2025年12月20日土曜日

シティー内に点在するスヌーピー彫刻の探訪(Snoopy in the City: Sculpture trail)- その4

セントブライズパッセージに設置された
3番目のスヌーピー彫刻「Plant Dreams, Harvest Joy」
<筆者撮影>


スヌーピー(Snoopy)が主人公である米国人気コミック「ピーナッツ(Peanuts)」の誕生75周年を記念して、12名のアーティストがデザインしたスヌーピー彫刻が、2025年11月19日から2026年1月16日までの約2ヶ月間、シティー・オブ・ロンドン(City of London → 2018年8月4日 / 8月11日付ブログで紹介済)内の各地に展示されている。



前回に続き、12名のアーティストがデザインしたスヌーピー彫刻について、個別に紹介していきたい。


(3)

*彫刻名: Plant Dreams, Harvest Joy

*アーティスト名: Kim Thompson





*展示場所: セントブライズパッセージ(St. Bride’s Passage - セントブライド教会(St. Bride’s Church)の南側にある小道)


左奥に見える階段を上って行ったところがセントブライズパッセージで、
そこに
番目のスヌーピー彫刻「Plant Dreams, Harvest Joy」が設置されている。
<筆者撮影>

セントブライズパッセージから見たセントブライド教会(現在、修復工事中)-
当地に元々建っていた教会の建物は、1666年のロンドン大火(The Great Fire of London →
2018年9月8日 / 9月15日 / 9月22日 / 9月29日付ブログで紹介済)により焼失。
現在の教会の建物は、ステュアート朝(House f Stuart)の第4代国王であるジェイムズ2世
(James II :1633年-1701年 在位期間:1685年ー1688年)から
シティー・オブ・ロンドン再建の任を託された
英国の建築家であるサー・クリストファー・レン
(Sir Christopher Wren:1632年ー1723年)が1672年にバロック様式で再建したもの。
現在、セントブライド教会の建物は、Grade I listed building に指定されている。
<筆者撮影>

ロンドン大火から350年後の2016年に
英国のロイヤルメール(Royal Mail)が発行した記念切手(その1)

ロンドン大火から350年後の2016年に
英国のロイヤルメールが発行した記念切手(その2)

ロンドン大火から350年後の2016年に
英国のロイヤルメールが発行した記念切手(その3)

ロンドン大火から350年後の2016年に
英国のロイヤルメールが発行した記念切手(その4)

ロンドン大火から350年後の2016年に
英国のロイヤルメールが発行した記念切手(その5)

ロンドン大火から350年後の2016年に
英国のロイヤルメールが発行した記念切手(その6)

セントブライズパッセージに面した
セントブライド協会(St. Bride Institute)の出入口
<筆者撮影>


2025年12月19日金曜日

セントバーソロミュー病院 / 北翼(St. Bartholomew's Hospital / North Wing)- その2

セントバーソロミュー病院内に設置されている
セントバーソロミュー病院 / 北翼(Barts North Wing)への案内掲示板
<筆者撮影>

英国の TV 会社 ITV 社による制作の下、「Agatha Christie’s Poirot」の第20話(第2シリーズ)かつアガサ・クリスティー生誕100周年記念スペシャルとして、1990年9月16日に放映されたアガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)作「スタイルズ荘の怪事件The Mysterious Affair at Styles → 2023年12月3日 / 12月6日付ブログで紹介済)」(1920年)の TV ドラマ版において、物語の冒頭、第一次世界大戦(1914年ー1918年)中に負傷したアーサー・ヘイスティングス中尉(Lieutenant Arthur Hastings - アガサ・クリスティーの原作では、大尉(Captain)となっている)が彼の旧友であるジョン・キャヴェンディッシュ(John Cavendish)と再会する場面が、セントバーソロミュー病院(St. Bartholomew's Hospital → 2014年6月14日付ブログで紹介済)の北翼(North Wing)にある「ホガースの階段(Hogarth Staircase)」と呼ばれる吹き抜け階段において撮影されている。


下から「ホガースの階段(Hogarth Staircase)」と呼ばれる
吹き抜け階段を見上げたところ -
アーサー・ヘイスティングス中尉と旧友のジョン・キャヴェンティッシュの2人が
上から降りて来る場面が、この角度で撮影されている。
<筆者撮影>


セントバーソロミュー病院は、ロンドンのスミスフィールド(Smithfield)に所在する病院で、「王立セントバーソロミュー病院(The Royal Hospital of St. Bartholomew)」が、その正式名であるが、「バーツ(Barts)」と言う略称が、一般的に知られている。

セントバーソロミュー病院の設立は、1123年まで遡り、ヨーロッパで最も古い歴史を有する病院とされている。


セントバーソロミュー病院博物館(St. Bartholomew's Hospital Museum)内にある
病院の歴史に関する説明資料 -
左側が 
セントバーソロミュー修道院(病院)を設立したラヒアで、
右側が彼の夢の中に現れた聖人セントバーソロミュー。
<筆者撮影>


12世紀のイングランド王であるヘンリー1世碩学王(Henry I Beauclerc:1068年頃ー1135年 在位期間:1100年ー1135年)の寵臣ラヒア(Rahere:?ー1144年)が、ローマ巡礼中に、重い病に倒れたが、彼の神への強い祈りが届いたかのように、奇跡的に病から回復。

その際、彼の夢の中に、イエス・キリストの使徒の一人である聖人セントバーソロミュー(St. Bartholomew)が現れると、ロンドンのスミスフィールドに貧民や病人を助けるための修道院(病院)を建てるように告げたと伝えられている。

この聖人セントバーソロミューのお告げに従って、イングランドに戻ったラヒアは、1123年、スミスフィールドの地にセントバーソロミュー修道院を設立したのである。


ケンブリッジ大学創立800周年を記念して、
英国の児童文学作家 / イラストレーターであるクェンティン・ブレイク
(Quentin Blake:1932年ー)が描いた
ヘンリー8世とキングスカレッジ合唱団の絵葉書
<筆者がケンブリッジのフィッツウィリアム博物館(Fitzwilliam Museum
→ 2024年7月20日 / 7月24日付ブログで紹介済)で購入>


そして、時代は、テューダー朝(House of Tudor)の第2代イングランド王であるヘンリー8世(Henry VIII:1491年ー1547年 在位期間:1509年ー1547年 → 2024年7月26日付ブログで紹介済)による統治時まで下る。

ヘンリー8世は、男の世継ぎ(嫡子)が生まれていない王妃キャサリン・オブ・アラゴン(Catherine of Aragon:1487年ー1536年)との離婚を画策して、ローマのカトリック教会と対立し、1534年に国王至上法(首長令)を発布の上、自らを英国国教会(Church of England)の長とするとともに、カトリック教会から英国国教会の分離を行った。


1702年に完成したヘンリー8世門(Henry VIII Gatehouse)-
なお、アーチ門上にある石像は、ロンドンで唯一のヘンリー8世の石像である。
<筆者撮影>


ヘンリー8世が宗教改革の一環として実施した修道院解散(Dissolution of the monasteries:1536年ー1539年)政策に基づき、イングランド国内にあった多くの修道院が解散、そして、財産没収の憂き目に遭った。

セントバーソロミュー修道院は、貧民救済病院として生き残ったものの、修道院としての収入の道が絶たれたため、一時は経営難に陥った。


1546年12月27日に
ヘンリー8世とシティー・オブ・ロンドン共同体の間で交わされた
セントバーソロミュー修道院に関する合意書
ヘンリー8世がシティー・オブ・ロンドン共同体に対して
セントバーソロミュー修道院の支援を約束する書状) -
セントバーソロミュー病院博物館内に展示されている。
<筆者撮影>


そこで、貧民救済病院として生き残ったセントバーソロミュー修道院は、1546年12月27日にシティー・オブ・ロンドン共同体(City of London Corporation - 正式名:Mayor and Commonalty and Citizens of the City of London)から認可を受ける合意に調印したことで、ヘンリー8世による再設立を受けることになった。

1547年1月、セントバーソロミュー修道院は、法的に「ヘンリー8世設立・シティー・オブ・ロンドン・ウェストスミスフィールド救貧院(House of the Poore in West Smithfield in the suburbs of the City of London of Henry VIII’s Foundation)」と命名され、初代病院長に、ヘンリー8世の侍医(外科医)で解剖学者でもあったトマス・ヴィカリー(Thomas Vicary:1490年頃ー1561年)が就任。


セントバーソロミュー・ザ・レス教会の入口
<筆者撮影>


ヘンリー8世による修道院解散政策に基づき、セントバーソロミュー修道院の敷地は、英国国教会の小教区として再編されて、同修道院内にあったセントバーソロミュー・ザ・レス教会(St. Bartholomew The Less)が教区教会となった。

これは、英国内の病院でも特異なケースで、セントバーソロミュー・ザ・レス教会は、病院の敷地内に建てられた教会として、唯一現存している。


セントバーソロミュー・ザ・レス教会の塔を見上げたところ
<筆者撮影>

2025年12月18日木曜日

シティー内に点在するスヌーピー彫刻の探訪(Snoopy in the City: Sculpture trail)- その3

プレイハウスヤード内に設置された
2番目のスヌーピー彫刻「Penguin Parade」
<筆者撮影>

スヌーピー(Snoopy)が主人公である米国人気コミック「ピーナッツ(Peanuts)」の誕生75周年を記念して、12名のアーティストがデザインしたスヌーピー彫刻が、2025年11月19日から2026年1月16日までの約2ヶ月間、シティー・オブ・ロンドン(City of London → 2018年8月4日 / 8月11日付ブログで紹介済)内の各地に展示されている。



前回に続き、12名のアーティストがデザインしたスヌーピー彫刻について、個別に紹介していきたい。


(2)

*彫刻名: Penguin Parade

*アーティスト名: Simon Randall





*展示場所: プレイハウスヤード(Playhouse Yard)


チャーチエントリー(Church Entry)から見たプレイハウスヤード -
遠方に、スヌーピー彫刻が見える。
<筆者撮影>

イングランドとアイルランドの女王で、
テューダー朝(House of Tudor)の第5代かつ最後の君主であるエリザベス1世
(Elizabeth I:1533年ー1603年 在位期間:1558年-1603年)
による統治時代、Blackfriars Theatre」と言う劇場が、
ここに建っていたことに因んで、
「プレイハウス(劇場)ヤード」と名付けられている。
<筆者撮影>

ナショナルポートレートギャラリー
(National Portrait Gallery)で販売されている
エリザベス1世の肖像画の葉書
(Unknown English artist / 1600年頃 / Oil on panel
1273 mm x 997 mm) -
エリザベス1世は、王族しか着れない
イタチ科オコジョの毛皮をその身に纏っている。
オコジョの白い冬毛は、「純血」を意味しており、
実際、エリザベス1世は、英国の安定のために、
生涯、誰とも結婚しなかったので、「処女女王」と呼ばれた。
エリザベス1世の」赤毛」と「白塗りの化粧」は、
当時流行したものである。

2025年12月17日水曜日

シティー内に点在するスヌーピー彫刻の探訪(Snoopy in the City: Sculpture trail)- その2

ホテル「レオナルド ロイヤル ロンドン セントポールズ」の前に設置された
1番目のスヌーピー彫刻「Snoopy’s Winter Chorus」
<筆者撮影>

スヌーピー(Snoopy)が主人公である米国人気コミック「ピーナッツ(Peanuts)」の誕生75周年を記念して、12名のアーティストがデザインしたスヌーピー彫刻が、2025年11月19日から2026年1月16日までの約2ヶ月間、シティー・オブ・ロンドン(City of London → 2018年8月4日 / 8月11日付ブログで紹介済)内の各地に展示されている。



今回から、12名のアーティストがデザインしたスヌーピー彫刻について、個別に紹介していきたい。


(1)

*彫刻名: Snoopy’s Winter Chorus

*アーティスト名: Laura-Kate Draws





*展示場所: セントポール大聖堂(St. Paul’s Cathedral → 2018年8月18日 / 8月25日付ブログで紹介済)の近くにあるゴッドリマンストリート(Godliman Street)とカーターレーン(Carter Lane)の角に経つホテル「レオナルド ロイヤル ロンドン セントポールズ(Leonardo Royal London St. Paul’s)」の前


ゴッドリマンストリートから見たセントポール大聖堂
<筆者撮影>


ゴッドリマンストリートを挟んだ反対側には、
ツーリストインフォメーションセンター(Tourist Information Centre)が建っている。

<筆者撮影>

2025年12月16日火曜日

シティー内に点在するスヌーピー彫刻の探訪(Snoopy in the City: Sculpture trail)- その1


スヌーピー(Snoopy)が主人公である米国人気コミック「ピーナッツ(Peanuts)」の誕生75周年を記念して、12名のアーティストがデザインしたスヌーピー彫刻が、2025年11月19日から、シティー・オブ・ロンドン(City of London → 2018年8月4日 / 8月11日付ブログで紹介済)内の各地に展示されている。


あるオフィスビルの最上階から見た
セントポール大聖堂とシティー・オブ・ロンドン
<筆者撮影>


スヌーピーが寝そべっている絵で有名な赤い犬小屋が、12名のアーティストによって、様々にデザインされている。


12名のアーティストがデザインしたスヌーピー彫刻は、


東側:セントポール大聖堂(St. Paul’s Cathedral → 2018年8月18日 / 8月25日付ブログで紹介済)


カーターレーン(Carter Lane)から見たセントポール大聖堂の大ドームと建物側面
<筆者撮影>


西側:チャンセリーレーン(Chancery Lane)

南側:クイーンヴィクトリアストリート(Queen Victoria Street)/ ヴィクトリアエンバンクメント通り(Victoria Embankment → 2018年12月9日付ブログで紹介済)


ヴィクトリアエンバンクメント通り沿いに建つ
シティー・オブ・ロンドンと
シティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)の境界線
→ 画面奥がシティー・オブ・ロンドン
<筆者撮影>


北側:ニューゲートストリート(Newgate Street → 2018年5月19日付ブログで紹介済)/ ホルボーン高架橋(Holborn Viaduct → 2018年5月27日 / 6月2日付ブログで紹介済)/ ホルボーン通り(Holborn → 2025年5月6日付ブログで紹介済)


ニューゲートストリートの西端 −
画面奥には、中央刑事裁判所(Central Criminal Court → 2016年1月17日付ブログで紹介済)が見える。
<筆者撮影>


ホルボーン高架橋の全景写真 –
ホルボーン高架橋の下を潜る通りは、画面奥までがファリンドンロードで(Farringdon Road)、
画面手前からファリンドンストリート(Farringdon Street)へと名前を変える。
<筆者撮影>


ホルボーンサーカス(Holborn Circus)の南西の角に建つビル(画面奥の建物)には、
スーパーマーケットを全国的に展開しているセインズベリーズ(Sainsbury's)の本社が入居している。
右手奥へ延びているのが、ホルボーン通り。
<筆者撮影>


で囲まれたエリア内に点在している。


スヌーピー彫刻は、2026年1月16日まで展示されているが、毎日、上記の地図を印刷した紙を手にした親子連れ、カップルや友人同士等の集団が、上記のエリア内に点在するスヌーピー彫刻を探し回っている。


次回以降、12名のアーティストがデザインしたスヌーピー彫刻を個別に紹介する予定。


2025年12月15日月曜日

<第2000回> セントバーソロミュー病院 / 北翼(St. Bartholomew's Hospital / North Wing)- その1

下から「ホガースの階段(Hogarth Staircase)」と呼ばれる
吹き抜け階段を見上げたところ -
アーサー・ヘイスティングス中尉と旧友のジョン・キャヴェンティッシュの2人が
上から降りて来る場面が、この角度で撮影されている。
<筆者撮影>

アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)作「スタイルズ荘の怪事件The Mysterious Affair at Styles → 2023年12月3日 / 12月6日付ブログで紹介済)」(1920年)の TV ドラマ版が、英国の TV 会社 ITV 社による制作の下、「Agatha Christie’s Poirot」の第20話(第2シリーズ)かつアガサ・クリスティー生誕100周年記念スペシャルとして、1990年9月16日に放映されている。

吹き抜け階段の上から見たウィリアム・ホガース作「善きサマリア人」(右側)と
「ベテスダの池」(左側)
<筆者撮影>

物語の冒頭、第一次世界大戦(1914年ー1918年)中に負傷したアーサー・ヘイスティングス中尉(Lieutenant Arthur Hastings - アガサ・クリスティーの原作では、大尉(Captain)となっている)は、病院において、他の負傷兵に混じり、戦争記録映画を見ている。

そこへ、彼の旧友であるジョン・キャヴェンディッシュ(John Cavendish)が訪ねて来る。そして、ジョン・キャヴェンディッシュは、ヘイスティングス中尉をスタイルズ セントメアリー村(Styles St. Mary)のスタイルズ荘(Styles Court)へ招待した。


吹き抜け階段の途中から見たクリスマスツリー
<筆者撮影>

ジョン・キャヴェンディッシュがヘイスティングス中尉に対して、「義理の母のエミリー・イングルソープ(Emily Inglethrop / スタイルズ荘の持ち主)が、20歳も年下のアルフレッド・イングルソープ(Alfred Inglethrop)と再婚した。」等、スタイルズ荘における内情を説明する場面は、セントバーソロミュー病院(St. Bartholomew's Hospital → 2014年6月14日付ブログで紹介済)の北翼(North Wing)にある「ホガースの階段(Hogarth Staircase)」と呼ばれる吹き抜け階段において撮影されている。


吹き抜け階段を真下から見上げたところ
<筆者撮影>


「バーツ北翼(Barts North Wing)」と呼ばれる建物は、その内装の劣化が激しかったため、数年間に及び修復工事を経て、2025年10月6日に一般公開された。


吹き抜け階段にあるシャンデリアのアップ
<筆者撮影>

スタイルズ荘の怪事件」の撮影に使用された吹き抜け階段には、ロココ(Rococo)時代の英国の画家であるウィリアム・ホガース(William Hogarth:1697年ー1764年)による聖書を題材にした2つの巨大な壁画が描かれていて、ヘイスティングス中尉と旧友のジョン・キャヴェンディッシュの2人が吹き抜け階段を降りて来る際、画面上で確認できる。


吹き抜け階段の天井のアップ
<筆者撮影>


(1)右側の壁:「善きサマリア人(The Good Samaritan)」(1737年)

サマリア人善意で救命行為を行なっている場面が描かれている。


吹き抜け階段の上から見たウィリアム・ホガース作「善きサマリア人」
<筆者撮影>

(2)左側の壁:「ベテスダの池(The Pool of Bethesda)」(1736年)

万病を治す聖なる池において、病人が傷を癒している場面が描かれている。


吹き抜け階段の上から見たウィリアム・ホガース作「ベテスダの池」
<筆者撮影>

幼少期より貧窮生活に苦しんだウィリアム・ホガースは、画家として、当時の世相を痛烈に風刺する連作絵画を制作し、世間に知られるようになったが、セントバーソロミュー病院北翼の吹き抜け階段の壁画に関しては、病院と言う性格上、聖書を題材にした内容となっている。


なお、ウィリアム・ホガースは、セントバーソロミュー病院の理事も務めている。