2025年12月19日金曜日

セントバーソロミュー病院 / 北翼(St. Bartholomew's Hospital / North Wing)- その2

セントバーソロミュー病院内に設置されている
セントバーソロミュー病院 / 北翼(Barts North Wing)への案内掲示板
<筆者撮影>

英国の TV 会社 ITV 社による制作の下、「Agatha Christie’s Poirot」の第20話(第2シリーズ)かつアガサ・クリスティー生誕100周年記念スペシャルとして、1990年9月16日に放映されたアガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)作「スタイルズ荘の怪事件The Mysterious Affair at Styles → 2023年12月3日 / 12月6日付ブログで紹介済)」(1920年)の TV ドラマ版において、物語の冒頭、第一次世界大戦(1914年ー1918年)中に負傷したアーサー・ヘイスティングス中尉(Lieutenant Arthur Hastings - アガサ・クリスティーの原作では、大尉(Captain)となっている)が彼の旧友であるジョン・キャヴェンディッシュ(John Cavendish)と再会する場面が、セントバーソロミュー病院(St. Bartholomew's Hospital → 2014年6月14日付ブログで紹介済)の北翼(North Wing)にある「ホガースの階段(Hogarth Staircase)」と呼ばれる吹き抜け階段において撮影されている。


下から「ホガースの階段(Hogarth Staircase)」と呼ばれる
吹き抜け階段を見上げたところ -
アーサー・ヘイスティングス中尉と旧友のジョン・キャヴェンティッシュの2人が
上から降りて来る場面が、この角度で撮影されている。
<筆者撮影>


セントバーソロミュー病院は、ロンドンのスミスフィールド(Smithfield)に所在する病院で、「王立セントバーソロミュー病院(The Royal Hospital of St. Bartholomew)」が、その正式名であるが、「バーツ(Barts)」と言う略称が、一般的に知られている。

セントバーソロミュー病院の設立は、1123年まで遡り、ヨーロッパで最も古い歴史を有する病院とされている。


セントバーソロミュー病院博物館(St. Bartholomew's Hospital Museum)内にある
病院の歴史に関する説明資料 -
左側が 
セントバーソロミュー修道院(病院)を設立したラヒアで、
右側が彼の夢の中に現れた聖人セントバーソロミュー。
<筆者撮影>


12世紀のイングランド王であるヘンリー1世碩学王(Henry I Beauclerc:1068年頃ー1135年 在位期間:1100年ー1135年)の寵臣ラヒア(Rahere:?ー1144年)が、ローマ巡礼中に、重い病に倒れたが、彼の神への強い祈りが届いたかのように、奇跡的に病から回復。

その際、彼の夢の中に、イエス・キリストの使徒の一人である聖人セントバーソロミュー(St. Bartholomew)が現れると、ロンドンのスミスフィールドに貧民や病人を助けるための修道院(病院)を建てるように告げたと伝えられている。

この聖人セントバーソロミューのお告げに従って、イングランドに戻ったラヒアは、1123年、スミスフィールドの地にセントバーソロミュー修道院を設立したのである。


ケンブリッジ大学創立800周年を記念して、
英国の児童文学作家 / イラストレーターであるクェンティン・ブレイク
(Quentin Blake:1932年ー)が描いた
ヘンリー8世とキングスカレッジ合唱団の絵葉書
<筆者がケンブリッジのフィッツウィリアム博物館(Fitzwilliam Museum
→ 2024年7月20日 / 7月24日付ブログで紹介済)で購入>


そして、時代は、テューダー朝(House of Tudor)の第2代イングランド王であるヘンリー8世(Henry VIII:1491年ー1547年 在位期間:1509年ー1547年 → 2024年7月26日付ブログで紹介済)による統治時まで下る。

ヘンリー8世は、男の世継ぎ(嫡子)が生まれていない王妃キャサリン・オブ・アラゴン(Catherine of Aragon:1487年ー1536年)との離婚を画策して、ローマのカトリック教会と対立し、1534年に国王至上法(首長令)を発布の上、自らを英国国教会(Church of England)の長とするとともに、カトリック教会から英国国教会の分離を行った。


1702年に完成したヘンリー8世門(Henry VIII Gatehouse)-
なお、アーチ門上にある石像は、ロンドンで唯一のヘンリー8世の石像である。
<筆者撮影>


ヘンリー8世が宗教改革の一環として実施した修道院解散(Dissolution of the monasteries:1536年ー1539年)政策に基づき、イングランド国内にあった多くの修道院が解散、そして、財産没収の憂き目に遭った。

セントバーソロミュー修道院は、貧民救済病院として生き残ったものの、修道院としての収入の道が絶たれたため、一時は経営難に陥った。


1546年12月27日に
ヘンリー8世とシティー・オブ・ロンドン共同体の間で交わされた
セントバーソロミュー修道院に関する合意書
ヘンリー8世がシティー・オブ・ロンドン共同体に対して
セントバーソロミュー修道院の支援を約束する書状) -
セントバーソロミュー病院博物館内に展示されている。
<筆者撮影>


そこで、貧民救済病院として生き残ったセントバーソロミュー修道院は、1546年12月27日にシティー・オブ・ロンドン共同体(City of London Corporation - 正式名:Mayor and Commonalty and Citizens of the City of London)から認可を受ける合意に調印したことで、ヘンリー8世による再設立を受けることになった。

1547年1月、セントバーソロミュー修道院は、法的に「ヘンリー8世設立・シティー・オブ・ロンドン・ウェストスミスフィールド救貧院(House of the Poore in West Smithfield in the suburbs of the City of London of Henry VIII’s Foundation)」と命名され、初代病院長に、ヘンリー8世の侍医(外科医)で解剖学者でもあったトマス・ヴィカリー(Thomas Vicary:1490年頃ー1561年)が就任。


セントバーソロミュー・ザ・レス教会の入口
<筆者撮影>


ヘンリー8世による修道院解散政策に基づき、セントバーソロミュー修道院の敷地は、英国国教会の小教区として再編されて、同修道院内にあったセントバーソロミュー・ザ・レス教会(St. Bartholomew The Less)が教区教会となった。

これは、英国内の病院でも特異なケースで、セントバーソロミュー・ザ・レス教会は、病院の敷地内に建てられた教会として、唯一現存している。


セントバーソロミュー・ザ・レス教会の塔を見上げたところ
<筆者撮影>

2025年12月18日木曜日

シティー内に点在するスヌーピー彫刻の探訪(Snoopy in the City: Sculpture trail)- その3

プレイハウスヤード内に設置された
2番目のスヌーピー彫刻「Penguin Parade」
<筆者撮影>

スヌーピー(Snoopy)が主人公である米国人気コミック「ピーナッツ(Peanuts)」の誕生75周年を記念して、12名のアーティストがデザインしたスヌーピー彫刻が、2025年11月19日から2026年1月16日までの約2ヶ月間、シティー・オブ・ロンドン(City of London → 2018年8月4日 / 8月11日付ブログで紹介済)内の各地に展示されている。



前回に続き、12名のアーティストがデザインしたスヌーピー彫刻について、個別に紹介していきたい。


(2)

*彫刻名: Penguin Parade

*アーティスト名: Simon Randall





*展示場所: プレイハウスヤード(Playhouse Yard)


チャーチエントリー(Church Entry)から見たプレイハウスヤード -
遠方に、スヌーピー彫刻が見える。
<筆者撮影>

イングランドとアイルランドの女王で、
テューダー朝(House of Tudor)の第5代かつ最後の君主であるエリザベス1世
(Elizabeth I:1533年ー1603年 在位期間:1558年-1603年)
による統治時代、Blackfriars Theatre」と言う劇場が、
ここに建っていたことに因んで、
「プレイハウス(劇場)ヤード」と名付けられている。
<筆者撮影>

ナショナルポートレートギャラリー
(National Portrait Gallery)で販売されている
エリザベス1世の肖像画の葉書
(Unknown English artist / 1600年頃 / Oil on panel
1273 mm x 997 mm) -
エリザベス1世は、王族しか着れない
イタチ科オコジョの毛皮をその身に纏っている。
オコジョの白い冬毛は、「純血」を意味しており、
実際、エリザベス1世は、英国の安定のために、
生涯、誰とも結婚しなかったので、「処女女王」と呼ばれた。
エリザベス1世の」赤毛」と「白塗りの化粧」は、
当時流行したものである。

2025年12月17日水曜日

シティー内に点在するスヌーピー彫刻の探訪(Snoopy in the City: Sculpture trail)- その2

ホテル「レオナルド ロイヤル ロンドン セントポールズ」の前に設置された
1番目のスヌーピー彫刻「Snoopy’s Winter Chorus」
<筆者撮影>

スヌーピー(Snoopy)が主人公である米国人気コミック「ピーナッツ(Peanuts)」の誕生75周年を記念して、12名のアーティストがデザインしたスヌーピー彫刻が、2025年11月19日から2026年1月16日までの約2ヶ月間、シティー・オブ・ロンドン(City of London → 2018年8月4日 / 8月11日付ブログで紹介済)内の各地に展示されている。



今回から、12名のアーティストがデザインしたスヌーピー彫刻について、個別に紹介していきたい。


(1)

*彫刻名: Snoopy’s Winter Chorus

*アーティスト名: Laura-Kate Draws





*展示場所: セントポール大聖堂(St. Paul’s Cathedral → 2018年8月18日 / 8月25日付ブログで紹介済)の近くにあるゴッドリマンストリート(Godliman Street)とカーターレーン(Carter Lane)の角に経つホテル「レオナルド ロイヤル ロンドン セントポールズ(Leonardo Royal London St. Paul’s)」の前


ゴッドリマンストリートから見たセントポール大聖堂
<筆者撮影>


ゴッドリマンストリートを挟んだ反対側には、
ツーリストインフォメーションセンター(Tourist Information Centre)が建っている。

<筆者撮影>

2025年12月16日火曜日

シティー内に点在するスヌーピー彫刻の探訪(Snoopy in the City: Sculpture trail)- その1


スヌーピー(Snoopy)が主人公である米国人気コミック「ピーナッツ(Peanuts)」の誕生75周年を記念して、12名のアーティストがデザインしたスヌーピー彫刻が、2025年11月19日から、シティー・オブ・ロンドン(City of London → 2018年8月4日 / 8月11日付ブログで紹介済)内の各地に展示されている。


あるオフィスビルの最上階から見た
セントポール大聖堂とシティー・オブ・ロンドン
<筆者撮影>


スヌーピーが寝そべっている絵で有名な赤い犬小屋が、12名のアーティストによって、様々にデザインされている。


12名のアーティストがデザインしたスヌーピー彫刻は、


東側:セントポール大聖堂(St. Paul’s Cathedral → 2018年8月18日 / 8月25日付ブログで紹介済)


カーターレーン(Carter Lane)から見たセントポール大聖堂の大ドームと建物側面
<筆者撮影>


西側:チャンセリーレーン(Chancery Lane)

南側:クイーンヴィクトリアストリート(Queen Victoria Street)/ ヴィクトリアエンバンクメント通り(Victoria Embankment → 2018年12月9日付ブログで紹介済)


ヴィクトリアエンバンクメント通り沿いに建つ
シティー・オブ・ロンドンと
シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)の境界線
→ 画面奥がシティー・オブ・ロンドン
<筆者撮影>


北側:ニューゲートストリート(Newgate Street → 2018年5月19日付ブログで紹介済)/ ホルボーン高架橋(Holborn Viaduct → 2018年5月27日 / 6月2日付ブログで紹介済)/ ホルボーン通り(Holborn → 2025年5月6日付ブログで紹介済)


ニューゲートストリートの西端 −
画面奥には、中央刑事裁判所(Central Criminal Court → 2016年1月17日付ブログで紹介済)が見える。
<筆者撮影>


ホルボーン高架橋の全景写真 –
ホルボーン高架橋の下を潜る通りは、画面奥までがファリンドンロードで(Farringdon Road)、
画面手前からファリンドンストリート(Farringdon Street)へと名前を変える。
<筆者撮影>


ホルボーンサーカス(Holborn Circus)の南西の角に建つビル(画面奥の建物)には、
スーパーマーケットを全国的に展開しているセインズベリーズ(Sainsbury's)の本社が入居している。
右手奥へ延びているのが、ホルボーン通り。
<筆者撮影>


で囲まれたエリア内に点在している。


スヌーピー彫刻は、2026年1月16日まで展示されているが、毎日、上記の地図を印刷した紙を手にした親子連れ、カップルや友人同士等の集団が、上記のエリア内に点在するスヌーピー彫刻を探し回っている。


次回以降、12名のアーティストがデザインしたスヌーピー彫刻を個別に紹介する予定。


2025年12月15日月曜日

<第2000回> セントバーソロミュー病院 / 北翼(St. Bartholomew's Hospital / North Wing)- その1

下から「ホガースの階段(Hogarth Staircase)」と呼ばれる
吹き抜け階段を見上げたところ -
アーサー・ヘイスティングス中尉と旧友のジョン・キャヴェンティッシュの2人が
上から降りて来る場面が、この角度で撮影されている。
<筆者撮影>

アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)作「スタイルズ荘の怪事件The Mysterious Affair at Styles → 2023年12月3日 / 12月6日付ブログで紹介済)」(1920年)の TV ドラマ版が、英国の TV 会社 ITV 社による制作の下、「Agatha Christie’s Poirot」の第20話(第2シリーズ)かつアガサ・クリスティー生誕100周年記念スペシャルとして、1990年9月16日に放映されている。

吹き抜け階段の上から見たウィリアム・ホガース作「善きサマリア人」(右側)と
「ベテスダの池」(左側)
<筆者撮影>

物語の冒頭、第一次世界大戦(1914年ー1918年)中に負傷したアーサー・ヘイスティングス中尉(Lieutenant Arthur Hastings - アガサ・クリスティーの原作では、大尉(Captain)となっている)は、病院において、他の負傷兵に混じり、戦争記録映画を見ている。

そこへ、彼の旧友であるジョン・キャヴェンディッシュ(John Cavendish)が訪ねて来る。そして、ジョン・キャヴェンディッシュは、ヘイスティングス中尉をスタイルズ セントメアリー村(Styles St. Mary)のスタイルズ荘(Styles Court)へ招待した。


吹き抜け階段の途中から見たクリスマスツリー
<筆者撮影>

ジョン・キャヴェンディッシュがヘイスティングス中尉に対して、「義理の母のエミリー・イングルソープ(Emily Inglethrop / スタイルズ荘の持ち主)が、20歳も年下のアルフレッド・イングルソープ(Alfred Inglethrop)と再婚した。」等、スタイルズ荘における内情を説明する場面は、セントバーソロミュー病院(St. Bartholomew's Hospital → 2014年6月14日付ブログで紹介済)の北翼(North Wing)にある「ホガースの階段(Hogarth Staircase)」と呼ばれる吹き抜け階段において撮影されている。


吹き抜け階段を真下から見上げたところ
<筆者撮影>


「バーツ北翼(Barts North Wing)」と呼ばれる建物は、その内装の劣化が激しかったため、数年間に及ぶ改修工事を経て、2025年10月6日に一般公開された。


吹き抜け階段にあるシャンデリアのアップ
<筆者撮影>

スタイルズ荘の怪事件」の撮影に使用された吹き抜け階段には、ロココ(Rococo)時代の英国の画家であるウィリアム・ホガース(William Hogarth:1697年ー1764年)による聖書を題材にした2つの巨大な壁画が描かれていて、ヘイスティングス中尉と旧友のジョン・キャヴェンディッシュの2人が吹き抜け階段を降りて来る際、画面上で確認できる。


吹き抜け階段の天井のアップ
<筆者撮影>


(1)右側の壁:「善きサマリア人(The Good Samaritan)」(1737年)

サマリア人善意で救命行為を行なっている場面が描かれている。


吹き抜け階段の上から見たウィリアム・ホガース作「善きサマリア人」
<筆者撮影>

(2)左側の壁:「ベテスダの池(The Pool of Bethesda)」(1736年)

万病を治す聖なる池において、病人が傷を癒している場面が描かれている。


吹き抜け階段の上から見たウィリアム・ホガース作「ベテスダの池」
<筆者撮影>

幼少期より貧窮生活に苦しんだウィリアム・ホガースは、画家として、当時の世相を痛烈に風刺する連作絵画を制作し、世間に知られるようになったが、セントバーソロミュー病院北翼の吹き抜け階段の壁画に関しては、病院と言う性格上、聖書を題材にした内容となっている。


なお、ウィリアム・ホガースは、セントバーソロミュー病院の理事も務めている。


2025年12月14日日曜日

アガサ・クリスティー作「スタイルズ荘の怪事件」<英国 TV ドラマ版>(The Mysterious Affair at Styles by Agatha Christie )- その2

第20話「スタイルズ荘の怪事件」が収録された
エルキュール・ポワロシリーズの DVD コレクション No. 2 の裏表紙


英国の TV 会社 ITV 社による制作の下、「Agatha Christie’s Poirot」の第20話(第2シリーズ)として、1990年9月16日に放映されたアガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)作「スタイルズ荘の怪事件The Mysterious Affair at Styles)」(1920年)の TV ドラマ版の場合、原作対比、以下のような差異が見受けられる。


(1)

<原作>

第一次世界大戦(1914年ー1918年)中に負傷したアーサー・ヘイスティングス大尉(Captain Arthur Hastings - 30歳 → 2025年10月12日付ブログで紹介済)は、英国に帰還する。


アーサー・ヘイスティングス大尉は、
ジグソーパズル「エルキュール・ポワロの世界」の中央に立つ
エルキュール・ポワロの左斜め後ろに居る。

<筆者撮影>


1ヶ月間の負傷休暇をもらったヘイスティングス大尉は、近親者が居ないため、休暇をどう過ごそうか悩んでいたところ、旧友であるジョン・キャヴェンディッシュ(John Cavendish - 45歳)に偶然再会する。

ジョン・キャヴェンディッシュの招きにより、ヘイスティングス大尉は、エセックス州(Essex)にあるスタイルズ荘(Styles Court)を訪れることになった。ヘイスティングス大尉は、少年の頃、スタイルズ荘に何度か滞在したことがあったのだ。


ジグソーパズル「エルキュール・ポワロの世界」の右下に設置されているガラスケース内の後列右端に、
スタイルズ荘の模型が置かれている。
<筆者撮影>


<英国 TV ドラマ版>

第一次世界大戦中に負傷したアーサー・ヘイスティングス中尉(Lieutenant)は、病院において、他の負傷兵に混じり、戦争記録映画を見ているところから、物語が始まる。

そこへ、彼の旧友であるジョン・キャヴェンディッシュが訪ねて来る。そして、ジョン・キャヴェンディッシュは、ヘイスティングス中尉をスタイルズ荘へ招待した。

なお、ジョン・キャヴェンディッシュがヘイスティングス中尉を訪ねて来た場面は、セントバーソロミュー病院(St. Bartholomew's Hospital → 2014年6月14日付ブログで紹介済)の北翼(North Wing)にある吹き抜け階段において撮影されているので、次回、詳しく紹介する予定。


(2)

<原作>

スタイルズ セントメアリー駅(Styles St. Mary Station)に到着したヘイスティングス大尉を、ジョン・キャヴェンディッシュは車で出迎えて、駅から2マイル離れたスタイルズ荘へと向かう。

その途中の出来事については、特に言及されていない。

<英国 TV ドラマ版>

スタイルズ セントメアリー駅からスタイルズ荘へ向かう途中、ジョン・キャヴェンディッシュとヘイスティングス中尉が乗った車は、馬に乗ったレイクス夫人(Mrs. Raikes / 近所の農場に住む未亡人で、メアリー・キャヴェンディッシュから、夫のジョンと不倫していると疑われている)を追い抜いている。


(3)

<原作>

スタイルズ荘に到着したヘイスティングス大尉は、

(A)場所:屋敷の前 - エヴリン・ハワード(Evelyn Howard  / エミリー・イングルソープの話相手(住み込みの婦人)- 愛称:エヴィー・ハワード(Evie))

(B)場所:庭 - メアリー・キャヴェンディッシュ(Mary Cavendish / ジョン・キャヴェンディッシュの妻)

(C)場所:庭(フランス窓経由、外へ出て来た)- エミリー・イングルソープ(Emily Inglethrop / スタイルズ荘(Styles Court)の持ち主)

(D)場所:庭(フランス窓経由、外へ出て来た)- アルフレッド・イングルソープ(Alfred Inglethrop / エミリー・イングルソープが再婚した年下の夫)

(E)場所:庭(帰宅したところ)- シンシア・マードック(Cynthia Murdoch / エミリー・イングルソープの友人の孤児で、現在は、彼女の養子になっている。薬剤師として勤務。)

の順に会い、会話を交わす。

ジョン・キャヴェンディッシュに部屋へ連れて行かれたヘイスティングス大尉は、窓からローレンス・キャヴェンディッシュ(Lawrence Cavendish / エミリー・イングルソープの義理の息子(弟))を見かけているが、特に会話を交わしていない。

<英国 TV ドラマ版>

スタイルズ荘に到着したヘイスティングス中尉は、

(A)場所:屋敷の前 - エヴリン・ハワード

(B)場所:屋敷内 - エミリー・イングルソープ

(C)場所:屋敷内 - アルフレッド・イングルソープ

(D)場所:庭 - メアリー・キャヴェンディッシュ

(E)場所:庭(帰宅したところ)- シンシア・マードック

の順に会い、会話を交わす。

なお、ローレンス・キャヴェンディッシュに関しては、映像上、特に言及されていない。


(4)

<英国 TV ドラマ版>

スタイルズ荘に到着した日の夕食の席上、ヘイスティングス中尉は、ベルギーにおいて、エルキュール・ポワロ(Hercule Poirot → 2025年10月12日付ブログで紹介済)と知り合った経緯について、皆に語っている。


エルキュール・ポワロは、
ジグソーパズル「エルキュール・ポワロの世界」の中央に立っている。
<筆者撮影>


<原作>

スタイルズ荘に到着した日の夕食の席上、ヘイスティングス大尉は、エルキュール・ポワロに関して、話題にしていない。


(5)

<原作>

夕食後、スタイルズ荘の近くに住む著名な毒理学(toxicologist)で、メアリー・キャヴェンディッシュの友人であるバウアスタイン博士(Dr. Bauerstein)が、エミリー・イングルソープの元を訪れる。

<英国 TV ドラマ版>

英国 TV ドラマ版の場合、ウィルキンズ医師(Dr. Wilkins / エミリー・イングルソープの主治医で、毒物のの研究家)と役柄が重複するためなのか、バウアスタイン博士は登場しない。


(6)

<原作>

バウアスタイン博士がエミリー・イングルソープを訪ねて来た後、ジョン・キャヴェンディッシュは、ヘイスティングス大尉をスタイルズ セントメアリー村まで散歩に連れ出す。

散歩の帰り道、2人はレイクス夫人とすれ違い、挨拶を交わしている。

<英国 TV ドラマ版>

英国 TV ドラマ版の場合、このような場面はない。

スタイルズ セントメアリー駅からスタイルズ荘へ向かう途中、ジョン・キャヴェンディッシュとヘイスティングス中尉が乗った車が、馬に乗ったレイクス夫人を追い抜く場面で代用されていると思われる。


2025年12月13日土曜日

「そして誰もいなくなった」の世界 <ジグソーパズル>(The World of ‘And Then There Were None’ )- その24

英国の Orion Publishing Group Ltd. から2025年に発行されている「「そして誰もいなくなった」の世界(The World of ‘And Then There Were None’)」と言うジグソーパズル内に散りばめられているアガサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)作「そして誰もいなくなった(And Then There Were None)」(1939年)の登場人物や同作品に関連した47個にわたる手掛かりについて、引き続き、紹介したい。


英国の Orion Publishing Group Ltd. から2025年に出ている
ジグソーパズル「「そして誰もいなくなった」の世界」(1000ピース)


今回は、兵隊島(Soldier Island → 2025年10月19日付ブログで紹介済)へ招待された8人と執事 / 料理人夫婦を殺害した謎の人物に関連した2個の手掛かりが、その対象となる。


兵隊島は、
ジグソーパズル「「そして誰もいなくなった」の世界」の左下の角に置かれている。
<筆者撮影>


(46)瓶に入った告白書(A message in a bottle)


ジグソーパズル「「そして誰もいなくなった」の世界」の左上の角に、
犯人による告白書が入った瓶が海面を漂っている場面が、赤枠で囲まれている。

<筆者撮影>


英国デヴォン州(Devon)の沖合いに浮かぶ兵隊島において、招待客8人と執事 / 料理人夫婦を殺害した謎の人物の正体は、スコットランドヤードによる必死の捜査にもかかわらず、 五里霧中だった。ところが、あることから、犯人が明らかになる。


トロール漁船<エマ・ジェイン号>の船長よりロンドン警視庁に送付された証拠文書


私は幼少の頃から、自分の中に相反する、矛盾した性格が同居していることに気づいていた。まず、ロマンティックな夢にひたるところがある。たとえば、大事なことを書いた紙を壜に入れて、海中に投じる - 冒険物語を読んでいて、こんな場面が出てくる旅に、幼い胸を高鳴らせたものだ。それは、今も変わらない - だから、この方法をとることにした - 書き記した告白を壜に入れ、壜の口を固く閉じる。そして波間に投じる。私の告白が発見されるのは、百に一つのチャンスだろう - そして発見されたあかつきには、それまで未解決だった殺人事件が解決される(それとも、これは私のうぬぼれにすぎないだろうか)。


<中略>


そして次は?

私はまもなくこの一文を書き終える。書き終えたら、封筒に入れて壜に納め、口を固く閉じる。壜を海に投じる。

なぜか。

そう、なぜ、そんなことをするのか。

何人にも解けない殺人ミステリを案出するのが、私の大きな夢だった。

しかし、いかなる芸術家も芸術それ自体では満足できないのに、私は気づいた。他人に認めてほしいと思うのが自然な感情ではないか。

自分の頭のよさをほかの人にわからせたいという、いかにも人間的な浅はかな願い。打ち明けて言えば、その願いがこの私にもあったということだ。

(青木 久惠訳)


(47)謎の人物(A mysterious figure)


兵隊島に建つ邸宅の2階にある
ヴェラ・エリザベス・クレイソーン(Vera Elizabeth Claythorne / 体育教師(games mistress)
→ 2025年10月21日付ブログで紹介済)の部屋の隣室の窓辺に、
招待客8人と執事 / 料理人夫婦を兵隊島に集めた謎の人物が立っている。
<筆者撮影>


1930年代後半の8月のこと、英国デヴォン州(Devon)の沖合いに浮かぶ兵隊島に、年齢も職業も異なる8人の男女が招かれる。彼らを島で迎えた執事と料理人の夫婦は、エリック・ノーマン・オーウェン氏(Mr. Ulick Norman Owen)とユナ・ナンシー・オーウェン夫人に自分達は雇われていると招待客に告げる。しかし、彼らの招待主で、この島の所有者であるオーウェン夫妻は、いつまで待っても、姿を現さないままだった。


招待客が自分達の招待主や招待状の話をし始めると、皆の説明が全く噛み合なかった。その結果、招待状が虚偽のものであることが、彼らには判ってきた。招待客の不安がつのる中、晩餐会が始まるが、その最中、招待客8人と執事 / 料理人夫婦が過去に犯した罪を告発する謎の声が室内に響き渡る。


招待客が兵隊島に到着した日の晩餐会において、
謎の声(オーウェン氏)による告発により、招待客8人と執事 / 料理人夫婦が戦慄する場面 -

HarperCollinsPublishers 社から出ている

アガサ・クリスティー作「そして誰もいなくなった」の
グラフィックノベル版(→ 2020年9月13日付ブログで紹介済)から抜粋。


そして、物語が進み、童謡「10人の子供の兵隊(Ten Little Soldiers → 2025年11月15日付ブログで紹介済)」に準えて、謎の人物の手により、招待客8人と執事 / 料理人夫婦は、一人ずつ殺されていく。


兵隊島に建つ邸宅の2階にある
ヴェラ・エリザベス・クレイソーンの部屋の壁(画面左側)には、
童謡「10人の子供の兵隊」が書かれた額が掛けられている。
アガサ・クリスティーの原作によると、厳密には、
童謡「10人の子供の兵隊」が書かれた額は、
暖炉の上に置かれた熊の形をした大理石の時計の上の壁に掛けられているのが正しい。
<筆者撮影>


エリック・ノーマン・オーウェン / ユナ・ナンシー・オーウェンの名前を使って、年齢も職業も異なる8人の男女と執事 / 料理人夫婦を兵隊島に集めた後、彼らを一つずつ殺害した謎の人物の正体は、海中に投じられた壜の中に入れられた告白書がトロール漁船によって見つかったことから、明らかになるのであった。


今回を以って、「そして誰もいなくなった」の世界 <ジグソーパズル>にかかる回は終わりとなります。