2025年6月16日月曜日

アガサ・クリスティー作「そして誰もいなくなった」の英国 TV ドラマ版(エピソード1)に使用された童謡「10人の子供の兵隊」(And Then There Were None by Agatha Christie - Ten Little Soldiers)- その1

食堂(Dining Room)のテーブルの上には、
当初、10人の兵隊人形が置かれていた。 -
HarperCollins Publishers 社から出ている
アガサ・クリスティー作「そして誰もいなくなった」のグラフィックノベル版
(→ 2020年9月13日付ブログで紹介済)から抜粋。


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1939年に発表したノンシリーズ作品「そして誰もいなくなった(And Then There Were None)」を英国の BBC(British Broadcasting Corporation)が映像化した英国 TV ドラマ版として映像化しているが、2015年12月26日に放映された「エピソード1」において使用された童謡「10人の子供の兵隊(Ten Little Soldiers)」は、以下の通り。


(1)


アンソニー・ジェイムズ・マーストンは、
ブランデーが入ったグラスに投与された青酸カリによる中毒により、
最初の犠牲者となる。
 -
HarperCollins Publishers 社から出ている
アガサ・クリスティー作「そして誰もいなくなった」のグラフィックノベル版から抜粋。

Ten little soldier boys went out to dine; One choked his little self and then there were Nine.

(10人の子供の兵隊さんが、ご飯を食べに出かけた。でも、一人が喉を詰まらせて、残りは9人になった。)


アンソニー・ジェイムズ・マーストンがブランデーが入ったグラスに投与された青酸カリによる中毒死した夜、
執事のトマス・ロジャーズが、食堂の後片付けをしていた際、
テーブルの上に置かれた兵隊の人形の数が10個から9個へと減っていることに気付く。
なお、英国 TV ドラマ版の場合、このような場面はない。 -

HarperCollins Publishers 社から出ている
アガサ・クリスティー作「そして誰もいなくなった」のグラフィックノベル版から抜粋。

*被害者:アンソニー・ジェイムズ・マーストン(Anthony James Marston - 遊び好きの上、生意気な青年)

*告発された罪状:二人の子供であるジョン・クームズ(John Coombes)とルーシー・クームズ(Lucy Coombes)を殺害(具体的に言うと、スピードを出し過ぎた車で轢き殺している)。

*犯罪発生時期:英国 TV ドラマ版の場合、具体的な時期については、言及されていないが、アガサ・クリスティーの原作の場合、「去年(last year)の11月14日」と明記されている。

*死因:ブランデー(brandy)が入ったグラスに投与された青酸カリによる中毒死


(2)


謎のオーウェン氏から罪状の告発を受けて、気を失ったエセル・ロジャーズは、
夫のトマス・ロジャーズと医師のエドワード・ジョージ・アームストロング
(Edward George Armstrong)の二人に支えられて、使用人部屋へと運ばれ、
医師の手当てを受けたが、
睡眠薬クロラールの過剰摂取による中毒のため、翌日、目を覚まさなかった。 -
HarperCollins Publishers 社から出ている
アガサ・クリスティー作「そして誰もいなくなった」のグラフィックノベル版から抜粋。

Nine little soldier boys sat up very late; One overslept himself and then there were Eight.

(9人の子供の兵隊さんが、夜更かしをした。でも、一人が寝坊をして、残りは8人になった。)


妻のエセル・ロジャーズが亡くなった後、一人で朝食の準備を行ったトマス・ロジャーズは、
朝食を終えて、ゲスト達が席を立った後、食堂の後片付けをしていた際、
テーブルの上に置かれた兵隊の人形の数が9個から8個へと減っていることに気付き、
医師のエドワード・ジョージ・アームストロングに報告する
なお、英国 TV ドラマ版の場合、食堂のテーブルの上に置かれた人形の数が
10個から8個へと減っていることに気付き、
医師のエドワード・ジョージ・アームストロングに報告したのは、トマス・ロジャーズではなく、
秘書のヴェラ・エリザベス・クレイソーン(Vera Elizabeth Claythorne)で、
また、報告のタイミングも、朝食後ではなく、朝食前である。
 -
HarperCollins Publishers 社から出ている
アガサ・クリスティー作「そして誰もいなくなった」のグラフィックノベル版から抜粋。

*被害者:エセル・ロジャーズ(Ethel Rogers - 料理人)

*告発された罪状:仕えていた老女であるジェニファー・ブレイディー(Jennifer Brady)を死に至らせた(アガサ・クリスティーの原作の場合、トマス・ロジャーズと妻のエセル・ロジャーズの二人は、1926年5月6日の嵐の夜、仕えていた老女であるジェニファー・ブレイディー(Jennifer Brady)が発作を起こした際、処方薬を適切に投与せず、医者を呼びに行っている間に、発作を悪化させて、死に至らせたことになっているが、英国 TV ドラマ版の場合、トマス・ロジャーズが眠っている老女の顔の上に枕を押し付け、呼吸困難から心臓麻痺を起こさせて、殺害したことに変更されている。なお、妻のエセル・ロジャーズは、夫が老女を殺害する現場を近くで震えて見ていた。)。

*犯罪発生時期:英国 TV ドラマ版の場合、具体的な時期については、言及されていないが、アガサ・クリスティーの原作の場合、「1929年5月6日」と明記されている。

*死因:睡眠薬クロラールの過剰摂取による中毒死


2025年6月15日日曜日

エドワード7世(Edward VII)- その5

ウォーターループレイス(Waterloo Place)内に建つ
エドワード7世の騎馬ブロンズ像(その1)


1841年11月9日に出生した後、同年12月4日にウェールズ公(Prince of Wales)の称号を得たアルバート・エドワード(Albert Edward)の忍従の時は、約59年間続いたが、1901年1月22日、彼の母親で、ハノーヴァー朝(House of Hanover)の第6代女王で、かつ、初代インド女帝であるヴィクトリア女王(Queen Victoria:1819年ー1901年 在位期間:1837年ー1901年 → 2017年12月10日 / 12月17日付ブログで紹介済)が崩御。



これに伴い、アルバート・エドワードは、59歳で英国王として即位。

母親であるヴィクトリア女王の在位期間が長期にわたったため、ウィンザー朝(House of Windsor)第5代国王として即位したチャールズ3世(King Charles III:1948年ー 在位期間:2022年ー)に次いで、現状、2番目に長く、ウェールズ公の立場にあったことになる。

彼は王名を「エドワード7世(Edward VII)」に定め、王朝名を「サクス=コバーグ・アンド・ゴータ朝(House of Saxe-Coburg and Gotha)」に変更。

翌年の1902年8月9日に、ウェストミンスター寺院(Westminster Abbey)において、戴冠式を挙行。


ウォーターループレイス内に建つ
エドワード7世の騎馬ブロンズ像(その2)

エドワード7世の在位期間は、1901年1月22日から1910年5月6日までの10年間強ではあったが、彼の治世は、「エドワード朝(Edwardian era)」と呼ばれており、彼の在位中、1905年までは、保守党(*1)が、その後は、自由党(*2)が政権を担当した。


*1:

第3代ソールズベリー侯爵ロバート・アーサー・タルボット・ガスコイン=セシル(Robert Arthur Talbot Gascoyne-Cecil, 3rd Marquess of Salisbury:1830年ー1903年 首相在任期間:1895年6月28日ー1902年7月11日)

初代バルフォア伯爵アーサー・ジェイムズ・ベルフォア(Arthur James Balfour, 1st Earl of Balfour:1848年ー1930年 首相在任期間:1902年7月12日ー1905年12月4日)


*2:

サー・ヘンリー・キャンベル=バナマン(Sir Henry Campbell-Bannerman:1836年ー1908年 首相在任期間:1905年12月5日ー1908年4月5日)

初代オックスフォード=アスキス伯爵ハーバート・ヘンリー・アスキス(Herbert Henry Asquith, 1st Earl of Oxford and Asquith:1852年ー1928年 首相在任期間:1908年4月5日ー1916年12月5日)


ウォーターループレイス内に建つ
エドワード7世の騎馬ブロンズ像(その3)

外交面において、第二次ボーア戦争(Second Anglo-Boer War:1899年10月12日ー1902年5月31日)が集結し、南アフリカを併合。

シャーロック・ホームズシリーズの作者であるアーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)は、当時、既に40歳を超えていたため、英国陸軍の兵役検査をパスできず、従軍を諦めたが、その代わりに、戦地の南アフリカへ派遣される医療医師団に参加することに決め、現地入りしている。詳細については、2022年8月8日付ブログを御参照願います。


アーサー・コナン・ドイルは、
既に40歳を超えていたため、英国陸軍の兵役検査をパスできず、
従軍を諦めたが、その代わりに、戦地の南アフリカへ派遣される医療医師団に
参加することに決め、現地入りした。

(Dorling Kindersley Limited から発行されている
「The Sherlock Holmes Book」から抜粋)


また、極東では、中国分割をめぐり、満州占領・北中国の勢力圏化を推し進めるロシアを警戒して、1902年に日本との間で軍事同盟(日英同盟)を締結、日露戦争(1904年ー1905年)の勃発後、日本を支援。

フランスとも友好関係を深め、世界各地で発生していた英仏の植民地争奪戦を互譲的に解決して、英仏協商関係を構築。

更に、日露戦争の終結後、ロシアとの友好関係も深め、中央アジアにおける英露の植民地争奪戦を互譲的に解決して、英露協商関係を構築。

こうして、日英同盟、英仏協商、そして、英露協商が締結され、英国と日本 / フランス / ロシアの関係が強化されたため、エドワード7世は、「ピースメーカー(Peace Maker)」と呼ばれた。


ウォーターループレイス内に建つ
エドワード7世の騎馬ブロンズ像(その4)

その一方で、英国とドイツの関係は悪化の一途を辿り、エドワード7世の崩御から4年後の1914年に、第一次世界大戦(1914年ー1918年)が勃発することになるのである。


ウォーターループレイス内に建つ
エドワード7世の騎馬ブロンズ像(その5)

エドワード7世は、内政面において、自由党と保守等の対立と言う問題を、また、外交面において、英国とドイツの関係悪化と言う問題を抱える中、過労で気管支炎を悪化させて、1910年5月6日に崩御した。


2025年6月14日土曜日

アガサ・クリスティー作「そして誰もいなくなった」の日本語新翻訳版の表紙について(And Then There Were None by Agatha Christie)

日本の株式会社 早川書房から出ている
クリスティー文庫80「そして誰もいなくなった」の復刻版表紙
(装幀: 真鍋 博)


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1939年に発表したノンシリーズ作品「そして誰もいなくなった(And Then There Were None)」は、日本の出版社である株式会社 早川書房( Hayakawa Publishing, Inc.)から、クリスティー文庫80「そして誰もいなくなった」として、日本語新翻訳版が出ている。

なお、本作品は、アガサ・クリスティーが執筆した長編としては、第26作目に該り、彼女の作品の中でも、代表作に挙げられている。


その際、日本語新翻訳版の表紙として、1976年4月刊行のハヤカワ・ミステリ文庫「そして誰もいなくなった」の挿画が復刻されている。


復刻された挿画の装幀を担当しているのは、日本のイラストレーター / アニメーター / エッセイストであった真鍋 博(Hiroshi Manabe:1932年ー2000年)。


元々、アガサ・クリスティーが1939年に「そして誰もいなくなった」を発表した時点での英語の原題は「Ten Little Niggers(10人の小さな黒んぼ)」で、作品中、これは非常に重要なファクターを占める童謡を暗示している。

なお、この童謡は、マザーグース(Mother Goose)の一つとして分類されるが、大元の「Ten Little Nigger Boys」は、英国の作詞家フランク・グリーン(Frank Green)が1869年に翻案した作品である。


ただし、「Nigger」という単語がアフリカ系アメリカ人に対する差別用語だったため、米国版のタイトルは「Ten Little Indians(10人の子供のインディアン)」に改題された。

それに伴い、


*島の名前: 黒人島(Nigger Island)→ インディアン島(Indian Island)

*童謡名: 10人の小さな黒んぼ(Ten Little Niggers)→ 10人の子供のインディアン(Ten Little Indians)

*人形名: 黒人人形 → インディアン人形


へと変更された。


真鍋 博が日本語旧翻訳版の装幀を担当した際(1976年4月)、米国版のタイトルをベースにして、表紙には「インディアン」が描かれている。


近年、「インディアン」も差別用語と考えられているため、英米で発行されている「そして誰もいなくなった」のタイトルには、「And Then There Were None」が使用されている。「And Then There Were None」は、童謡の歌詞の最後の一文から採られている。

その結果、


*島の名前: インディアン島(Indian Island)→ 兵隊島(Soldier Island)

*童謡名:10人の子供のインディアン → 10人の子供の兵隊(Ten Little Soldiers)

*人形名: インディアン人形 → 兵隊人形


へという変遷を辿っているのである。


2025年6月13日金曜日

ロンドン サー・ジョン・ソーンズ博物館(Sir John Soane’s Museum)- その4

英国のロマン主義の画家であるジョーゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー作
「Admiral van Tromp's Barge at the entrance to the Texel, 1645」(1831年)
Oil on canvas / Height : 90.2 cm / Width : 121.9 cm


米国のペンシルヴェニア州(Pennsylvania)に出生して、英国人のクラリス・クルーヴス(Clarice Cleaves)との結婚後、1932年から1946年にかけて英国のブリストル(Bristol)に居を構えていた米国の推理作家で、「不可能犯罪の巨匠」とも呼ばれているジョン・ディクスン・カー(John Dickson Carr:1906年ー1977年)が1935年に発表した推理小説で、ギディオン・フェル博士(Dr. Gideon Fell)が登場するシリーズ第5作目に該る「死時計(Death-Watch → 2025年4月30日 / 5月4日付ブログで紹介済)」において言及される「サー・ジョン・ソーンズ博物館(Sir John Soane’s Museum)」は、リンカーンズ・イン・フィールズ(Lincoln’s Inn Fileds → 2016年7月3日付ブログで紹介済)に面して建っている博物館で、英国の古典主義を代表する建築家で、1788年にロバート・テイラー(Robert Taylor:1714年ー1788年)の後を継いで、イングランド銀行(Bank of England → 2015年6月21日 / 6月28日付ブログで紹介済)の建築家に就任し、その後、1833年まで45年間にわたり、その任を務めたサー・ジョン・ソーン(Sir John Soane:1753年ー1837年)の邸宅兼スタジオを使用しており、彼が手掛けた建築に関する素描、図面や建築模型、更に、彼が収集した絵画や骨董品等を所蔵している。


英国の画家であるジョージ・ジョーンズ(George Jones:1786年ー1869年)作
「The Opening of London Bridge, 1831」(1832年)
Oil on canvas / Height : 127 cm / Width : 107 cm

ー・ジョン・ソーンズ博物館には、サー・ジョン・ソーンが手掛けた建築に関する素描、図面や建築模型に加えて、彼が個人的な趣味により収集した絵画や骨董品等が展示されている。
右側に見えるのは、イングランドの劇作家 / 詩人である
ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare:1564年ー1616年

サー・ジョン・ソーンの絵画コレクションは、16世紀から19世紀までの油彩、水彩や素描作品から成り立っている。

ヴェネツィア共和国の景観画家 / 版画家であるジョヴァンニ・アントーニオ・カナレットによる
ヴェネツィア風景画を鑑賞する来場者達

それらの中には、サー・ジョン・ソーンの友人で、英国のロマン主義の画家でもあったジョーゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(Joseph Mallord William Turner:1775年ー1851年 / 一般的に「J・M・W・ターナー(J. M. W. Turner)」として知られている → 2018年7月1日 / 7月8日 / 7月15日付ブログで紹介済)による油彩画と水彩画、それに、ヴェネツィア共和国の景観画家 / 版画家であるジョヴァンニ・アントーニオ・カナレット(Giovanni antonio Canaletto:1697年ー1768年 → 2023年11月19日 / 11月27日付ブログで紹介済)によるヴェネツィア風景画3点等が含まれている。



サー・ジョン・ソーンのコレクションの大部分を占めるのは、古代エジプト、古代ギリシアや古代ローマの建築物の破片や装飾品等である。

上記の次に来るのが、石細工や石彫を初めとして、ブロンズ作品、テラコッタ、陶磁器、宝石や中世のステンドグラス等である。





それらの中で特筆すべき所蔵品は、古代エジプト第19王朝の第2代ファラオであるセティ1世(Seti I:在位期間 紀元前1294年ー紀元前1279年)の雪花石膏の石棺だと言える。

サー・ジョン・ソーンが自ら「埋葬室」と呼んだ博物館地下の部屋に安置されており、この石棺が自分のコレクションに加えられた際、彼は3日間にわたる祝宴を開催した、とのこと。


古代エジプト第19王朝の第2代ファラオであるセティ1世の雪花石膏の石棺


博物館内の見学が終わり、売店(→ 出口)へと向かう階段



                                           

2025年6月11日水曜日

ロンドン パークロード(Park Road)

セントバーソロミュー病院の特別病棟に入院していた患者の一人である
エリナー・ランガムが住む邸宅に一番イメージが近い住居。

英国の作家であるミシェル・バークビー(Michelle Birkby)作の長編第2作目に該る「ベイカー街の女たちと幽霊少年団(The Women of Baker Street → 2025年5月2日 / 5月24日 / 5月29日 / 6月4日付ブログで紹介済)」(2017年)の場合、ベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)の家主であるハドスン夫人(Mrs. Hudson - マーサ・ハドスン(Martha Hudson))は、腹部の閉塞症のため、セントバーソロミュー病院(St. Bartholomew's Hospital → 2014年6月14日付ブログで紹介済)で緊急手術を受けるところから、物語が始まる。



同病院の特別病棟内のベッドの上で目を覚ましたハドスン夫人は、モルヒネと麻酔薬の投与により、目が覚めた後も頭にまだ霞がかかったようになっていた。

その時、ハドスン夫人は、病室のとりわけ暗い一角に、うごめく影のかたまりを見た。ハドスン夫人が目を凝らしていると、影のかたまりは、彼女のベッドの裾を横切り、彼女の斜向かいにあるベッドへと向かった。朦朧とする意識のなか、ハドスン夫人は、その影のかたまりがそのベッドの上に覆いかぶさるのを目撃した後、突如、深い眠りへ引きずり込まれると、意識が遠のく。

翌朝、ハドスン夫人が再度目覚めると、シスターと若い医師が、彼女の斜向かいの空っぽのベッドの側に立って、話し合いをしているのが聞こえた。昨夜、ハドスン夫人が目撃した通り、影のかたまりが覆いかぶさっていたベッドの女性は、今朝、亡くなっているのが見つかったのである。


英国の Pam Macmillan 社から2017年に出版された
ミシェル・バークビー作「ベイカー街の女たちと幽霊少年団」
ペーパーバック版内に付されている
セントバーソロミュー病院の特別病棟の見取り図


それから数日後の夜、ハドスン夫人は、消灯後、眠りに落ちたが、午前3時頃、悪夢に襲われて、目が覚めた。目が覚めたものの、何故か、身体が全く動かず、また、助けを呼ぼうにも声も出なかった。

すると、入院初日の晩と全く同じことが起きる。病室の隅の黒いかたまりから、人の形をしたものがすうっと出て来たのだ。そして、エマ・フォーダイス(Emma Fordyce - ミランダ・ローガン(Miranda Logan)の正面に居る患者 / 歳を召していて、あちこち悪いところがあるみたいだが、老いを楽しんでいる様子 / 過去に非凡な面白い体験をしていて、思い出話を他の人に聞かせるのが大好き)が眠るベッドの側に立った。その時、エマ・フォーダイスが目を覚まして、はっと息をのんだ後、悲鳴を上げようとしたが、その人影は、いきなり側にあった枕を掴むと、彼女の顔に押し付けた。エマ・フォーダイスは激しく暴れた、次第に抵抗が弱くなり、最後は、ぐったりとして動かなくなった。

ハドスン夫人は、入院初日に続き、2つ目の殺人現場を目撃したことになる。


画面奥左側に建つパブ「ウィンザー城(Windsor Castle)」は、既に閉鎖済で、
画面奥中央から画面奥右側にかけての建物には、
ロンドンビジネススクール(London Business School)が以前入居していた。
なお、画面奥右の方面へ進むと、地下鉄ベイカーストリート駅へと至る。

一方、ワトスン夫人(Mrs. Watson)となったメアリー・ワトスン(Mary Watson - 旧姓:モースタン(Morstan))は、ベイカーストリート221B の給仕のビリー(Billy)経由、ベイカーストリート不正規隊(Baker Street Irregulars)のウィギンズ(Wiggins)から聞いた話が気になっていた。



それは、「幽霊少年団(The Pale Boys)」のことだった。

(1)夜間だけ、街角に姿を見せる。

(2)街灯の明かりには決して近付かない。

(3)往来の激しい大通りには、足を踏み入れない。

(4)全員、青白い顔をして、闇に溶け込みそうな黒づくめの服装をしている。

(5)薄暗い道端や人気の無い路地を彷徨く。

(6)何年経っても、歳をとらないし、飲んだり食べたりもしない。

(7)彼らの姿を見た者は、死んでしまう。

(She told me the tale of the Pale Boys. Boys who came onto the street only at night. They never came into the light. They never went onto the Main Street. They had pale faces, and all black clothes, and they melted into the shadows. They walked in dark corners and deserted alleyways. They never grew old, and never ate or drank and if you saw them, you would die.)



セントバーソロミュー病院を退院したハドスン夫人と同席するメアリー・ワトスンは、セントバーソロミュー病院の特別病棟内で発生した殺人事件とロンドン市内姿を現す「幽霊少年団」の2つの謎を追うことになった。



I had asked Grace for Eleanor Langham’s address, saying I wanted to visit her now we were both home. I felt the only way to continue my investigation, and also to shake away the dread of the hospital ward, was to visit these women. I wanted to see them not as fellow patients, but as people in their own homes, surrounded by their own things, with heir own family. I knew how different people could be in those circumstances. I certainly was. Outside of that ward, I was stronger, no longer the weak, trembling creature afraid of a hospital bed. To my relief, Eleanor handily lives just round the corner, on Park Road.


(中略)


Eleanor Langham lived in a huge White House on the western edge of Regent’s Park. It was ornamented and curlicued and obviously very expensive. It made me pause for a moment - but only a moment.



そこで、お互い退院して自宅にいるのだからお見舞いに行きたい、という口実でグレイスにエリナー・ランガムの住所を教えてもらった。私が病院で目撃した不可解な死を調べるうえで、あそこに居合わせた患者と話すことが唯一のとっかかりと考えたからだ。あの病室に対して今も感じている恐怖を吹き飛ばすためにも、彼女たちと会わなければならない。病室ではなく、相手が自分の物に囲まれて家族と一緒に過ごしている場所を訪ねて。人は入院中と自宅に戻ったときとでは全然ちがう。わたし自身もそうだ。病院のベッドを震えるほど怖がっていたのが嘘のように、いまはこのとおり心身ともにしっかりしている。幸いにして、エリナーの家はここベイカー街から近いパーク・ロード沿いにあった。


(中略)


エリナー・ランガムはリージェンツ・パークの西端に建つ大きな邸宅に住んでいた。渦巻き形などの凝った装飾をほどこされた、明らかにお金のかかっている高級な建物だった。その堂々たる外観に気圧され、思わず足が止まったが、もちろんほんの一瞬のこと。ここまで来て迷っている場合ではない。

(駒月 雅子訳)



セントバーソロミュー病院の特別病棟でハドスン夫人と同室だったエリナー・ランガム(Eleanor Langham - ベティー・ソランド(Betty Soland)の正面に居る患者 / 心臓病のため、最近手術を受けたばかり / ベッドの脇にある椅子が定位置で、大抵の時間は、ただ椅子に腰掛けて、周りの様子を眺めている)が住む邸宅があるパークロード(Park Road)は、実在する通りでリージェンツパークの西側を囲んでいる。


この環状道路が、パークロードの北端に該る。
画面右側へ進むと、プリンスアルバートロード(Prince Albert Road
→ 2025年6月9日付ブログで紹介済)へと至る。
画面左奥へ進むと、パークロードは、
ウェリントンロードへと名前を変えて、更に北上していく。

地下鉄ベイカーストリート駅(Baker Street Tube Station  →  2014年4月18日 / 4月21日 / 4月26日 / 4月27日 / 5月3日 / 5月10日 / 5月11日 / 5月18日付ブログで紹介済)の前を通り、ロンドン市内から北上してきたベイカーストリート(Baker Street → 2016年10月1日付ブログで紹介済)は、リージェンツパークの南西の角にあたったところで終わり、パークロードへと名前を変え、セントジョンズウッド地区(St. John’s Wood→2014年6月17日付ブログで紹介済)へと向かって北上する。

そして、パークロードは、リージェンツパークの北西の角にあたったところで終わり、ウェリントンロード(Wellington Road)へと名前を変え、更に、地下鉄セントジョンズウッド駅(St. John’s Wood Tube Station)の前を通過したところで、フィンチリーロード(Finchley Road)へと変わり、北上を続けていく。


パークロード沿いに建つルドルフ・シュタイナーハウスの建物外観


パークロード(Park Road)沿いの35番地(35 Park Road, Marylebone, London NW1 6XT)には、以前に御紹介した「ルドルフ・シュタイナーハウス(Rudolf Steiner House → 2019年8月18日付ブログで紹介済)」が建っている。 


本屋入居スペースの窓ガラス上部にある庇部分に、
19世紀末から20世紀前半にかけて、オーストリアやドイツで活動した哲学者、教育者、建築家、経済学者で、
神秘思想家でもあったルドルフ・シュタイナー(Rudolf Steiner:1861年ー1925年)
が用いた
「ゲーテアヌム」という独特の形容が見受けられる。


           

2025年6月10日火曜日

アガサ・クリスティー作「ゼロ時間へ」<英国 TV ドラマ版>(Towards Zero by Agatha Christie )- その1

画面奥左側から、ケイ・ストレンジ、ネヴィル・ストレンジ、
メアリー・アルディン、フレデリック・トリーヴス、トマス・ロイド、
オードリー・ストレンジ、そして、リーチ警部。
画面手前のベッドで身体を起こしているのが、
カミラ・トレシリアン夫人である。


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1944年に発表したノンシリーズ作品「ゼロ時間へ(Towards Zero → 2024年11月18日 / 12月8日 / 12月9日付ブログで紹介済)」は、英国の BBC(British Broadcasting Corporation)が TV ドラマとして映像化の上、2025年3月2日、3月9日および3月16日の3夜に渡って放映されている。

なお、本作品は、アガサ・クリスティーが執筆した長編としては、第34作目に該っている。


「ゼロ時間へ」の場合、通常の作品とは異なり、犯人が殺人の計画を策定する時間から始まって、犯行の瞬間である「ゼロ時間」へと遡っていくと言う独特の叙述法が採用されている。


昨年(2024年)、「ゼロ時間へ」の発表80周年を記念して、英国の HarperCollins Publishers 社から同作品の愛蔵版(ハードバック版)が出版されている。


2024年に英国の HarperCollins Publishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「ゼロ時間へ」の
愛蔵版(ハードカバー版)の表紙
(Cover design by 
HarperCollinsPublishers Ltd. /
Cover illustration : Courtesy of the Mill at Sonning Theatre) 


BBC の TV ドラマ版における主な登場人物は、以下の通り。


(1)カミラ・トレシリアン夫人(Lady Camilla Tressilian - 寝たきりの金持ちの老未亡人で、ソルトクリーク(Saltcreek)の邸宅「ガルズポイント(Gull’s Point)」に在住): Anjelica Huston

(2)メアリー・アルディン(Mary Aldin - カミラ・トレシリアン夫人のコンパニオン): Anjana Vasan

(3)ネヴィル・ストレンジ(Nevile Strange - カミラ・トレシリアン夫人の亡き夫の被後見人で、テニス選手): Oliver Jackson-Cohen

(4)オードリー・ストレンジ(Audrey Strange - ネヴィル・ストレンジの前妻): Ella Lily Hyland

(5)ケイ・ストレンジ(Kay Strange 旧姓:エリオット(Elliot)- ネヴィル・ストレンジの新妻): Mimi Keene

(6)ルイス・モレル(Louis Morel - ケイ・ストレンジの友人): Khalil Ben Gharbia

(7)トマス・ロイド(Thomas Royde - メアリー・アルディンの恋人): Jack Farthing

(8)ヘクター・マクドナルド(Hector Macdonald - ネヴィル・ストレンジの執事): Adam Hugill

(9)フレデリック・トリーヴス(Frederick Treves - カミラ・トレシリアン夫人の専任弁護士): Clark Peters

(10)シルヴィア(Sylvia - フレデリック・トリーヴスが後見人を務めている少女): Grace Doherty

(11)バレット夫人(Mrs. Barrett - カミラ・トレシリアン夫人のメイド): Jackie Clune


(12)リーチ警部(Inspector Leach - 地元警察に所属する酔っ払いの警部): Matthew Rhys

(13)ミラー巡査部長(Detective Sergeant Miller - リーチ警部の部下): Alexander Cobb


2024年に英国の HarperCollins Publishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「ゼロ時間へ」の
愛蔵版(ハードカバー版)の裏表紙
(Cover design by 
HarperCollinsPublishers Ltd. /
Cover illustration : Courtesy of the Mill at Sonning Theatre) 


BBC の TV ドラマ版における登場人物の場合、アガサ・クリスティーの原作対比、以下の違いがある。


(2)

<原作>

物語当初、トマス・ロイドとの間に恋愛関係はない。物語の終盤、トマス・ロイドとの間に恋愛関係が進展する可能性があることが言及されている。

<英国 TV ドラマ版>

物語の最初から、トマス・ロイドと恋愛関係にある。


(6)

<原作>

ケイ・ストレンジの友人として、エドワード・ラティマー(Edward Latimer - 愛称:テッド(Ted))が登場する。

<英国 TV ドラマ版>

エドワード・ラティマーの役割が、ルイス・モレルに置き換えられている。


(7)

<原作>

物語当初、メアリー・アルディンとの間に恋愛関係はなく、従姉妹であるオードリー・ストレンジに対して、長年の間、想いを寄せている。物語の終盤、メアリー・アルディンとの間に恋愛関係が進展する可能性があることが言及されている。

<英国 TV ドラマ版>

物語の最初から、メアリー・アルディンと恋愛関係にある。


(8)

<原作>

原作には登場しない。

<英国 TV ドラマ版>

英国 TV ドラマ版用に新たに設けられた人物である。


(9)

<原作>

カミラ・トレシリアン夫人の古くからの友人かつ弁護士ではあるが、同夫人の専任弁護士ではない。

また、原作の場合、トリーヴス氏(Mr. Treves)と呼ばれており、名前については、言及されていない。

<英国 TV ドラマ版>

カミラ・トレシリアン夫人の専任弁護士として、以前から様々な件を処理している人物である。

また、英国 TV ドラマ版の場合、原作とは異なり、フレデリック(Frederick)と言う名前が与えられている。


(10)

<原作>

原作には登場しない。

<英国 TV ドラマ版>

英国 TV ドラマ版用に新たに設けられた人物である。


(12)

<原作>

原作の場合、スコットランドヤードに所属するジェイムズ・リーチ警部(Inspector James Leach)で、バトル警視(Superintendent Battle)の甥でもある。

<英国  TV ドラマ版>

地元警察に所属する警部で、バトル警視の甥でもない。


(13)

<原作>

原作に登場するのは、ジョーンズ巡査部長(Sergeant Jones)である。

<英国 TV ドラマ版>

ジョーンズ巡査部長の役割が、ミラー巡査部長に置き換えられている。


英国 TV ドラマ版の場合、原作の終盤において非常に重要な役割を果たすアンガス・マクハーター(Angus MacWhirter - 自殺しそこねた男性)と事件を解決するバトル警視の2人が登場していない。