2025年10月16日木曜日

ロンドン ブルネル博物館(Brunel Museum)- その2

サー・マーク・イザムバード・ブルネル自身が描いた
「テムズトンネル(The Thames Tunnel)」(1835年)
<筆者撮影>


サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)が、シャーロック・ホームズシリーズの短編小説56作のうち、43番目の作品として、英国の「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の1913年12月号に、また、米国の「コリアーズ ウィークリー(Collier’s Weekly)」の1913年11月22日号に発表した作「瀕死の探偵(The Dying Detective → 2025年5月5日 / 5月21日付ブログで紹介済)」に出てくるロザーハイズ地区(Rotherhithe → 2025年8月31日 / 9月6日付ブログで紹介済)は、以前(シャーロック・ホームズとジョン・H・ワトスンが活躍をするヴィクトリア朝時代よりも前)は波止場が主体であったが、19世紀中頃に、フランス生まれの技術者であるサー・マーク・イザムバード・ブルネル(Marc Isambard Brunel:1769年ー1849年)と彼の息子で、英国の技師であるイザムバード・キングダム・ブルネル(Isambard Kingdom Brunel:1806年ー1859年)が「テムズトンネル(Thames Tunnell)」を完成させたことにより、テムズ河(River Thames)の北岸(ワッピング地区(Wapping))と南岸(ロザーハイズ地区)が接続された。


英国で出版された「ストランドマガジン」
1913年12月号に掲載された挿絵(その1) -
ジョン・H・ワトスンがシャーロック・ホームズとの共同生活を解消してから、
2年が経過していた。
ベイカーストリート221B の家主であるハドスン夫人が、
ワトスンの家を訪ねて来る。ホームズが謎の病に罹り、
瀕死の状態に陥っている、とのこと。
ハドスン夫人の依頼を受けて、ワトスンは、
直ぐにホームズの元へと向かい、
熱帯病に詳しい医師を連れて来ようと提案するものの、
何故か、ホームズは一切聞き入れず、
後で自分が指定する人物を読んで来るようにと言い張ったのである。
画面右側から、シャーロック・ホームズ、
そして、ジョン・H・ワトスン。
挿絵:ウォルター・スタンリー・パジェット
(Walter Stanley Paget:1862年 - 1935年)

なお、ウォルター・スタンリー・パジェットは、
シャーロック・ホームズシリーズのうち、

第1短編集の「シャーロック・ホームズの冒険

(The Adventures of Sherlock Holmes)」(1892年)、

第2短編集の「シャーロック・ホームズの回想

(The Memoirs of Sherlock Holmes)」(1893年)、

第3短編集の「シャーロック・ホームズの帰還

(The Return of Sherlock Holmes)」(1905年)および

長編第3作目の「バスカヴィル家の犬(The Hound of the Baskervilles)」

「ストランドマガジン」1901年8月号から1902年4月号にかけて連載された後、

単行本化)の挿絵を担当したシドニー・エドワード・パジェット

(Sidney Edward Paget:1860年 - 1908年)の弟である。


テムズ河の川底に初めてトンネルを通したブルネル親子による功績を称えて、ロザーハイズ地区内には、ブルネル博物館(Brunel Museum)が開館し、ブルネル親子が完成させた「テムズトンネル」に関する資料を展示している。


ブルネル博物館の入口
<筆者撮影>


ブルネル博物館は、


*東側:レイルウェイアベニュー(Railway Avenue)



*西側:トンネルロード(Tunnell Road)



*南側:ロザーハイズストリート(Rotherhithe Street



*北側:トンネルロード


と言う「テムズトンネル」に関連した通りに囲まれた敷地内に所在している。

ブルネル博物館が建つ敷地は、ブルネル親子が完成させた「テムズトンネル」の南端付近に辺っている。


ブルネル博物館内に展示されている
サー・マーク・
イザムバード・ブルネルの肖像画
<筆者撮影>


テムズ河を横断する河底トンネルである「テムズトンネル」の建設は、元々、サー・マーク・イザムバード・ブルネルが計画したもので、現在、ブルネル博物館の一部を成している「ブルネルエンジンハウス(Brunel Engine House - トンネルから水を吸い出すための蒸気駆動ポンプを設置)」は、彼が設計。


「ブルネルエンジンハウス」を見上げたところ
<筆者撮影>

「ブルネルエンジンハウス」に掛けられているプラーク
<筆者撮影>


サー・マーク・イザムバード・ブルネルの息子であるイザムバード・キングダム・ブルネルは、1823年に「テムズトンネル」の建設プロジェクトに参加して、1827年1月に、僅か20歳の若さで建設プロジェクトの Resident Engineer に任命された。



当時、トンネルを建設する場合、「開削工法(地面から溝のような穴を掘り、その底にトンネルを建設した後に、埋め戻す工法)」が採られていた。

「テムズトンネル」の建設プロジェクトの場合、イザムバード・キングダム・ブルネルは、「シールド工法」を考案した。

「シールド工法」とは、「シールド」と呼ばれる筒で切羽(トンネル掘削の最前線)を支え、掘り進めながら、後方でトンネルの壁を構築していく工法で、イメージとしては、モグラのように地下を掘り進めつつ、その後方にトンネルの壁を造っていく方法と言える。


ブルネル博物館内の壁に描かれている
「ブルネルエンジンハウス」と「シャフト」の構造図
<筆者撮影>


「シールド工法」の場合、地面から「立杭」と呼ばれる垂直の穴を掘り、そこから横方向へ掘り進めるため、「開削工法」に比べると、地表に与える影響が少ないと言う特徴があり、現在、都市部を通る鉄道、道路、上下水道や地下河川等のトンネルを建設する際、「シールドマシン」と呼ばれる機械を使用した「シールド工法」がよく使用されている。


テムズ河の河底に建設中の「テムズトンネル」の模型(その1)
<筆者撮影>

テムズ河の河底に建設中の「テムズトンネル」の模型(その2)
<筆者撮影>


しかしながら、当時、「シールドマシン」のような機械はなかったため、「テムズトンネル」の建設は、全て、人力で行われた。



「テムズトンネル」の建設作業を進める中、トンネル内にテムズ河の水が流入して、イザムバード・キングダム・ブルネルは命の危機に瀕する経験をしたが、「テムズトンネル」は、世界で初めて「シールド工法」を使用して建設されたトンネルとして完成して、1843年3月にオープンを迎えた。




オープン当初は、人や馬車が通る歩道として使用されたが、今は地下鉄の一部として使われており、電車がテムズ河の河底を通っている。 


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