を購入して、ハムステッドヒースへと移設され、現在に至っている。


2024年11月10日日曜日

アガサ・クリスティー作「春にして君を離れ」(’Absent in the Spring’ by Agatha Christie)- その1

日本の出版社である早川書房から
クリスティー文庫の1冊として出版されている
アガサ・クリスティー作「春にして君を離れ」の表紙
Photograph : CORBIS / amana images
Cover Design : Hayakawa Design


「春にして君を離れ(Absent in the Spring)」は、 エルキュール・ポワロやミス・ジェイン・マープル等のシリーズ探偵を生み出したアガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が、メアリー・ウェストマコット(Mary Westmacott)名義で、第二次世界大戦(1939年ー1945年)中の1944年に発表した長編小説である。


「春にして君を離れ」は、メアリー・ウェストマコット名義で発表されたロマンス小説と分類される全6作のうち、第3作目に該る。

なお、メアリー・ウェストマコット名義で発表されたロマンス小説は、以下の通り。


(1)「愛の旋律(Giant’s Bread)」(1930年)

(2)「未完の肖像(Unfinished Portrait)」(1934年)

(3)「春にして君を離れ」(1944年)

(4)「暗い抱擁(The Rose and the Yew Tree)」(1948年)

(5)「娘は娘(A Daughter’s a Daughter)」(1952年)

(6)「愛の重さ(The Burden)」(1956年)


アガサ・クリスティーの自伝によると、「春にして君を離れ」の構想については、長い間、頭の中で既に練り上がられていたので、僅か3日で執筆した、とのこと。

タイトルに関しては、英国(イングランド)の劇作家 / 詩人であるウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare:1564年ー1616年)による「ソネット集第98番(Sonnet 98)」の一節である「From you have I been absent in the spring」から採られている。


「春にして君を離れ」は、英国において、コリンズ社(William Collins & Sons)から1944年8月に、また、米国において、Farrar & Rinehart 社から同年内に出版された。


「春にして君を離れ」の場合、厳密な意味では、事件を解決する推理小説ではないものの、本作品の日本語訳版を出版する早川書房(Hayakawa Publishing, Inc.)は、本作品を「ロマンチック・サスペンス」として紹介している。


2024年11月9日土曜日

ベアトリス・ポター生誕150周年記念切手 - その2

英国のファンタジー / SF / 推理作家であるフィリップ・パーサー=ハラード(Philip Purser-Hallard:1971年ー)が2023年に発表した「シャーロック・ホームズ / 湖の怪物」(Sherlock Holmes / The Monster of the Mere → 2024年10月30日付ブログで紹介済)は、英国の湖水地方(Lake District)を舞台にしている。

湖水地方と言うと、思い出されるのが、英国の絵本作家であるヘレン・ベアトリス・ポター(Helen Beatrix Potter:1866年ー1943年)と彼女が生み出したピーターラビット(Peter Rabbit)である。


2016年7月28日に、ヘレン・ベアトリス・ポターの生誕150周年を記念した切手10種類が、英国のロイヤルメール(Royal Mail)から発行されているので、前回(11月7日)に引き続き、紹介したい。


(3)赤りすのナトキン(Squirrel Nutkin)




赤りすのナトキンは、従兄弟達と一緒に、湖を渡って、フクロウの島で木の実を探す。

従兄弟達に対してナゾナゾをだしてふざけるナトキンは、フクロウのブラウンじいさま(Old Brown)の怒りを買い、御仕置きを受ける羽目になり、尻尾を半分失ってしまう。


<赤りすのナトキンの登場作品>

*「赤りすナトキンのおはなし(The Tale of Squirrel Nutkin)」(1903年)


「ピーターラビットのおはなし(The Tale of Peter Rabbit)」(1902年)は、1893年9月4日に、ヘレン・ベアトリス・ポターが友人アニー・ムーア(Annie Moore)の息子である病床のノエル少年(Noel - 5歳)に対して送った絵手紙が原型であるが、「赤りすナトキンのおはなし」も同じように、彼女の絵手紙が元になっている。


(4)あひるのジマイマ(Jemima Puddle-Duck)



ジマイマは、ヘレン・ベアトリス・ポターが住んでいたカンブリア州(Cumbria)ニアソーリー(Near Sawrey)に所在するヒルトップ農場(Hill Top Farm)に実際に居たアヒルが、そのモデルとなっている。


あひるのジマイマは、自分で卵を孵すために、卵を抱く場所を農場から離れたところで見つけようとする。その時、ジマイマは、キツネの紳士(gentleman fox)に出会い、彼から「自分の夏の住まいを貸してあげよう。」と言われた。キツネの紳士の言葉を信じたジマイマは、彼に付いて行くが、大変な目に遭うことになる。


<あひるのジマイマの登場作品>

*「あひるのジマイマのおはなし(The Tale of Jemima Puddle-Duck)」(1908年)


「あひるのジマイマのおはなし」は、ヘレン・ベアトリス・ポターが住んでいたヒルトップ農場とその周辺が、舞台となっている。


                                       

2024年11月8日金曜日

ロンドン市内にあるジョスリン・バーバラ・ヘップワース彫刻作品(Sculptures in London by Jocelyn Barbara Hepworth)- その2

ジョージストリート側から
フラットである「ヘロンプレイス」の外壁に設置された
ジョスリン・バーバラ・ヘップワース作彫刻作品「サギ」を見上げたところ


前回の「翼がある形(Winged Figure → 2024年11月日付ブログで紹介済)」に続き、英国の芸術家 / 彫刻家で、英国コンウォール州(Cornwall)にあるセントアイヴス(St. Ives)に住む芸術家のコミュニティーにおいて、主導的な役割を果たした人物であるジョスリン・バーバラ・ヘップワース(JocelynBarbara Hepworth:1903年ー1975年 → 2024年10月1日 / 10月31日 / 11月2日付ブログで紹介済)による彫刻作品のうち、ロンドン市内にある分について、紹介したい。



2つ目は、ジョスリン・バーバラ・ヘップワースが制作した「サギ(Heron)」で、ロンドン中心部のシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)区のマリルボーン地区(Marylebone)内に所在している。


セイヤーストリート側から
フラットである「ヘロンプレイス」を見上げたところ

地下鉄セントラルライン(Central Line)が通るトッテナムコートロード駅(Tottenham Court Road Tube Station)、オックスフォードサーカス駅(Oxford Circus Tube Station)、ボンドストリート駅(Bond Street Tube Station)およびマーブルアーチ駅(Marble Arch Tube Station)を東西に結ぶオックスフォードストリート(Oxford Street → 2016年5月28日付ブログで紹介済)をマーブルアーチ駅方面へ、即ち、西方向へ進み、ボンドストリート駅を過ぎた後、ジェイムズストリート(James Street)へ右折。

ジェイムズストリートを北上すると、同通りは、ジェイムズストリートからマンデヴィルプレイス(Mandeville Place)、そして、セイヤーストリート(Thayer Street)へと、名前を変える。


ジョージストリート側に面した
フラットである「ヘロンプレイス」の入口(その1)

更にセイヤーストリートを北上し、東西に延びるジョージストリート(George Street)と交差した北西の角に、「ヘロンプレイス(Heron Place - 住所:3 George Street, Marylebone, London W1U 3QQ)」と呼ばれるフラットが建っている。


ジョージストリート側に面した
フラットである「ヘロンプレイス」の入口(その2)

「ヘロンプレイス」の場合、設計を E. S. Boyer and Partners が、また、建設を Gilbert Ash Ltd. が担当して、1967年3月7日に竣工している。

「ヘロンプレイス」の建物は、南北に延びるセイヤーストリートと東西に延びるジョージストリートの両方に面しているが、建物(フラット)の入口は、ジョージストリート側にある。


フラットである「ヘロンプレイス」の外壁に設置された
ジョスリン・バーバラ・ヘップワース作彫刻作品「サギ」のアップ

ジョージストリートに面した「ヘロンプレイス」の3階と4階に該る外壁に、ジョスリン・バーバラ・ヘップワースが制作した「サギ」が設置されている。


2024年11月7日木曜日

ベアトリス・ポター生誕150周年記念切手 - その1

英国のファンタジー / SF / 推理作家であるフィリップ・パーサー=ハラード(Philip Purser-Hallard:1971年ー)が2023年に発表した「シャーロック・ホームズ / 湖の怪物」(Sherlock Holmes / The Monster of the Mere → 2024年10月30日付ブログで紹介済)は、英国の湖水地方(Lake District)を舞台にしている。

湖水地方と言うと、思い出されるのが、英国の絵本作家であるヘレン・ベアトリス・ポター(Helen Beatrix Potter:1866年ー1943年)と彼女が生み出したピーターラビット(Peter Rabbit)である。


2016年7月28日に、ヘレン・ベアトリス・ポターの生誕150周年を記念した切手10種類が、英国のロイヤルメール(Royal Mail)から発行されているので、今回から4回に渡って紹介したい。


(1)ピーターラビット



 ピーターラビットは、ヘレン・ベアトリス・ポターによる児童書に登場する主役キャラクターである。

大変な悪戯っ子であるピーターラビットは、お母さんに「マクレガーおじさん(Mr. McGregor)の畑には、絶対行かないように。」といつも注意を受けているが、お母さんの言い付けを守らず、畑へ忍び込んで、マクレガーおじさんに見つかってしまうことを繰り返している。


ピーターラビットは、1893年9月4日に、ヘレン・ベアトリス・ポターが友人アニー・ムーア(Annie Moore)の息子である病床のノエル少年(Noel - 5歳)に対して送った絵手紙が原型となっている。


<ピーターラビットの登場作品>

*「ピーターラビットのおはなし(The Tale of Peter Rabbit)」(1902年)

*「ベンジャミンバニーのおはなし(The Tale of Benjamin Bunny)」(1904年)

*「はりねずみティギー(The Tale of Mrs. Tiggy-Winkle)」(1905年)

*「フロプシーのこどもたち(The Tale of Flopsy Bunnies)」(1909年)

*「ジンジャーとピクルスのおはなし(The Tale of Ginger and Pickles)」(1909年)

*「キツネのトッドのおはなし(The Tale of Mr. Tod)」(1912年)


(2)ティギー・ウィンクルおばさん(Mrs. Tiggy-Winkle)



ティギー・ウィンクルは、小さくて太った、そして、キラキラとした瞳を持つ洗濯おばさんである。

はりねずみである彼女のずきんの下には、棘があり、ピーターラビットの上着等の洗濯物を取り扱いっている。


<ティギー・ウィンクルおばさんの登場作品>

*「はりねずみティギー」(1905年)


         

2024年11月6日水曜日

ロンドン市内にあるジョスリン・バーバラ・ヘップワース彫刻作品(Sculptures in London by Jocelyn Barbara Hepworth)- その1


今回から、英国の芸術家 / 彫刻家で、英国コンウォール州(Cornwall)にあるセントアイヴス(St. Ives)に住む芸術家のコミュニティーにおいて、主導的な役割を果たした人物であるジョスリン・バーバラ・ヘップワース(JocelynBarbara Hepworth:1903年ー1975年 → 2024年10月1日 / 10月31日 / 11月2日付ブログで紹介済)による彫刻作品のうち、ロンドン市内にある分について、紹介したい。



1つ目は、ジョスリン・バーバラ・ヘップワースが1963年に制作した「翼がある形(Winged Figure)」で、ロンドン中心部のシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)区内に所在している。



同作品は、地下鉄セントラルライン(Central Line)が通るトッテナムコートロード駅(Tottenham Court Road Tube Station)、オックスフォードサーカス駅(Oxford Circus Tube Station)、ボンドストリート駅(Bond Street Tube Station)およびマーブルアーチ駅(Marble Arch Tube Station)を東西に結ぶオックスフォードストリート(Oxford Street → 2016年5月28日付ブログで紹介済)に面して建つデパート「ジョン・ルイス&パートナーズ(John Lewis & Partners)」の南東の角、ホールズストリート(Holles Street)に面した外壁に設置されている。



第二次世界大戦(1939年-1945年)中に被災した「ジョン・ルイス&パートナーズ」デパートは、再建を経て、1961年に再オープンを迎える。

当初、「ジョン・ルイス&パートナーズ」デパートは、米国出身で、後に英国に帰化した彫刻家であるジェイコブ・エプスタイン(Jacob Epstein:1880年ー1959年)に対して、彫刻作品の制作を依頼したが、別件の作品制作で多忙であることを理由に、彼に断られてしまった。

そのため、「ジョン・ルイス&パートナーズ」デパートは、1961年5月、ジョスリン・バーバラ・ヘップワースを含む彫刻家7名に対して、彫刻作品のデザインを依頼。ジョスリン・バーバラ・ヘップワースを除く彫刻家6名が提出したデザイン案は、「ジョン・ルイス&パートナーズ」デパート側によって採用されなかった。

ジョスリン・バーバラ・ヘップワースが1961年10月に提出したデザイン案も採用されなかったが、第2案が「ジョン・ルイス&パートナーズ」デパート側によって採用された。これが、「翼がある形」である。



「ジョン・ルイス&パートナーズ」デパート側によって採用されたデザイン第2案に基づいて、ジョスリン・バーバラ・ヘップワースは、作品の制作に取り掛かった。

1960年に、彼女は、通りを挟んで、コンウォール州(Cornwall)セントアイヴス(St. Ives)に所在する自宅のトレウィンスタジオ(Trewyn Sudios)の向かい側にある元映画 / ダンスホールのパレ・ド・ダンス(Palais de Danse)を購入して、スタジオ面積を広げていた。スタジオの追加購入により、彼女は、大型の彫刻作品を制作できるようになったのである。

「翼がある形」は、パレ・ド・ダンスにおいて、ジョスリン・バーバラ・ヘップワースが最初に制作する彫刻作品となった。なお、1962年に彼女が木材やアルミニウムで作成したプロトタイプは、現在、ヨークシャー州(Yorkshire)ウェイクフィールド(Wakefield)にあるヘップワース博物館(Hepworth Museum)に所蔵されている。



ジョスリン・バーバラ・ヘップワースが制作したブロンズ製の「翼がある形」(高さ:約6m)は、1963年4月21日(日)、「ジョン・ルイス&パートナーズ」デパートの南東の角、ホールズストリートに面した外壁に設置された。

2013年に設置後50周年を迎えた同作品は、改修を受け、2016年1月に Grade II listing に指定された。



2024年11月5日火曜日

ロンドン ウェストキャリッジドライブ(West Carriage Drive)

手前にみえるのが、ハイドパーク内を南北に縦断しているウェストキャレッジドライブ。

英国イーストサセックス州(East Sussex)ルイス(Lewes)出身の作家であるジェイムズ・マシュー・ヘンリー・ラブグローヴ(James Matthew Henry Lovegrove:1965年ー)が2020年に発表した「シャーロック・ホームズとステイプルトンの獣」(Sherlock Holmes and the Beast of the Stapletons → 2024年xx日付ブログで紹介済)」は、サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年-1930年)作「バスカヴィル家の犬(The Hound of the Baskervilles)」の続編となっており、1894年の秋から、物語が始まる。


英国の Titan Publishing Group Ltd から、Titan Books シリーズとして、
2021年に刊行されている
 ジェイムズ・ラヴグローヴ
作「シャーロック・ホームズとステイプルトンの獣」の
ペーパーバック版表紙

(Design by Julia Lloyd


1889年の秋(10月)、デヴォン州(Devon)南部に広がる荒野ダートムーア(Dartmoor)内に所在するメリピットハウス(Merripit House)に住む昆虫学者であるジャック・ステイプルトン(Jack Stapleton)が、ダートムーアに伝わる魔犬伝説を使い、バスカヴィル家の当主であるサー・チャールズ・バスカヴィル(Sir Charles Baskerville)を心臓麻痺へと追い込み、後を継いだサー・ヘンリー・バスカヴィル(Sir Henry Baskerville)の命も奪おうとした「バスカヴィル家の犬」事件が解決してから、既に5年が経過していた。

また、「空き家の冒険(The Empty House → 2022年5月27日 / 7月1日 / 7月10日 / 7月17日 / 7月24日 / 7月29日 / 8月3日 / 8月6日付ブログで紹介済)」を経て、シャーロック・ホームズが1894年4月にロンドンへと帰還してから、半年が経っていた。

更に、ホームズの相棒であるジョン・H・ワトスンは、妻のメアリー(Mary)を亡くして、独り身となっていた。


ヴィクトリアゲート(Victoria Gate)近くにあるハイドパーク内の案内板 -
案内板の左上にみえる赤い丸が現在位置を示している。


ワトスンは、午前中の診療を終えると、午後、ケンジントン地区(Kensington → 2023年12月12日 / 12月17日付ブログで紹介済)の自宅を出て、ハイドパーク(Hyde Park → 2015年3月4日付ブログで紹介済)経由、ホームズが住むベイカーストリート221B(221B Baker Street)へと出かける。

サーペンタイン湖(The Serpentine → 2015年3月15日付ブログで紹介済)を過ぎて、ワトスンがウェストキャリッジドライブ(West Carriage Drive)を歩いていると、突然、大きな黒い犬が彼に向かって駆けて来るのが見えた。「バスカヴィル家の犬」事件の魔犬のことが頭に過ぎったワトスンは、思わず、恐怖する。

結果的に、何事もなかったものの、ワトスンは、犬の飼い主である中年の男性との間で、揉め事になったが、自分達の周りに人集りができたため、ワトスンは、早々にその場を立ち去るのであった。


ハイドパーク内にあるサーペンタイン湖


ベイカーストリート221Bを訪れたワトスンを、ホームズが快く出迎えた。ホームズによると、「事件の相談者が来ている。」とのことだった。

事件の相談者は、米国人の黒人の青年で、ベンジャミン・グリア伍長(Corporal Benjamin Grier)と名乗った。彼は、「カナダ生まれの友人のことで、至急、相談したい。」と言う。そして、驚くことに、ベンジャミン・グリア伍長は、カナダ生まれの友人として、「サー・ヘンリー・バスカヴィル」の名前を出したのである。


ヴィクトリアゲートの柱


ウェストキャリッジドライブは、ハイドパークとケンジントンガーデンズ(Kensington Gardens)を東西に分ける通りである。


ヴィクトリアゲートの上にある像


ウェストキャリッジドライブの北側は、ハイドパーク / ケンジントンガーデンズの北側を東西に延びるベイズウォーターロード(Bayswater Road)に面するヴィクトリアゲート(Victoria Gate)から始まり、ハイドパークとケンジントンガーデンズを東西に分けるように、南下する。南下するウェストキャリッジドライブは、サーペンタイン湖の上を横切った後、サーペンタインギャラリー(Serpentine Gallery)の前を通過して、その南側は、ハイドパーク / ケンジントンガーデンズの南側を東西に延びるケンジントンロード(Kensington Road)に突き当たって、終わっている。


ハイドパーク内では、乗馬の練習が行われている


ウェストキャリッジドライブが東西に分けるハイドパーク / ケンジントンガーデンズ内では、乗馬の練習風景を頻繁に見受けられる。


2024年11月4日月曜日

ロンドン セントアンズテラス24番地(24 St. Ann’s Terrace)


英国の芸術家 / 彫刻家であるジョスリン・バーバラ・ヘップワース(JocelynBarbara Hepworth:1903年ー1975年 → 2024年10月1日 / 10月31日 / 11月2日付ブログで紹介済)が住んでいた家が、ロンドンの中心部に所在するシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)内にある。


地下鉄ベイカーストリート駅(Baker Street Tube Station)からロンドン北西部に所在する高級住宅地区であるセントジョンズウッド地区(St. John’s Wood → 2014年8月17日付ブログで紹介済)へと向かい、リージェンツパーク(Regent’s Park → 2016年11月19日付ブログで紹介済)を右手にしつつ、ベイカーストリート(Baker Street → 2016年10月1日付ブログで紹介済)、パークロード(Park Road)、そして、ウェリントンロード(Wellington Road)を北上する。

進行方向左手に見えるローズクリケット場(Lord’s Cricket Ground)を過ぎ、地下鉄セントジョンズウッド駅(St. John’s Wood Tube Station)を目前にしたところで、ウェリントンロードからアカシアロード(Acacia Road)へと右折する。



アカシアロードを北上すると、進行方向右手からキングスミルテラス(Kingsmill Terrace)、そして、セントアンズテラス(St. Ann’s Terrace)が、アカシアロードに交差する。

アカシアロードからセントアンズテラスへと左折して、セントアンズテラスを進むと、進行方向左手に、ジョスリン・バーバラ・ヘップワースが住んでいたセントアンズテラス24番地(24 St. Ann’s Terrace, London NW8 6PJ)の建物がある。



土木技師(civil engineer)である父ハーバート・ヘップワース(Herbert Hepworth)と母ガートルード・ヘップワース(Gertrude Hepworth)の長子(長女)として、1903年1月10日、ヨークシャー州(Yorkshire)のウェイクフィールド(Wakefield)に出生したジョスリン・バーバラ・ヘップワースは、1921年からロンドンの王立美術カレッジ(Royal College of Art (RCA))で学び、1924年に学位を取得。

王立美術カレッジの学位取得後、彼女は、留学奨学金を得て、1924年にイタリアのフィレンツェ(Florence)へ向かった。



留学先のフィレンツェにおいて、ジョスリン・バーバラ・ヘップワースは、ローマ賞(Prix-de-Rome)の次点になったが、優勝は、英国の彫刻家であるジョン・ラッテンベリー・スキーピング(John Rattenbury Skeaping:1901年ー1980年)が手にした。

2人は、シエナ(Sienna)とローマ(Rome)を一緒に旅行した後、フィレンツェに戻り、1925年5月13日に結婚する。

結婚後、彼女は、同地において、彫刻家であるジョヴァンニ・アルディーニ(Giovanni Ardini)に師事して、大理石彫刻を学んだ。



ジョスリン・バーバラ・ヘップワースとジョン・ラッテンベリー・スキーピングの2人は、1926年に英国へ戻り、ロンドンのフラットに住居を構えると、そこで共同個展を開催。

そして、1929年には、2人の間に、長男のポール(Paul)が生まれた。



セントアンズテラス24番地の建物外壁には、ジョスリン・バーバラ・ヘップワースがここに住んでいたことを示すイングリッシュヘリテージ(English Heritage)管理のブループラークが架けられている。

当該ブループラークには、「彫刻家のジョスリン・バーバラ・ヘップワース(1903年ー1975年)とジョン・ラッテンベリー・スキーピング(1901年ー1980年)が、1927年にここに住み、制作も行った。(Barbara Hepworth (1903 - 1975) John Skeaping (1901 - 1980) Sculptors lived and worked here in 1927)」と表示されている。