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英国の肖像画家であるサー・トマス・ローレンス (Sir Thomas Lawrence:1769年ー1830年)が描いた 「サー・ジョン・ソーン(76歳)の肖像画 (Portrait of Sir John Soane, aged 76)」 (1828年ー1829年)の絵葉書 Oil on canvas <筆者がサー・ジョン・ソーンズ博物館で購入> |
米国のペンシルヴェニア州(Pennsylvania)に出生して、英国人のクラリス・クルーヴス(Clarice Cleaves)との結婚後、1932年から1946年にかけて英国のブリストル(Bristol)に居を構えていた米国の推理作家で、「不可能犯罪の巨匠」とも呼ばれているジョン・ディクスン・カー(John Dickson Carr:1906年ー1977年)が1935年に発表した推理小説で、ギディオン・フェル博士(Dr. Gideon Fell)が登場するシリーズ第5作目に該る「死時計(Death-Watch → 2025年4月30日 / 5月4日付ブログで紹介済)」に出ているサー・ジョン・ソーンズ博物館(Sir John Soane’s Museum → 2025年5月22日 / 5月30日 / 6月3日 / 6月13日付ブログで紹介済)は、英国の新古典主義を代表する建築家で、1788年にロバート・テイラー(Robert Taylor:1714年ー1788年)の後を継いで、イングランド銀行(Bank of England → 2015年6月21日 / 6月28日付ブログで紹介済)の建築家に就任し、その後、1833年まで45年間にわたり、その任を務めたサー・ジョン・ソーン(Sir John Soane:1753年ー1837年)の邸宅兼スタジオを使用しており、彼が手掛けた建築に関する素描、図面や建築模型、更に、彼が収集した絵画や骨董品等を所蔵している。
サー・ジョン・ソーンは、1753年9月10日、オックスフォード(Oxfordshire)のゴリング・オン・テムズ(Goring-on-Thames)に、煉瓦職人(bricklayer)の父ジョン・ソーン(John Soan)と母マーサ・ソーン(Martha Soan)の下に出生。
なお、サー・ジョン・ソーンの姓は、「Soan」ではなく、「Soane」となっているが、これは、彼が1784年に結婚した際に、自分で「e」を付け加えたからである。
(サー・)ジョン・ソーンは、レディング(Reading - バークシャー(Berkshire)の町)近くのプライベートスクールで教育を受けるが、彼が14歳の1768年4月に、父親が死去。
そのため、彼の一家は、チャーツィー(Chertsey - サリー州(Surrey)の町)へと引っ越して、彼の兄(12歳上)であるウィリアム・ソーン(William Soan)と一緒に住むようになる。
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ジョージ・ダンス(子)が住んでいた ガワーストリート91番地(91 Gower Street) |
兄のウィリアム・ソーンは、弟の(サー・)ジョン・ソーンを、測量技師(surveyor)であるジェイムズ・ピーコック(James Peacock)に紹介。
測量技師のジェイムズ・ピーコックは、英国の建築家であるジョージ・ダンス(子)(George Dance the Younger:1741年ー1825年)と一緒に仕事をしていた縁で、15歳の(サー・)ジョン・ソーンは、ジョージ・ダンス(子)の下で、建築を学び始めた。
ジョージ・ダンス(子)は、王立芸術院(Royal Academy of Arts)の創立メンバーの一人であり、1771年10月に弟子の(サー・)ジョン・ソーンを王立芸術院へ入学させ、本格的な建築の勉強をさせた。
ガワーストリート91番地の建物外壁には、 ジョージ・ダンス(子)がここに住んでいたことを示す ブループラークが掛けられている。 |
上記の通り、ジョージ・ダンス(子)と(サー・)ジョン・ソーンは、師弟関係にあったが、イングランド王立外科医師会(Royal College of Surgeons of England → 2017年3月26日付ブログで紹介済)の建物が、1805年から1813年にかけて、英国の建築家であるジョージ・ダンス(子)(George Dance the Younger:1741年ー1825年)とジェイムズ・ルイス(James Lewis:1750年ー1820年)による設計に基づき建設された際、ジョン・ソーンの診断により、建物の構造的な欠陥が発見され、建て直しになると言うことが起きている。
リンカーンズ・イン・フィールズ(Lincoln's Inn Fields → 2016年7月3日付ブログで紹介済)の 広場内から見たイングランド王立外科医師会 |
師匠のジョージ・ダンス(子)が1772年3月24日に結婚したことに伴い、(サー・)ジョン・ソーンは、英国の建築家であるヘンリー・ホランド(Henry Holland:1745年ー1806年)の下へ移る。
王立芸術院において、(サー・)ジョン・ソーンは、1772年12月10日にシルバーメダルを、そして、1776年12月10日にゴールドメダルを獲得する等、優れた成績を残す。
その後、(サー・)ジョン・ソーンは、1777年12月に奨学金(3年間)を得て、1778年3月18日、欧州大陸への留学へ出発。最終的には、同年5月2日、イタリアのローマに辿り着くのである。

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