アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1939年に発表したノンシリーズ作品「そして誰もいなくなった(And Then There Were None)」の場合、1930年代後半の8月のこと、英国デヴォン州(Devon)の沖合いに浮かぶ兵隊島(Soldier Island)に、年齢も職業も異なる8人の男女が招かれるところから、物語が始まる。
彼らを島で迎えた召使と料理人の夫婦は、エリック・ノーマン・オーウェン氏(Mr. Ulick Norman Owen)とユナ・ナンシー・オーウェン夫人(Mrs. Una Nancy Owen)に自分達は雇われていると招待客に告げる。しかし、彼らの招待主で、この島の所有者であるオーウェン夫妻は、いつまで待っても、姿を現さないままだった。
招待客が自分達の招待主や招待状の話をし始めると、皆の説明が全く噛み合なかった。その結果、招待状が虚偽のものであることが、彼らには判ってきた。招待客の不安がつのる中、晩餐会が始まるが、その最中、招待客8人と召使夫婦が過去に犯した罪を告発する謎の声が室内に響き渡る。謎の声による告発を聞いた以下の10人は戦慄する。
(1)エドワード・ジョージ・アームストロング(Edward George Armstrong)
医師で、酔って酩酊したまま手術を行い、患者を死なせたと告発された。
(2)エミリー・キャロライン・ブレント(Emily Caroline Brent)
信仰心の厚い老婦人で、使用人の娘に厳しく接して、その結果、彼女を自殺させたと告発された。
(3)ウィリアム・ヘンリー・ブロア(William Henry Blore)
元警部(Detective Inspector)で、偽証により無実の人間に銀行強盗の罪を負わせて、死に追いやった告発された。
(4)ヴェラ・エリザベス・クレイソーン(Vera Elizabeth Claythorne)
秘書や家庭教師を職業とする若い女性で、家庭教師をしていた子供に無理な距離を泳がせることを許可し、その結果、その子供を溺死させたと告発された。
(5)フィリップ・ロンバード(Philip Lombard)
元陸軍中尉で、東アフリカにおいて先住民族から食料を奪った後、彼ら21人を見捨てて死なせたと告発された。
(6)ジョン・ゴードン・マッカーサー(John Gordon MacArthur)
退役した老将軍で、妻の愛人だった部下を故意に死地へ追いやったと告発された。
(7)アンソニー・ジェームズ・マーストン(Anthony James Marston)
遊び好きの上、生意気な青年で、自動車事故により二人の子供を死なせたと告発された。
(8)ローレンス・ジョン・ウォーグレイヴ(Lawrence John Wargrave)
高名な元判事で、陪審員を誘導して、無実の被告を有罪として、死刑に処したと告発された。
(9)トマス・ロジャーズ(Thomas Rogers)
(10)エセル・ロジャーズ(Ethel Rogers)
仕えていた老女が発作を起こした際、彼らは必要な薬を投与しないで、老女を死なせたと告発された。
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招待客が兵隊島に到着した日の晩餐会において、 謎の声(オーウェン氏)による告発により、招待客8人と召使夫婦が戦慄する場面 (HarperCollins Publishers 社から2009年に出ている アガサ・クリスティー作「そして誰もいなくなった」のグラフィックノベル版から抜粋) |
ウォーグレイヴ判事が話の進行役になり、応接間は即席の法廷の様相を呈した。
判事が言った。
「さて、ロジャーズ、今度のことの真相を、明らかにしなければならない。このオーエンというのは、どういう人なんだ」
ロジャーズは判事を見つめた。
「このお屋敷の持ち主でございます」
「それは分かっている。その人について知っていることを話してもらいたいのだ」
ロジャーズは首をふった。
「無理でございます。わたくしはまだ一度もお目にかかっておりませんので」
部屋の中がちょっとざわついた。
マッカーサー将軍が言った。
「会ったことがないだと? それはどういうことだ」
「わたくしどもー家内もわたくしも、ここに来て、まだ一週間にならないのでございます。職業紹介所の紹介で手紙をもらって、雇われました。プリマスのレジャイナ・エージェンシーです」
ブロアがうなずいた。
「古くからある紹介所ですね」と、彼は言った。
「その手紙を今、持っているか」ウォーグレイヴが尋ねた。
「わたくしどもを雇うという手紙でございますか。いいえ、判事さま、取っておきませんでした」
「先を続けてくれ。手紙をもらって雇われた、ということだな」
「さようでございます。これこれの日に来るようにということでした。ですから、そのようにいたしました。ここには、なにもかもそろっておりました。食料品はたっぷり買いおきがありましたし、なにからなにまで、すばらしく整っていて、しなければならなかったのは、ほこりを払うぐらいでした」
「で、それから」
「それだけでございます。また、お手紙が来まして、泊まりがけのお客さまがたが来られるので、お部屋を準備するように、というお指図をいただきました。そして昨日の午後の配達で、またオーエンさまからお手紙が来たのです。オーエンさまと奥さまは、すぐにはいらっしゃれない、お客さまにくれぐれも失礼のないようにとのことでした。そしてお夕食とコーヒーのこと、それにレコードをかけるようにとの、お指図がありました」
判事がすかさず言った。
「その手紙は、取ってあるんだろうね」
「はい、ございます。ここに持っております」
ロジャーズはポケットから、手紙を出した。判事は手紙を手に取った。
「ふむ、ホテル・リッツからか。タイプライターで打ってあるな」
(青木 久惠訳)
雇い主のオーウェン氏から執事のトマス・ロジャーズ宛の手紙が出された「ホテル・リッツ」とは、ロンドン中心部のピカデリー通り(Piccadilly)沿いで、グリーンパーク(Green Park)に面して建つ高級ホテルの「リッツ ロンドン(The Ritz London)」のことである。
開業は、1906年5月24日で、開業後、約120年が経っている。
「リッツ ロンドン」は、ピカデリーライン(Piccadilly Line)、ジュビリーライン(Jubilee Line)とヴィクトリアライン(Victoria Line)の3線が乗り入れる地下鉄グリーンパーク駅(Green Park Tube Station)の直ぐ真横に建っており、徒歩1分と言う利便性を誇る。

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