2026年9月6日日曜日

ロンドン タヴィストックスクエア(Tavistock Square)- その2

タヴィストックスクエア内に所在する
タヴィストックスクエアガーデンズ(Tavistock Square Gardens)の内部(その1)
<筆者撮影>

タヴィストックスクエア内に所在するタヴィストックスクエアガーデンズの内部(その2)
<筆者撮影>

1912年8月10日に結婚した英国の小説家 / 評論家であるヴァージニア・ウルフ(Virginia Woolf / 本名:アデリーン・ヴァージニア・スティーヴン(Adeline Virginia Stephen):1882年ー1941年)英国の作家 / 出版業者 / 公務員であるレナード・シドニー・ウルフ(Leonard Sidney Woolf:1880年ー1969年の2人は、1914年の秋から約10年間を過ごしたリッチモンド(Richmond → 2018年3月17日 / 3月24日付ブログで紹介済)を離れ、ロンドンの中心部へと戻り、1924年3月、タヴィストックスクエア52番地(52 Tavistock Square → 2026年8月11日 / 8月17日付ブログで紹介済)に居を構えた。


ナショナルポートレイトギャラリー
(National Portrait Gallery)で販売
されている
ヴァージニア・ウルフの肖像写真の絵葉書
(by George Charles Beresford / 1902年7月 /
platinum print / 152 mm x 108 mm)


レナード・シドニー・ウルフが、1917年3月、パラダイスロード34番地 / ホガースハウス(Hogarth House, 34 Paradise Road → 2026年7月31日 / 8月5日付ブログで紹介済)に設立した出版社「ホガースプレス(Hogarth Press)」に参加したことにより、ヴァージニア・ウルフの精神状態が落ち着き、その結果、執筆にも脂がのってきたこと、また、ヴァージニア・ウルフ自身が若い頃から慣れ親しんできたロンドンの街の刺激が恋しくなったことが、彼らがロンドンの中心部へと戻った理由だった。

2人がパラダイスロード34番地 / ホガースハウスの居間に設立した「ホガースプレス」は、タヴィストックスクエア52番地の建物の地下に設置された。


「Nicholson - Super Scale - London Atlas」から
ブルームズベリー地区近辺の地図を抜粋。



ヴァージニア・ウルフとレナード・シドニー・ウルフの2人は、1924年から第二次世界大戦(1939年-1945年)が始まった1939年までの間、タヴィストックスクエア52番地に住むことになる。

現在、タヴィストックスクエア52番地の跡地には、タヴィストックホテル(Tavistock Hotel)が建っている。


タヴィストックスクエア内に所在するタヴィストックスクエアガーデンズの内部(その3)
<筆者撮影>

タヴィストックスクエア内に所在するタヴィストックスクエアガーデンズの内部(その4)
<筆者撮影>

タヴィストックスクエア内に所在するタヴィストックスクエアガーデンズの内部(その5)
<筆者撮影>


タヴィストックスクエア52番地の建物が面するタヴィストックスクエア(Tavistock Square)には、1920年、第一次世界大戦(1914年ー1918年)中に戦場での爆撃や砲撃(シェル)によって心的外傷を受けた心的外傷後ストレス障害(PTSD)を被った兵士達の治療を行うタヴィストッククリニック(Tavistock Clinic)が設立された。

タヴィストッククリニックは、1946年、タヴィストックスクエアが所在するロンドン中心部のブルームズベリー地区(Bloomsbury)からロンドン北西部のスイスコテージ地区(Swiss Cottage)へと移転。


タヴィストックスクエア内に所在するタヴィストックスクエアガーデンズの内部(その6)
<筆者撮影>

タヴィストックスクエア内に所在するタヴィストックスクエアガーデンズの内部(その7)
<筆者撮影>

タヴィストックスクエア内に所在するタヴィストックスクエアガーデンズの内部(その8)-
ロンドン爆弾テロ事件が発生したのは、画面左端の建物の前辺り。
<筆者撮影>


タヴィストックスクエアの名前を一躍有名にしたのは、2005年7月7日に発生したロンドン爆弾テロ事件である。

ロンドン市内で合計で4つの爆弾テロ事件がほぼ同時に発生し、そのうちの3件は地下鉄内で発生したが、残りの1件は、タヴィストックスクエアに面して建つ英国医師協会(British Medical Association)のビル前を通るバス内で発生。犯人を含む13人が亡くなった上に、多くの負傷者が出た。事件発生後、英国医師協会のスタッフが負傷者の手当を行なっている。


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