2025年7月20日日曜日

アガサ・クリスティー作「秘密機関」<小説版>(The Secret Adversary by Agatha Christie )- その2

2015年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「秘密機関」の
ペーパーバック版の表紙
(Cover design : 
HarperCollinsPublishers Ltd. /
Agatha Christie Ltd. 2015
)


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)の長編第2作目で、かつ、は、トマス・ベレズフォード(Thomas Beresford - 愛称:トミー(Tommy))とプルーデンス・カウリー(Prudence Cowley - 愛称:タペンス(Tuppence))の記念すべきシリーズ第1作目に該る「秘密機関(The Secret Adversary)」(1922年)の場合、1915年5月7日の午後2時、大西洋(Atlantic Ocean)上から、その物語が始まる。


旅客船ルシタニア号(RMS Lusitania)は、第一次世界大戦(1914年-1918年)の最中、米国ニューヨーク(New York)から英国リヴァプール(Liverpool)へと向かっていた。

なお、ルシタニア号は、英国の海運会社であるキュナードライン(Cunard Line)が所有する当時世界最大の旅客船だった。


1915年5月7日の午後2時、旅客船ルシタニア号は、アイルランド(Ireland)沖15㎞ の地点で、ドイツ帝国海軍(Imperial Germany Navy)の潜水艦 Uボート(U-boat)から2発の魚雷攻撃を受けて、沈没の危機に瀕していたのである。

一人の若い女性が、救命ボートに乗り込む順番を待つ女性と子供の集団を、少し離れたところに立って見つめていた。不思議なことに、その女性は、現状を恐れている様子はなく、彼女の視線は、真っ直ぐ前に向けられていた。


すると、一人の男性がその若い女性の元に近付くと、まず最初に、彼女が米国国民であること、そひて、彼女が愛国者であることを確認した。

その後、その男性は、彼女に対して、「自分は、連合国側の情勢にとって、極めて重要な機密書類が入った包みを、米国から英国へと運搬する役目を担っている。現状を考慮すると、自分の代わりに、あなたにそれを英国まで運んでもらいたい。(I’m carrying papers - vitally important papers. They may make all the difference to the Allies in the war. You understand? These papers have got to be saved! They’ve more chance with you than with me. Will you take them?)」と説明する。

「何故、自分に?」と尋ねる彼女に、その男性は「救命ボートによる避難は、女性と子供が優先だからだ。(Becasue of “women nd children first.”)」と付け加えた。


更に、その男性は、「二人とも無事に生き延びることができた場合、自分は「タイムズ」誌の個人欄に広告を出す。3日以内に広告が掲載されなかった場合には、重要な機密書類が入った包みをロンドンの米国大使館へ持参して、大使に直接手渡ししてほしい。(Watch the newspapers! I’ll advertise in the personal column of The Times, beginning “Shipmate”. At the end of three days if there’s nothing - well, you’ll know I’m down and out. Then take the packet to the American Embassy, and deliver it into the Ambassador’s own hands.)」と依頼したのである。

彼女は、男性の手から重要な機密書類が入った包みを受け取ると、救命ボートに乗り込む順番を待つ女性と子供の集団に加わった。


彼女の名前は、ジェーン・フィン(Jane Finn)。


第一次世界大戦が終わり、世界が復興へと向かう中、ロンドンの地下鉄グリーンパーク駅(Green Park Tube Station)のドーヴァーストリート(Dover Street)出口において、昔馴染みのトミーとタペンスは、偶然出くわした。

二人は、お互いに戦後の就職難に悩まされていた。トミーの方は、大戦中の1916年に負傷しており、一方、タペンスの方は、大戦中ずーっと、ボランティアとして、様々な形で働いていたのである。


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