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ドーヴァーストリートの北端近辺(グラフトンストリートに接する辺り) <筆者撮影> |
アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)の長編第2作目で、かつ、トマス・ベレズフォード(Thomas Beresford - 愛称:トミー(Tommy))とプルーデンス・カウリー(Prudence Cowley - 愛称:タペンス(Tuppence))の記念すべきシリーズ第1作目に該る「秘密機関(The Secret Adversary)」(1922年)は、英国の海運会社であるキュナードライン(Cunard Line)が所有する当時世界最大の旅客船で、米国ニューヨーク(New York)から英国リヴァプール(Liverpool)へと向かっていたルシタニア号(RMS Lusitania → 2025年7月22日 / 7月23日付ブログで紹介済)が、1915年5月7日の午後2時、アイルランド(Ireland)沖15㎞ の地点で、ドイツ帝国海軍(Imperial Germany Navy)の潜水艦 Uボート(U-boat)から2発の魚雷攻撃を受けて、沈没したところから、その物語が始まる。
第一次世界大戦(1914年ー1918年)が終わり、世界が復興へと向かう中、ロンドンの地下鉄ドーヴァーストリート駅(Dover Street Tube Station)のドーヴァーストリート(Dover Street)出口において、昔馴染みのトミーとタペンスは、偶然出くわした。
二人は、お互いに戦後の就職難に悩まされていた。トミーの方は、大戦中の1916年に負傷しており、一方、タペンスの方は、大戦中ずーっと、ボランティアとして、様々な形で働いていたのである。
’Tommy, old thing!’
‘Tuppence, old bean!’
The two young people greeted each other affectionately, and momentarily blocked the Dover Street Tube exit in doing so. The adjective ‘old’ was misleading. Their united ages would certainly not have totalled forty-five.
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ドーヴァーストリートの中間辺りから北側を望む <筆者撮影> |
「トミー、久しぶりね!」
「タペンス、元気そうじゃないか!」
ドーヴァー・ストリートの地下鉄の出口で、二人の若い男女が親しげな挨拶をかわした。しかし”久しぶり”という表現はちょっと大げさだった。二人の年を合計しても、四十五にならないのだから。
(嵯峨 静江訳)
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ドーヴァーストリートの中間辺り(その1) <筆者撮影> |
昔馴染みのトミーとタペンスが数年ぶりに再会したドーヴァーストリートは、ロンドンの中心部であるシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)メイフェア地区(Mayfair)内に所在する通りである。
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ドーヴァーストリートの中間辺り(その2)- ヴィクトリア・ベッカム(Victoria Beckham)の店舗 <筆者撮影> |
ドーヴァーストリートの南側は、ピカデリーライン(Piccadilly Line)とベイカールーライン(Bakerloo Line)の2線が乗り入れる地下鉄ピカデリーサーカス駅(Piccadilly Circus Tube Station)とピカデリーラインが停まる地下鉄ハイドパークコーナー駅(Hyde Park Corner Tube Station → 2015年6月14日付ブログで紹介済)を東西に結ぶピカデリー通り(Piccadilly)から始まり、北上して、グラフトンストリート(Grafton Street)にぶつかって終わる約 200 mの通りとなっている。
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バークリースクエアガーデンズ(Berkeley Square Gardens)の内部 <筆者撮影> |
ドーヴァーストリートの西側には、ピカデリー通りから始まり、北上して、バークリースクエア(Berkeley Square → 2024年8月3日付ブログで紹介済)へと至るバークリーストリート(Berkeley Street)が、また、東側には、同じく、ピカデリー通りから始まり、北上して、グラフトンストリートにぶつかって終わるアルベマールストリート(Albemarle Street → 2022年2月19日付ブログで紹介済)が並行している。
アルベマールストリートを北側から望む - 画面右手奥にブラウンズホテルの表玄関(アルベマールストリート側)がある <筆者撮影> |
ドーヴァーストリートを含む一帯は、英国の地主である初代準男爵サー・トマス・ボンド(Sir Thomas Bond, 1st Baronet:1620年ー1685年)が率いるシンジケート(企業連合)によって開発された。
初代準男爵サー・トマス・ボンドが率いるシンジケートは、1683年に英国の軍人 / 政治家である第2代アルベマール公爵クリストファー・マンク(Christopher Monck, 2nd Duke of Albemarle:1653年ー1688年)が所有するクラレンドンハウス(Clarendon House)を買い取り、建物を取り壊した後、一帯を開発。その際に、アルベマールストリートやボンドストリート(Bond Street → 2017年5月21日付ブログで紹介済)も、一緒に開発されている。
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ドーヴァーストリートの中間辺りを南側から見たところ - 画面右手にブラウンズホテルの裏玄関(ドーヴァーストリート側)がある <筆者撮影> |
ドーヴァーストリートは、一帯を開発したシンジケートの一人である初代ドーヴァー男爵ヘンリー・ジェーミン(Henry Jermyn, 1st Baron Dover:1636年ー1708年)に因んで、命名されている。
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ドーヴァーストリートの中間辺りを南側を見たところ - 画面右手奥にブラウンズホテルの裏玄関(ドーヴァーストリート側)がある <筆者撮影> |
現在、ドーヴァーストリートの両側には、現代美術品のギャラリーや紳士クラブ等が多数所在している。

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