2026年3月5日木曜日

ヨハネス・フェルメール作「ヴァージナルの前に座る女」(A Lady Seated at the Virginal by Johannes Vermeer)

ナショナルギャラリー内に所蔵 / 展示されている
ヨハネス・フェルメール作「ヴァージナルの前に座る女」
(1671年ー1674年)<その1>
51.5 cm x 45.6 cm / Oil on canvas
<筆者撮影>

ハムステッドヒース(Hampstead Heath → 2015年4月25日付ブログで紹介済)内に建つ「白亜の館」であるケンウッドハウス(Kenwood House → 2018年9月23日付ブログで紹介済)に所蔵 / 展示されているヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer:1632年?ー1675年? / 本名:ヤン・ファン・デル・メール・ファン・デルフト(Jan van der Meer van Delft))作の絵画「ギターを弾く女(The Guitar Player → 2026年2月24日 / 3月1日付ブログで紹介済)」の他に、ヨハネス・フェルメール作の絵画2点が、ナショナルギャラリー(National Gallery)に所蔵 / 展示されている。

トラファルガースクエア(Trafalgar Square)に面したナショナルギャラリー -
画面中央奥に見える
セインズベリーウィング(Sainsbury Wing)が、現在、
ナショナルギャラリーへの入口として使用されている。

<筆者撮影>

今回は、「ヴァージナルの前に立つ女(A Lady Standing at the Virginal → 2026年3月4日付ブログで紹介済)」に続き、「ヴァージナルの前に座る女(A Lady Seated at the Virginal」について、紹介したい。


「ヴァージナルの前に座る女」も、「ギターを弾く女」や「ヴァージナルの前に立つ女」と同じく、ヨハネス・フェルメール晩年(1671年ー1674年)の作品である。

「ヴァージナルの前に立つ女」の場合、立っている女性の黄色いスカートの折り目が非常に立体的で、明暗もハッキリしているのに対して、「ヴァージナルの前に座る女」の場合、座っている女性の青いスカートは質感に乏しく、簡略化されている。

また、「ヴァージナルの前に立つ女」の後ろの壁に掛かっている絵画の額縁に比べると、「ヴァージナルの前に座る女」の後ろの壁に掛かっている絵画の額縁も、簡略されている。

両者のドレスの質感の違いや後ろの壁に掛かっている絵画の額縁の簡略化から、「ヴァージナルの前に立つ女」対比、「ヴァージナルの前に座る女」におけるヨハネス・フェルメールの力が衰えたと評されており、そのため、「ヴァージナルの前に座る女」は、ヨハネス・フェルメールが描いたとされる絵画の最後の作品ではないかと考えられている。


ヴァージナル(virginal)と言うのは、チェンバロに似た楽器で、当時のオランダの家庭にはよく置かれていたものと思われる。


ナショナルギャラリー内に所蔵 / 展示されている
ヨハネス・フェルメール作「ヴァージナルの前に立つ女」(左側の絵画)と
「ヴァージナルの前に座る女」(右側の絵画)
<筆者撮影>


ヴァージナルの前に座る女性の後ろの壁に掛けられている画中画は、オランダの画家で、ユトレヒト・カラヴァッジョ派でも知られるディルク・ファン・バビューレン(Dirck Jaspersz van Baburen:1595年ー1624年)作「取り持ち女(The Procuress / 娼婦と客の間を仲介する女)」である。

元ワシントンナショナルギャラリー学芸員のアーサー・K・ウィーロック・ジュニア(Arthur K. Wheelock Jr.:1943年ー)は、「女性が弾いているヴァージナルと左側に置かれているヴィオラ・ダ・ガンバが「調和」や「愛」を意味しているので、二つの対立する価値観が描かれている。つまり、売春が象徴する不浄な愛と理想的な愛の二者択一を見る者に対して問うている。」と解釈している。 


ナショナルギャラリー内に所蔵 / 展示されている
ヨハネス・フェルメール作「ヴァージナルの前に座る女」
(1671年ー1674年)<その2>
51.5 cm x 45.6 cm / Oil on canvas
<筆者撮影>


「ヴァージナルの前に座る女」は、「ヴァージナルの前に立つ女」と一緒に、当初、アントウェルペンのデュアルトの元にあったようで、その後、アムステルダムで競売にかけられ、流転の末にフランス人のテオフィル・トレ=ビュルガー(Théophile Thoré-Bürger:1807年ー1869年)によって所有された。

彼は、美術ジャーナリストである「テオフィル・トレ」と美術史家である「ウィリアム・ビュルガー」と言う2つの顔を持ち、画商を生業としており、ヨハネス・フェルメール作品を再発見した人物として知られている。

彼の死後、競売にかけられて、英国の画商が買い、英国人(個人)の所有となり、ナショナルギャラリーに寄贈され、現在に至っている。


2026年3月4日水曜日

ヨハネス・フェルメール作「ヴァージナルの前に立つ女」(A Lady Standing at the Virginal by Johannes Vermeer)

ナショナルギャラリー内に所蔵 / 展示されている
ヨハネス・フェルメール作「ヴァージナルの前に立つ女」
(1671年ー1674年)<その1>
51.8 cm x 45.2 cm / Oil on canvas
<筆者撮影>

ハムステッドヒース(Hampstead Heath → 2015年4月25日付ブログで紹介済)内に建つ「白亜の館」であるケンウッドハウス(Kenwood House → 2018年9月23日付ブログで紹介済)に所蔵 / 展示されているヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer:1632年?ー1675年? / 本名:ヤン・ファン・デル・メール・ファン・デルフト(Jan van der Meer van Delft))作の絵画「ギターを弾く女(The Guitar Player → 2026年2月24日 / 3月1日付ブログで紹介済)」の他に、ヨハネス・フェルメール作の絵画2点が、ナショナルギャラリー(National Gallery)に所蔵 / 展示されている。

トラファルガースクエア(Trafalgar Square)に面したナショナルギャラリー
<筆者撮影>

今回は、「ヴァージナルの前に立つ女(A Lady Standing at the Virginal)」について、紹介したい。


「ヴァージナルの前に立つ女」も、「ギターを弾く女」と同じく、ヨハネス・フェルメール晩年(1671年ー1674年)の作品である。


多くのヨハネス・フェルメール作品のように、室内に女性が一人で立っていて、左手の窓から光が射していると言う彼独特の構図ではあるが、他の作品と異なるのは、


(1)左手の窓から射している光に対して、女性が背を向けていること

(2)左手の窓から射している光が強いため、画面全体が明るいこと


が挙げられる。


ヴァージナル(virginal)と言うのは、チェンバロに似た楽器で、当時のオランダの家庭にはよく置かれていたものと思われる。


ナショナルギャラリー内に所蔵 / 展示されている
ヨハネス・フェルメール作「ヴァージナルの前に立つ女」(左側の絵画)と
「ヴァージナルの前に座る女」(右側の絵画)
<筆者撮影>


女性の後ろの壁に掛けられている画中画に描かれている「キューピッド」は、左手に何も記されていないカードを掲げている。

この絵は、「愛のエンブレム集」(絵画に描かれている図像がどのような意味を有しているのかを解説した寓意図像解説書)に出てくる「1」と言う数字が描かれたカードを掲げているキューピッドを下敷きに、ヨハネス・フェルメールは描いたものと考えられている。

識者によると、「愛は一人に捧げてこそ」と言う意味で、「ヴァージナルの前に立つ女」の場合、キューピッドが掲げているカードに数字が入っていないのは、「1が描かれていると、寓意があまりにも明確で、作品の外観を損なうから。」と推測されている。


また、壁に掛かっている風景画とヴァージナルの蓋に描かれている風景画に関して、元ワシントンナショナルギャラリー学芸員のアーサー・K・ウィーロック・ジュニア(Arthur K. Wheelock Jr.:1943年ー)は、両方とも自然の美しさで女性の純潔を表現したものと考えている。

一方、元メトロポリタン美術館学芸員のウォルター・リトケ(Walter Liedtke:1945年ー2015年)は、岐路に立つヘラクレスと言う有名な主題(岩山:美徳 / なだらかな道:悪徳)を引き合いに出して、岩山の風景画(ヴァージナルの蓋)と牧歌的な風景画(壁)は、女性が美徳と快楽のどちらを選択するのかを突き付けられている比喩だと解釈している。


ナショナルギャラリー内に所蔵 / 展示されている
ヨハネス・フェルメール作「ヴァージナルの前に立つ女」
(1671年ー1674年)<その2>
51.8 cm x 45.2 cm / Oil on canvas
<筆者撮影>


「ヴァージナルの前に立つ女」は、次回に紹介する「ヴァージナルの前に座る女(A Lady Seated at the Virginal)」と一緒に、当初、アントウェルペンのデュアルトの元にあったようで、その後、アムステルダムで競売にかけられ、流転の末にフランス人のテオフィル・トレ=ビュルガー(Théophile Thoré-Bürger:1807年ー1869年)によって所有された。

彼は、美術ジャーナリストである「テオフィル・トレ」と美術史家である「ウィリアム・ビュルガー」と言う2つの顔を持ち、画商を生業としており、ヨハネス・フェルメール作品を再発見した人物として知られている。

彼の死後、競売にかけられて、英国の画商が買い、ナショナルギャラリーが1892年に同作品を購入して、現在に至っている。


2026年3月3日火曜日

エルキュール・ポワロの世界 <ジグソーパズル>(The World of Hercule Poirot )- その23B

英国の HarperCollinsPublishers 社から現在出版されている
アガサ・クリスティー作「メソポタミアの殺人」の
ペーパーバック版の表紙 -

中東に広がる砂漠の表紙が、

遺跡を発掘するのに使用されるスコップの形に切り取られている。


その後も、ルイーズ・ボスナー(Louise Bosner)が新しい男性と親しくなる度に、夫のフレデリック・ボスナー(Frederick Bosner)の名前で、脅迫状が舞い込んだ。ところが、ルイーズが米国人考古学者のエリック・ライドナー博士(Dr. Eric Leidner)と出会って結婚するまでの間、脅迫状は届かなかった。

しかしながら、二人の結婚後、夫のフレデリックの名前で、「命令に背いたお前を殺す。」と書かれた脅迫状が再び届き、その直後、ルイーズとエリックの二人は、自宅において、危うくガス中毒で殺されかけたのである。

そのため、二人は、イラクで発掘調査をする時以外も、海外で暮らし始めると、それから2年間、脅迫状はぱたりと止んだ。


しかし、今年の発掘調査が始まると、3週間前に、「お前の命は、風前の灯だ。」と、そして、1週間前には、「俺は、遂にやって来たぞ。」と書かれた脅迫状がまた届いたため、ルイーズは、恐怖に怯えていたのである。

ただ、脅迫状に書かれた筆跡が、ルイーズのものによく似ていたため、夫のエリック・ライドナー博士と英国人看護婦で、ルイーズの付き添いとして雇われたエイミー・レザラン(Amy Leatheran)の二人は、ルイーズが自分で自分宛に脅迫状を書いているのではないかと疑う。


翌日の午後、昼寝の床に就いたルイーズが自室の床の上で死んでいるのを、夫のエリック・ライドナー博士が発見した。何か重いものによる右のこめかみへの一撃が、彼女の死因だった。ところが、ルイーズの部屋の窓は、内側から鍵がかかっている上に、室内から凶器らしきものは、全く見つからなかった。


事件発生当時、ルイーズの部屋の前の中庭では、現地の少年が発掘された土器を洗っており、彼女の部屋には、誰も出入りしなかったと証言する。更に、中庭へと通じる発掘調査隊宿舎の入口には、現地雇いの使用人達が集まって、雑談に興じており、見知らぬ外部の人間が宿舎内へと侵入することは、不可能だった。

つまり、ルイーズを殺害した犯人は、発掘調査隊のメンバーの中に居ると思われた。


エルキュール・ポワロは、
ジグソーパズル「エルキュール・ポワロの世界」の中央に立っている。
<筆者撮影>


折しも、シリアからバグダッドへと向かう途中、この辺りを通りかかったエルキュール・ポワロ(Hercule Poirot → 2025年10月11日付ブログで紹介済)は、自分達の手には負えないと判断した地元の警察署長から要請され、事件の捜査を引き受けるのであった。


(48)遺跡の発掘現場(archaeological dig)



米国人考古学者のエリック・ライドナー博士は、ピッツタウン大学イラク調査隊のメンバー達と一緒に、発掘調査隊を組成し、古代メソポタミアの地、チグリス河岸にあるテル・ヤリミヤ(Tell Yarimjah)遺跡において、発掘調査を進めていた。

そして、発掘調査隊の宿舎内において、エリック・ライドナー博士の妻であるルイーズ・ライドナーが、密室状態の自室の床の上で死んでいるのが発見される。


(49)黄金の杯(gold cup)



黄金の杯は、テル・ヤリミヤ遺跡から発掘された調度品の一つである。


(50)石臼 (stone quern)



昼寝の床に就いたルイーズ・ライドナーが自室の床の上で死んでいるのが、夫のエリック・ライドナー博士によって発見される。何か重いものによる右のこめかみへの一撃が、彼女の死因であった。

地元の警察署長からの要請に基づき、事件の捜査を引き受けたエルキュール・ポワロは、石臼 が凶器だったことを見抜く。


2026年3月2日月曜日

ロンドン クレイヴンストリート32番地(32 Craven Street)

ドイツの詩人であるハインリヒ・ハイネが住んでいた
クレイヴンストリート32番地の建物全景
<筆者撮影>

印刷業で成功を収めた後、政界へ進出したベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin:1706年ー1790年 / 米国の政治家 / 外交官 / 著述家 / 物理学者 / 気象学者 → 2026年2月20日 / 2月26日付ブログで紹介済)は、英国領北米植民地における待遇改善を要求するため、1757年に、ペンシルヴェニア植民地(Pennsylvania Assembly)により、英国へと派遣される。


彼は、1757年から1775年までの約20年間、現在のシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)のストランド地区(Strand)内にあるクレイヴンストリート36番地(36 Craven Street → 2026年2月27日付ブログで紹介済)に間借りしており、現在、この建物は、「ベンジャミン・フランクリンハウス(Benjamin Franklin House)」として、一般に公開されている。

クレイヴンストリート32番地の建物を見上げたところ
<筆者撮影>


チャリングクロス駅(Charing Cross Station → 2014年9月20日付ブログで紹介済)の前を通って東西に延びるストランド通り(Stand → 2015年3月29日付ブログで紹介済)からテムズ河(River Thames)へ向かい、クレイヴンストリート(Craven Street → 2014年8月3日付ブログで紹介済)が南北に延びている。

クレイヴンストリート36番地の建物は、クレイヴンストリートの東側に、チャリングクロス駅に隣接するように建っている。


クレイヴンストリート32番地の建物入口(その1)
<筆者撮影>


クレイヴンストリートには、ベンジャミン・フランクリン以外にも、著名人が住んでいた建物がある。

それは、クレイヴンストリート32番地(32 Craven Street)の建物で、ベンジャミン・フランクリンが住んでいたクレイヴンストリート36番地と同じ側(=クレイヴンストリートの東側)に建っている。


クレイヴンストリート32番地の建物入口(その2)
<筆者撮影>


クレイヴンストリート32番地の建物には、ドイツの詩人 / 文芸評論家 / エッセイスト / ジャーナリストであるクリスティアン・ヨハン・ハインリヒ・ハイネ(Christian Johann Henrich Heine:1797年ー1856年)が一時住んでいた。


クレイヴンストリート32番地の建物外壁には、
ハインリヒ・ハイネがここに住んでいたことを示す
LCC (London City Council) のプラークが掛けられている。
<筆者撮影>


1797年にデュッセルドルフ(
Düsseldorf)に生まれ、1825年に名門ゲオルク・アウグスト大学ゲッティンゲン(Georg-August-Universität Göttingen)を卒業して、法学の学士を取得したハインリヒ・ハイネは、学生時代から雑誌に寄稿していたため、職業作家 / ジャーナリストとしての活動を始める。
ハインリヒ・ハイネは、ハンブルク(Hamburg)に移住した後、1827年にミュンヘン(München)へ、そして、1829年にベルリン(Berlin)へ移り住むが、その間に、1827年に英国とオランダを、また、1829年にイタリアを旅行している。


クレイヴンストリート32番地の建物外壁に掛けられている
ハインリヒ・ハイネがここに住んでいたことを示すプラークのアップ
<筆者撮影>


つまり、1827年に英国を訪れた際、ハインリヒ・ハイネは、一時、クレイヴンストリート32番地の建物に滞在していた訳である。

彼の旅行体験は、「旅の絵(Reisebilder)」(1826年-1831年)や「イギリス断章(Englische Fragmente)」(1827年)等の作品に結実することになる。


2026年3月1日日曜日

ヨハネス・フェルメール作「ギターを弾く女」(The Guitar Player by Johannes Vermeer)- その2

「白亜の館」と呼ばれるケンウッドハウス内に所蔵 / 展示されている
ヨハネス・フェルメール作「ギターを弾く女」(1671年ー1674年)<その1>
53.0 cm x 46.3 cm / Oil on canvas
<筆者撮影>

絵画「ギターを弾く女(The Guitar Player)」は、ネーデルラント連邦共和国(現オランダ王国)の画家で、レンブラント・ハルメンソーン・ファン・レイン(Rembrandt Harmenszoon van Rijn:1606年ー1669年 → 2025年9月26日 / 10月2日付ブログで紹介済)と並ぶ17世紀オランダ黄金時代を代表する画家と評されているヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer:1632年?ー1675年? / 本名:ヤン・ファン・デル・メール・ファン・デルフト(Jan van der Meer van Delft)の晩年(1671年ー1674年)の作品で、残念ながら、ベストの作品とは言えない。

ヨハネス・フェルメールの作品の場合、左手に光源があることが多いが、「ギターを弾く女」については、珍しく光源が右手にある。


「ギターを弾く女」は、ヨハネス・フェルメールが亡くなった時に、フェルメール家に残っていた絵画の1枚で、彼の妻カタリーナ・ボルネス(Catharina Bolnes:1631年ー1688年)は、パン屋のヘンドリック・ファン・バイテンに、借金の担保として渡さざるを得なかった。

カタリーナ・ボルネスは、「ギターを弾く女」をなんとか取り戻そうとしたものの、上手くいかず、ヘンドリック・ファン・バイテンが1701年に死んだ際に残された「ギターを弾く女」は、売却されてしまった。


上記以降、「ギターを弾く女」がどのような経路を辿ったのか、不明なるも、1794年に英国のパルマーストーン公が同作品をハーグ(Den Haag)で購入したと言う記録が残っている。


「白亜の館」と呼ばれるケンウッドハウス内に所蔵 / 展示されている
ヨハネス・フェルメール作「ギターを弾く女」(1671年ー1674年)<その2>
53.0 cm x 46.3 cm / Oil on canvas
<筆者撮影>


その後、何人かの手を経て、ロンドンの画廊が同作品を入手して、ギネスビール社会長の初代アイヴィー伯爵エドワード・セシル・ギネス(Edward Cecil Guinness, 1st Earl of Iveagh:1847年ー1927年)が、1889年に購入。


「白亜の館」と呼ばれるケンウッドハウス内に所蔵 / 展示されている
初代アイヴィー伯爵エドワード・セシル・ギネスの肖像画
<筆者撮影>

彼がハムステッドヒース(Hampstead Heath → 2015年4月25日付ブログで紹介済)内に建つ「白亜の館」であるケンウッドハウス(Kenwood House → 2018年9月23日付ブログで紹介済)を購入したことに伴い、「ギターを弾く女」は、ケンウッドハウス内に所蔵 / 展示される。


「白亜の館」と呼ばれるケンウッドハウスの裏面
<筆者撮影>


その2年後の1927年、初代アイヴィー伯爵エドワード・セシル・ギネスが死去した際、ケンウッドハウスは、彼が購入後に展示していた絵画コレクション(「ギターを弾く女」を含む)と一緒に、国に遺贈されて、現在、イングリッシュヘリテージ(English Heritage)がケンウッドハウスと絵画コレクションを管理しており、一般に公開している。


ケンウッドハウス前から見たハムステッドヒース
<筆者撮影>

「ギターを弾く女」は、ずっと個人蔵であったため、後世に行われた修復の影響がなく、額縁を含めて、ほぼオリジナルのままと言われている。