2026年9月19日土曜日

ロンドン アッパーベルグレイヴストリート9番地(9 Upper Belgrave Street)

初代テニスン男爵アルフレッド・テニスンが住んでいた
アッパーベルグレイヴストリート9番地の建物を
正面から見たところ
<筆者撮影>

アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1962年に発表したミス・マープルシリーズ作品の長編第8作目「鏡は横にひび割れて(Mirror Crack’d from Side to Side)」では、「ゴシントンホール(Gossington Hall - ミス・マープルの親友であるドリー・バントリー(Dolly Bantry → 2024年8月14日付ブログで紹介済)が所有していた邸宅)」を購入して、最近、セントメアリーミード村(St. Mary Mead)に引っ越して来た米国の映画女優であるマリーナ・グレッグ(Marina Gregg)と彼女の夫で、映画監督であるジェイスン・ラッド(Jason Rudd)が開催したセントジョン野戦病院協会(St. John Ambulance)支援パーティーの席上、マリーナ・グレッグを捕まえて、長い昔話を始めた同協会の幹事を務めるヘザー・バドコック(Mrs. Heather Badcock)が、突然倒れて、死亡してしまう事件が発生する。

スコットランドヤードのダーモット・クラドック主任警部(Chief Inspector Dermot Craddock)が捜査を担当し、検死解剖の結果、ヘザー・バドコックの死因は、推奨量の6倍もの精神安定剤を摂取したことによるもので、その精神安定剤は、マリーナ・グレッグが持っていたダイキリ(daiquiri)のグラス内に混入されており、自分の飲み物をこぼしたヘザー・バドコックに対して、マリーナ・グレッグがそのグラスを手渡したのであった。


英国の Harper Collins Publishers 社から出版されている
アガサ・クリスティー作ミス・マープルシリーズ
「鏡は横にひび割れて」のペーパーバック版の表紙
<イラスト:ビル・ブラッグ氏(Mr. Bill Bragg)>


ヘザー・バドコックとマリーナ・グレッグの会話を近くで聞いていたドリー・バントリーは、ヘザー・バドコックが長話をしている間、マリーナ・グレッグが非常に奇妙な表情を浮かべていたことに気付いた。

その違和感について、ドリー・バントリーは、セントジョン野戦病院協会支援パーティーに参加できなかったミス・マープルに対して、説明を行う。


初代テニスン男爵アルフレッド・テニスンが住んでいた
アッパーベルグレイヴストリート9番地の建物を
右側(東側)から見たところ
<筆者撮影>


「そうではなくて、マリーナ・グレッグの顔をよ。バドコックという女の話なんか、ひとことも聞いていなかったみたいな顔つきをしていたわ。相手の肩ごしに正面の壁を見つめているのよ。その見つめかたがねえ - どうにもわたしには説明できそうにないわ」

「そんなことを言わないで、なんとか努力してみてよ」とミス・マープルは言った。「そこのところが重要な点かもしれないのだから」

「一種の凍りついたような表情だったわ」と彼女は言葉をさがしさがし説明しようとした。「まるで、なにかを見たみたいな - 情景を描写するなんてむずかしいものなのねえ。ああ、そうだわ、『レディ・オブ・シャロット』をおぼえていない?鏡は横にひび割れぬ。”ああ、わが命運もつきたり”と、シャロット姫は叫べり。マリーナもそういった表情をしていたのよ。近頃の人はテニスンなんて古臭いというけれど、わたしは若いときには心をときめかせて『レディ・オブ・シャロット』を読んだものだし、いまだってそうなのよ」

「凍りついたような表情をしていたのね」ミス・マープルは考えこんだ。

(橋本福夫訳)


横にひび割れた鏡 -
ジグソーパズル「アガサ・クリスティーの世界(The World of Agatha Christie)」の一部


アガサ・クリスティー作「鏡は横にひび割れて」の題名は、初代テニスン男爵アルフレッド・テニスン(Alfred Tennyson, 1st Baron Tennyson:1809年ー1892年)による詩「シャロット姫(The Lady of Shalott)」をベースにしている。


テイト・ブリテン美術館(Tate Britain → 2018年2月18日付ブログで紹介済)で購入した
英国の画家であるジョン・ウィリアム・ウォーターハウス
(John William Waterhouse:1849年ー1917年)

「シャロット姫(The Lady of Shalott → 2024年9月28日付ブログで紹介済)」
(1888年)の絵葉書
Oil paint on canvas
153 cm x 200 cm
Presented by Sir Henry Tate in 1894


Out flew the web and floated wide -

The mirror crack’d from side to side;

“The curse is come upon me,” cried

The Lady of Shalott.


織物はとびちり、ひろがれり

鏡は横にひび割れぬ

「ああ、呪いがわが身に」と、

シャロット姫は叫べり。

(橋本福夫訳)


ナショナルポートレイトギャラリー(National Portrait Gallery)で展示されている
アルフレッド・テニスンの肖像画
(By George Frederic Watts / Oil on canvas / 1863年ー1864年頃


アルフレッド・テニスンは、ヴィクトリア朝時代に活躍した英国の詩人で、1830年に単独の詩集となる「Poems Chiefly Lyrical」を発表した後、1832年に詩「シャロット姫」を発表するも、酷評の憂き目に遭い、以降、約10年間沈黙してしまう。

1842年に発表した詩集「Poems by Alfred Tennyson」で復活したアルフレッド・テニスンは、1847年に叙事詩「The Princess」を発表すると、1850年には、英国の代表的なロマン派詩人であるウィリアム・ワーズワース(William Wordsworth:1770年ー1850年 → 2024年12月10日 / 12月11日および2025年2月14日 / 3月17日付ブログで紹介済)の後継者として、「桂冠詩人(宮廷職で、優れた詩人に与えられる称号)」となる。


ナショナルポートレイトギャラリーで販売されている
ウィリアム・ワーズワースの肖像画の葉書
(by Benjamin Robert Haydon / chalk / 1818年 / 546 mm x 419 mm) -
ウィリアム・ワーズワースは、英国の代表的なロマン派詩人で、
湖水地方をこよなく愛した。


2016年に英国の Faber & Faber 社から出版された
ウィリアム・ワーズワース詩集の表紙
<Poems selected by Seamus Heaney>
(Series design by Faber
 / Illustration : Glenn Tomkinson
) 


020年に英国のロイヤルメール(Royal Mail)から発行された
英国の詩人を特集した切手10種類の一人として、
ウィリアム・ワーズワースが選ばれている。


その後も各種の詩の発表を行った彼は、1884年にテニスン男爵(Baron Tennyson)に叙せられた。


初代テニスン男爵アルフレッド・テニスンが住んでいた
アッパーベルグレイヴストリート9番地の GF(1階)の建物外壁
<筆者撮影>


アガサ・クリスティーの長編第2作目で、かつ、トマス・ベレズフォード(Thomas Beresford - 愛称:トミー(Tommy))とプルーデンス・カウリー(Prudence Cowley - 愛称:タペンス(Tuppence))の記念すべきシリーズ第1作目に該る「秘密機関(The Secret Adversary → 2025年7月20日 / 10月1日付ブログで紹介済)」(1922年)において、タペンスが住む寄宿寮(hostel)が所在したサザンベルグレイヴィア(Southern Belgravia)は、ロンドンの中心部であるシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)の高級住宅街ベルグレイヴィア地区(Belgravia)の南側に該る。


「Nicholson - Super Scale - London Atlas」から
ベルグレイヴィア地区近辺の地図を抜粋。



アルフレッド・テニスンが晩年に住んでいた家が、ベルグレイヴィア地区内にある。

それは、アッパーベルグレイヴストリート9番地(9 Upper Belgrave Street)で、ベルグレイヴスクエア(Belgrave Square)の東の角から南東の方面へと延びるアッパーベルグレイヴストリート(Upper Belgrave Street)沿いに建っている。


ベルグレイヴスクエアから南東方向へ延びる
アッパーベルグレイヴストリート(Upper Belgrave Street)沿いの建物(その1)-
画面奥に見えるのが、
ベルグレイヴスクエア。
<筆者撮影>

ベルグレイヴスクエアから南東方向へ延びる
アッパーベルグレイヴストリート沿いの建物(その2)-
画面奥に見えるのが、ホウバートプレイス(Hobart Place)。
<筆者撮影>


具体的には、西側のチェスターストリート(Chester Street)と東側のウィルトンストリート(Wilton Street)に挟まれたアッパーベルグレイヴストリートの北側に所在している。


アッパーベルグレイヴストリート9番地の GF(1階)の建物外壁には、
「初代テニスン男爵アルフレッド・テニスンが、1880年と1881年の間、
此処に住んでいた」ことを示す English Heritage のプラークが掛けられている。

<筆者撮影>


アッパーベルグレイヴストリート9番地の GF(1階)の建物外壁には、「初代テニスン男爵アルフレッド・テニスンが、1880年から1881年の間、此処に住んでいた」ことを示すイングリッシュヘリテージ(English Heritage)のプラークが掛けられている。

アルフレッド・テニスンは1892年になくなっているので、「1880年から1881年の間」というと、彼が70歳代前半の頃である。


0 件のコメント:

コメントを投稿