2025年6月23日月曜日

コナン・ドイル作「高名な依頼人」<小説版>(The Illustrious Client by Conan Doyle )- その2

英国で出版された「ストランドマガジン」
1925年2月号に掲載された挿絵(その1)-
1902年9月3日、トルコ風呂で寛いでいたジョン・H・ワトスンに対して、
シャーロック・ホームズは、
カールトンクラブのサー・ジェイムズ・デマリー大佐から届いた手紙を見せる。
「ある特別な件について、依頼したい。」とのことだった。
画面左側の人物が、ジョン・H・ワトスンで、
画面右側の人物が、シャーロック・ホームズ。
挿絵:ハワード・ケッピー・エルコック
(Howard Keppie Elcock:1886年ー1952年)

ハノーヴァー朝(House of Hanover)の第6代女王で、かつ、初代インド女帝であるヴィクトリア女王(Queen Victoria:1819年ー1901年 在位期間:1837年ー1901年 → 2017年12月10日 / 12月17日付ブログで紹介済)の第2子(長男)で、サクス=コバーグ・アンド・ゴータ朝(House of Saxe-Coburg and Gotha)の初代英国国王 / インド皇帝であるエドワード7世(Edward VII:1841年ー1910年 在位期間:1901年ー1910年 → 2025年5月10日 / 5月26日 / 5月31日 / 6月8日 / 6月15日付ブログで紹介済)が国王に即位した後に登場した「高名な依頼人(The Illustrious Client)」は、サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年ー1930年)作シャーロック・ホームズシリーズの短編小説56作のうち、50番目に発表された作品で、英国の「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の1925年2月号と同年3月号に、また、米国の「コリアーズ ウィークリー(Collier’s Weekly)」の1924年11月8日号に掲載された。

同作品は、1927年に発行されたホームズシリーズの第5短編集「シャーロック・ホームズの事件簿(The Case-Book of Sherlock Holmes)」に収録されている。



コナン・ドイル作「高名な依頼人」は、シャーロック・ホームズとジョン・H・ワトスンがトルコ式風呂(Turkish Bath)に居るところから始まる。


Both Holmes and I had a weakness for the Turkish Bath. It was over a smoke in the pleasant lassitude of the drying-room that I found him less reticent and more human than anywhere else. On the upper floor of the Northumberland Avenue establishment there is an isolated corner where two couches lie side by side, and it was on these that we lay upon September 3, 1902, the day when my narrative begins. I had asked him whether anything was stirring, and for answer he had shot his long, thin, nervous arm out of the sheets which enveloped him and had drawn an envelope from the inside pocket of the coat which hung beside him.


右手奥に見えるのが、「ネヴィルのトルコ式風呂(Neville's Turkish Bath)」の
女性用入口であった場所


ホームズも私(ワトスン)もトルコ式風呂には目がなかった。乾燥室内に漂う心地良い脱力感の下、一服すると、ホームズの無口さは影を潜め、いつになく人間らしい彼を垣間見ることができた。ノーサンバーランドアベニューにある施設の上階には、2つの寝椅子が隣り合って並ぶ隔離した一角がある。1902年9月3日、私達はそれらの寝椅子の上に身を横たえていた。正にその日、これから述べる物語が始まるのである。私はホームズに対して、今手掛けている事件はあるのかを尋ねた。すると、ホームズは、私の質問に答えるために、包まっていたシーツから、細長くて神経質そうな手をさっと出すと、側に掛かっていたコートの内ポケットから封筒を取り出したのである。


セントジェイムズストリート(St. James's Street → 2021年7月24日付ブログで紹介済)沿いに建つ
カールトンクラブ(黄土色の建物)


その手紙は、前日の夜、カールトンクラブ(Carlton Club → 2014年11月16日付ブログで紹介済)から出されていた。

手紙の差出人は、サー・ジェイムズ・デマリー大佐(Colonel Sir James Damery)で、非常に繊細かつ重要な相談事のため、明日の午後4時半にベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)を訪れたい、とのことだった。


英国で出版された「ストランドマガジン」
1925年2月号に掲載された挿絵(その2)-
1902年9月3日の午後4時半に、ベイカーストリート221Bを訪れた
サー・ジェイムズ・デマリー大佐は、
待っていたシャーロック・ホームズとジョン・H・ワトスンに対して、
「ド・メルヴィル将軍の娘であるヴァイオレット・ド・メルヴィルが、
悪名高いオーストリア貴族のグルーナー男爵に騙されて、婚約してしまった。
これは、ある非常に高名な方からの依頼で、この婚約を破棄させてほしい。」と説明した。
画面左側から、シャーロック・ホームズ、ジョン・H・ワトスン、
そして、サー・ジェイムズ・デマリー大佐。
挿絵:ハワード・ケッピー・エルコック
(1886年ー1952年)


手紙の内容通り、サー・ジェイムズ・デマリー大佐は、ベイカーストリート221B のホームズの元を訪ねて来た。

デマリー大佐の話によると、ド・メルヴィル将軍(General de Merville)の令嬢であるヴァイオレット・ド・メルヴィル(Violet de Merville)が、今、オーストリアのアデルバート・グルーナー男爵(Baron Adelbert Grunner:現在、英国のキングストン(Kingston)近くのヴァーノンロッジ(Vernon Lodge)に居住)に夢中で、彼と結婚しようとしていた。

実際、グルーナー男爵はハンサムであるが、非常に残虐な男である。本人曰く、彼が当時結婚していた妻は事故で死亡したと言って、プラハでの裁判では罪を免れたが、本当は彼が自分の妻を自ら殺害したものと一般には考えられていた。

ド・メルヴィル将軍をはじめ、ド・メルヴィル嬢の周りの者は彼女にグルーナー男爵との結婚を思いとどまるよう言い含めるものの、グルーナー男爵に対する妻殺害疑惑を濡れ衣だと思い込まされている彼女の態度は非常に頑なで、どんな説得にも耳を貸そうとはしなかったのである。


コナン・ドイル作「高名な依頼人」における
各登場人物の相関関係を示した図
(Dorling Kindersley Limited から発行されている
「The Sherlock Holmes Book」から抜粋)


ホームズは、デマリー大佐に対して、本件にかかる本当の依頼人が誰なのかを尋ねたが、デマリー大佐は、「依頼人が匿名を望んでいること」、そして、「依頼人の名前が、この事件に一切関与しないことが重要であること」を告げ、本当の依頼人の正体を一切明らかにしなかったのである。


「ド・メルヴィル嬢とグルーナー男爵の結婚をなんとか阻止してほしい。」というデマリー大佐の依頼を受けたホームズは、早速行動を開始すると約束した。


2025年6月22日日曜日

ロンドン リンカーンズ・イン・フィールズ16番地(16 Lincoln’s Inn Fields)

左側から、リンカーンズ・イン・フィールズ12番地 / 13番地 / 14番地
(サー・ジョン・ソーンズ博物館)、
リンカーンズ・イン・フィールズ15番地(メルスン教授の宿泊先)、そして、
リンカーンズ・イン・フィールズ16番地(時計師であるジョハナス・カーヴァーの住居)。

米国のペンシルヴェニア州(Pennsylvania)に出生して、英国人のクラリス・クルーヴス(Clarice Cleaves)との結婚後、1932年から1946年にかけて英国のブリストル(Bristol)に居を構えていた米国の推理作家で、「不可能犯罪の巨匠」とも呼ばれているジョン・ディクスン・カー(John Dickson Carr:1906年ー1977年)が1935年に発表した推理小説で、ギディオン・フェル博士(Dr. Gideon Fell)が登場するシリーズ第5作目に該る「死時計(Death-Watch → 2025年4月30日 / 5月4日付ブログで紹介済)」の場合、9月4日、風が吹くひんやりした夜の12時近く、ギディオン・フェル博士とメルスン教授(Professor Melson - 歴史学者で、ギディオン・フェル博士の友人)が、ホルボーン通り(Holborn → 2025年5月6日付ブログで紹介済)を歩いていところから、その物語が始まる。

2人は、劇場で映画を観た帰りで、メルスン教授が宿泊する予定のリンカーンズ・イン・フィールズ(Lincoln’s Inn Fileds → 2016年7月3日付ブログで紹介済)へと向かっていた。メルスン教授は、当初、ブルームズベリー地区(Bloomsbury)に宿泊しようとしたが、生憎と、どこも満員だったため、居心地が悪そうではあったものの、リンカーンズ・イン・フィールズ15番地(15 Lincoln’s Inn Fields → 2025年6月17日付ブログで紹介済)に寝室兼居間を見つけていた。

その日の午後、メルスン教授は、フォイルズ書店(Foyles → 2025年5月7日 / 5月9日付ブログで紹介済)において、中世ラテン語の写本辞書を見つけており、これは正真正銘の掘り出し物のため、ギディオン・フェル博士は、メルスン教授の宿でそれを見せてもらおうと考えていたのである。



 彼らはリンカンズ・イン・フィールズの北側へ出た。広場そのものは、昼間見るよりも広大に見える。家々の正面はひっそりと静まり返り、とざされたカーテンの奥から明りがちらほら洩れているだけで、木立ちにしても、整然とした森のようであった。かすんだ月が空にかかり、街灯のように青ざめている。

「右へ曲がるんです」メイスンが言った。「あれがソーン博物館です。この二軒むこうが……」のっぺりした家々を見上げながら、地下勝手口の湿った鉄柵に手を走らせ、「わたしの泊まっている家です。隣がジョハナスの家です。なんにもならないんじゃないでしょうか、つっ立ってあの家を見ていても……」

「はっきりしたことはわからんのだが」フェル博士が言った。「玄関のドアがあいている……」

 二人とも足をとめた。博士の言葉に、メルスンははっとした。十六番地の家には、少しも明りが見えなかったからだ。月と街灯の光にぼんやりと照らし出され、ぼやけた絵のように見えたーほとんど黒のように見える赤煉瓦造りの、重苦しくて高い、幅の狭い家で、角枠が白く浮き出て、玄関前の石段を上がったところに、石造の円柱が、時計の天蓋ほどの小さなポーチの屋根を支えている。その大きなドアが開けはなたれている。それが軋ったようにメルスンには思えた。「何でしょうー?」と、メルスンは言った。自分にのささやき声が思わず高くなっているのに気づいた。

(吉田 誠一訳)


更に、メルスン教授は、家の真ん前の木の下に、ひときわ黒い影を見てとった。問題の家から呻き叫ぶ声が聞こえると、木の下の人影がその場を離れると、家の玄関前の石段を上がって行った。その人物の頭に、警官のヘルメットが黒く浮かび上がるのを見て、メルスン教授は思わずホッとした。


ギディオン・フェル博士が、その警官に追い付くと、彼は、スコットランドヤードのディヴィッド・ハドリー主任警部(Chief Inspector David Hadley)の部下であるピアスだった。

ギディオン・フェル博士、メルスン教授とピアス警官の3人が、有名な時計師(clockmaker)であるジョハナス・カーヴァー(Johannus Carver)の家の玄関ホールに入ると、奥に一続きの階段があり、2階から射している明かりが階段下まで届いていた。3人が階段を上がり、2階の奥にある両開きのドアへと向かった。


その部屋では、2人の人間が入口の敷居を見つめており、もう一人は椅子に座って両手で頭をかかえていた。更に。その敷居のところには、一人の男が右脇をやや下にして仰向けに倒れていた。


最初の2人は、ジョハナス・カーヴァーの養女であるエリナー・カーヴァー(Eleanor Carver)とカーヴァー家の同居人であるカルヴィン・ボスコーム(Calvin Boscombe)で、カルヴィン・ボスコームは手にピストルを持っていた。

椅子に座って両手で頭をかかえていたのは、カルヴィン・ボスコームの友人で、スコットランドヤード犯罪捜査部(CID)の元主任警部(former Chief Inspector)であるピーター・E・スタンリー(Peter E. Stanley)だった。


そして、敷居のところに倒れていた男は、ピストルで撃たれた訳ではなく、背後から喉を貫き、胸の中へ突き刺されて殺されていた。被害者の体から突き出ている凶器を見たギディオン・フェル博士は、ジョハナス・カーヴァーがある貴族のために製作していた大時計から盗まれた長針だと推測する。

更に、驚くことに、後に判明した被害者の身元は、なんと、ガムリッジデパートの貴金属宝石売場において発生した事件を担当していたジョージ・フィンリー・エイムズ警部(Detecive-Inspector George Finley Ames)だったのである。

非常に不可思議な事件だと言えた。


リンカーンズ・イン・フィールズ内の広場


リンカーンズ・イン・フィールズとは、ロンドンの特別区の一つであるロンドン・カムデン区(London Borough of Camden)のホルボーン地区(Holborn → 2016年9月24日 / 2025年4月22日付ブログで紹介済)内にある広場とその周辺地域を指している。

厳密に言うと、リンカーンズ・イン・フィールズ内の広場、東側、北側および西側の建物はロンドン・カムデン区に属しているが、南側の建物はシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)に属している。また、リンカーンズ・イン・フィールズは、ロンドン・カムデン区最古の広場で、かつ、ロンドン最大の面積を誇っている。


メルスン教授が言う「ソーン博物館」とは、「サー・ジョン・ソーンズ博物館(Sir John Soane’s Museum → 2025年5月22日 / 5月30日 / 6月3日 / 6月13日付ブログで紹介済)」のことで、英国の古典主義を代表する建築家で、1788年にロバート・テイラー(Robert Taylor:1714年ー1788年)の後を継いで、イングランド銀行(Bank of England → 2015年6月21日 / 6月28日付ブログで紹介済)の建築家に就任し、その後、1833年まで45年間にわたり、その任を務めたサー・ジョン・ソーン(Sir John Soane:1753年ー1837年)の邸宅兼スタジオを使用しており、彼が手掛けた建築に関する素描、図面や建築模型、更に、彼が収集した絵画や骨董品等を所蔵している。


なお、サー・ジョン・ソーンズ博物館は、現在、リンカーンズ・イン・フィールズ12番地 / 13番地 / 14番地(12, 13, 14 Lincoln’s Inn Fields)の3棟を占めているが、サー・ジョン・ソーンの死に際して、国家に寄贈されたのは、リンカーンズ・イン・フィールズ12番地 / 13番地の建物のみ。寄贈の際、同12番地の賃貸収入が博物館の運営資金となることを、彼が意図していたのである。

19世紀の終わり頃までに、リンカーンズ・イン・フィールズ12番地の後方の部屋と同13番地の博物館を繋げる作業が実施され、1969年からは、同12番地も、学術図書館 / オフィスとして運営される。

1997年に文化遺産宝くじ基金(National Lottery Heritage Fund)による援助を受けて、リンカーンズ・イン・フィールズ14番地の残りの大部分が購入され、現在に至っている。


左側の建物が、サー・ジョン・ソーンズ博物館の一部であるリンカーンズ・イン・フィールズ14番地、
中央の建物が、
メルスン教授が泊まっているリンカーンズ・イン・フィールズ15番地で、
右側の建物が、
有名な時計師であるジョハナス・カーヴァーが住む
リンカーンズ・イン・フィールズ16番地。


従って、ジョン・ディクスン・カーが1935年に「死時計」を発表した時点では、リンカーンズ・イン・フィールズに面した表側の建物のうち、博物館として機能していたのは、リンカーンズ・イン・フィールズ13番地だけである。


それ故に、メルスン教授は、ギディオン・フェル博士に対して、自分が泊まっている家(リンカーンズ・イン・フィールズ15番地)を指し示す際、「あれがソーン博物館です。この二軒むこうが、わたしの泊まっている家です。」と発言している訳だと言える。


日本の出版社である東京創元社から創元推理文庫として出版された
ジョン・ディクスン・カー作「死時計」の裏表紙
カバーイラスト:山田 雅史

現在のリンカーンズ・イン・フィールズ16番地の建物には、
ジョン・ディクスン・カー作「死時計」の裏表紙に描かれたような
地面から家の玄関までの長めの石段は存在していない。

そして、メルスン教授が「隣がジョハナスの家です。」と述べているように、彼が泊まっていたリンカーンズ・イン・フィールズ15番地の隣りの建物であるリンカーンズ・イン・フィールズ16番地(16 Lincoln’s Inn Fields)が、有名な時計師ジョハナス・カーヴァーが住み、ガムリッジデパートの貴金属宝石売場において発生した事件を担当していたジョージ・フィンリー・エイムズ警部が殺害されると言う不可思議な事件が発生した場所である。


ジョン・ディクスン・カーの原作によると、リンカーンズ・イン・フィールズ16番地の場合、地面から家の玄関まで長めの石段があるように記されているが、現在の建物には、そのように長い石段はない。

また、外観から判断する限り、現在、普通の住居として使用されている模様。


2025年6月21日土曜日

ロンドン ヘンリーストリート(Henry Street)

アベニューロード(Avenue Road)沿いに建つ邸宅(その1)


英国の作家であるミシェル・バークビー(Michelle Birkby)作の長編第2作目に該る「ベイカー街の女たちと幽霊少年団(The Women of Baker Street → 2025年5月2日 / 5月24日 / 5月29日 / 6月4日付ブログで紹介済)」(2017年)の場合、ベイカーストリート221B(221B Baker Street → 2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)の家主であるハドスン夫人(Mrs. Hudson - マーサ・ハドスン(Martha Hudson))は、腹部の閉塞症のため、セントバーソロミュー病院(St. Bartholomew's Hospital → 2014年6月14日付ブログで紹介済)で緊急手術を受けるところから、物語が始まる。


画面中央のアベニューロードを間にして、
左側がロンドン中心部のシティー・オブ・ウェストミンスター区(City of Westminster)に、
右側がロンドン・カムデン区(London Borough of Camden)に属している。


同病院の特別病棟内のベッドの上で目を覚ましたハドスン夫人は、モルヒネと麻酔薬の投与により、目が覚めた後も頭にまだ霞がかかったようになっていた。

その時、ハドスン夫人は、病室のとりわけ暗い一角に、うごめく影のかたまりを見た。ハドスン夫人が目を凝らしていると、影のかたまりは、彼女のベッドの裾を横切り、彼女の斜向かいにあるベッドへと向かった。朦朧とする意識のなか、ハドスン夫人は、その影のかたまりがそのベッドの上に覆いかぶさるのを目撃した後、突如、深い眠りへ引きずり込まれると、意識が遠のく。

翌朝、ハドスン夫人が再度目覚めると、シスターと若い医師が、彼女の斜向かいの空っぽのベッドの側に立って、話し合いをしているのが聞こえた。昨夜、ハドスン夫人が目撃した通り、影のかたまりが覆いかぶさっていたベッドの女性は、今朝、亡くなっているのが見つかったのである。




それから数日後の夜、ハドスン夫人は、消灯後、眠りに落ちたが、午前3時頃、悪夢に襲われて、目が覚めた。目が覚めたものの、何故か、身体が全く動かず、また、助けを呼ぼうにも声も出なかった。

すると、入院初日の晩と全く同じことが起きる。病室の隅の黒いかたまりから、人の形をしたものがすうっと出て来たのだ。そして、エマ・フォーダイス(Emma Fordyce - ミランダ・ローガン(Miranda Logan)の正面に居る患者 / 歳を召していて、あちこち悪いところがあるみたいだが、老いを楽しんでいる様子 / 過去に非凡な面白い体験をしていて、思い出話を他の人に聞かせるのが大好き)が眠るベッドの側に立った。その時、エマ・フォーダイスが目を覚まして、はっと息をのんだ後、悲鳴を上げようとしたが、その人影は、いきなり側にあった枕を掴むと、彼女の顔に押し付けた。エマ・フォーダイスは激しく暴れた、次第に抵抗が弱くなり、最後は、ぐったりとして動かなくなった。

ハドスン夫人は、入院初日に続き、2つ目の殺人現場を目撃したことになる。


アベニューロードは、リージェンツパークの北側、
そして、プリムローズヒル(Primrose Hill)の左側(西側)を
南北に延びる通りである。


一方、ワトスン夫人(Mrs. Watson)となったメアリー・ワトスン(Mary Watson - 旧姓:モースタン(Morstan))は、ベイカーストリート221B の給仕のビリー(Billy)経由、ベイカーストリート不正規隊(Baker Street Irregulars)のウィギンズ(Wiggins)から聞いた話が気になっていた。

それは、「幽霊少年団(The Pale Boys)」のことだった。

(1)夜間だけ、街角に姿を見せる。

(2)街灯の明かりには決して近付かない。

(3)往来の激しい大通りには、足を踏み入れない。

(4)全員、青白い顔をして、闇に溶け込みそうな黒づくめの服装をしている。

(5)薄暗い道端や人気の無い路地を彷徨く。

(6)何年経っても、歳をとらないし、飲んだり食べたりもしない。

(7)彼らの姿を見た者は、死んでしまう。

(She told me the tale of the Pale Boys. Boys who came onto the street only at night. They never came into the light. They never went onto the Main Street. They had pale faces, and all black clothes, and they melted into the shadows. They walked in dark corners and deserted alleyways. They never grew old, and never ate or drank and if you saw them, you would die.)


アベニューロード沿いに建つ邸宅(その2)


セントバーソロミュー病院を退院したハドスン夫人と同席するメアリー・ワトスンは、セントバーソロミュー病院の特別病棟内で発生した殺人事件とロンドン市内姿を現す「幽霊少年団」の2つの謎を追うことになった。


ハドスン夫人とメアリー・ワトスンは、まず最初に、ハドスン夫人と同室だったエリナー・ランガムエリナー・ランガム(Eleanor Langham - ベティー・ソランド(Betty Soland)の正面に居る患者 / 心臓病のため、最近手術を受けたばかり / ベッドの脇にある椅子が定位置で、大抵の時間は、ただ椅子に腰掛けて、周りの様子を眺めている)が住むパークロード(Park Road → 2025年6月11日付ブログで紹介済)沿いに建つ家を訪ねた。


英国の Pam Macmillan 社から2017年に出版された
ミシェル・バークビー作「ベイカー街の女たちと幽霊少年団」
ペーパーバック版内に付されている
セントバーソロミュー病院の特別病棟の見取り図


一旦、ベイカーストリート221B へと戻って来た2人は、セントバーソロミュー病院で亡くなったサラ・マローン(Sarah Malone - ハドスン夫人の左側に居る患者 / かなり深刻な容体で、死期が迫っている / 始終ぶつぶつと何かを呟いている)の家へ行くために、辻馬車を使って、その日2度目の外出をした。


アベニューロード沿いに建つ邸宅(その3)


Again following Sherlock’s rules, we got off a few streets away from our final destination. As we strolled to Sarah’s house, taking the opportunity to see if we were being followed, or if anyone else had got there first, I looked around. We were on Henry Street, near the north end of the park.

 ‘I thought I knew this area,’ I said to Mary. ‘I used to own several houses here.’

 ‘Boarding houses?’

 ‘ No, these were mostly homes I rented out. That was one of mine. And that one.’ I gestured to a three-storey dove-grey house, set back from the road, surrounded by a garden. It was one of the stylish, huge houses built during the Regency for newly rich families to entertain, but the family that had owned it had long ago lost their money, and the house. I had bought it very cheaply, though I had never really been able to find tenants for such a place. It had been a neat, clean house when I owned it. Now the ’To Let’ board was lying in the ragged garden, covered by brown decaying leaves, and the house was dishearteningly silent.


アベニューロード沿いに建つ邸宅(その4)


馬車を降りる際も、ホームズさんのやり方にならって目的地から二、三本離れた通りを選んだ。そこからサラ・マローンの家まで歩く途中、あたりの様子をうかがって、尾行している者はいないか、ここへ先回りした者はいないか、注意深く確認した。わたしたちはリージェンツ・パークの北のはずれに近いヘンリー街に来ていた。

「このあたりには詳しいのよ」わたしはメアリーに言った。「昔、何軒か家を持っていたから」

「そこも下宿屋だったの?」

「いいえ、貸家にしていたわ。あれがそのうちの一軒。それから、あれも」わたしは三階建ての紫がかった灰色の家を指した。通りから引っこんだ、まわりを庭に囲まれた場所にある。ジョージアン時代後半のデザイン様式、リージェンシー・スタイルで造られた、客をもてなす新興階級向けの瀟洒な邸宅だ。界隈には同じような大きな家が建ち並んでいる。だが、なかには財産を失って家を手放す所有者もいた。わたしはその家をずいぶん前にかなりの安値で買い取ったのだが、適当な借主はなかなか見つからなかった。購入時は立派でぴかぴかだった家も、現在は枯葉が降り積もった荒れ放題の庭に”貸家”の札がしょんぼりとうずくまっているありさま。建物全体が寂しげに沈黙している。

(駒月 雅子訳)


アベニューロード沿いに建つ邸宅(その5)


ハドスン夫人とメアリー・ワトスンの2人は、サラ・マローンの家へ行くために、シャーロック・ホームズの流儀に習って、リージェンツパーク(Rengent’s Park → 2016年11月19日付ブログで紹介済)の北の外れに近いヘンリーストリート(Henry Street)辺りを歩いているが、現在の住所表記上、ロンドン市内に、ヘンリーストリートは存在していないので、おそらく、架空の住所だと思われる。

なお、別の場所ではあるものの、ロンドン市内に、ヘンリーロード(Henry Road)と言う通りは存在している。


ちなみに、画像上、リージェンツパークの北側から北へ延びるアヴェニューロード(Avenue Road)沿いに建つ邸宅の写真を便宜的に使用している。


2025年6月20日金曜日

アガサ・クリスティー作「そして誰もいなくなった」の英国 TV ドラマ版(エピソード2)に使用された童謡「10人の子供の兵隊」(And Then There Were None by Agatha Christie - Ten Little Soldiers)- その2

アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1939年に発表したノンシリーズ作品「そして誰もいなくなった(And Then There Were None)」を英国の BBC(British Broadcasting Corporation)が映像化した英国 TV ドラマ版として映像化しているが、2015年12月27日に放映された「エピソード2」において使用された童謡「10人の子供の兵隊(Ten Little Soldiers)」は、以下の通り。


(3)


退役した老将軍であるジョン・ゴードン・マッカーサーは、
海岸において、自分の罪状を悔いている際、
鉛入りの護身用ステッキか何かで後頭部を殴打され、
頭蓋骨折のため、3番目
の犠牲者となる。
画面左下の場面において、右側から、ヴェラ・エリザベス・クレイソーン(秘書)、
トマス・ロジャーズ(執事)、
ローレンス・ジョン・ウォーグレイヴ(元判事)、
ウィリアム・ヘンリー・ブロア(元警部)、ジョン・ゴードン・マッカーサー(遺体)、
フィリップ・ロンバード(元陸軍大尉)、エドワード・ジョージ・アームストロング(医師)、
そして、
エミリー・キャロライン・ブレント(老婦人)が立っている。-

HarperCollins Publishers 社から出ている
アガサ・クリスティー作「そして誰もいなくなった」のグラフィックノベル版から抜粋。

Eight little soldier boys travelling in Devon; One said he’d stay and then there were Seven.

(8人の子供の兵隊さんが、デヴォン州を旅した。一人がそこに住むと言って、残りは7人になった。)


ジョン・ゴードン・マッカーサーの死亡に伴い
テーブルの上に置かれた兵隊の人形の数が8個から7個へと減っていた。-
HarperCollins Publishers 社から出ている
アガサ・クリスティー作「そして誰もいなくなった」のグラフィックノベル版から抜粋。

*被害者:ジョン・ゴードン・マッカーサー(John Gordon MacArthur - 退役した老将軍(General))

*告発された罪状:アガサ・クリスティーの原作の場合、戦地において、自分の部下で、妻レスリー(Lesley)の愛人だったアーサー・リッチモンド(Arthur Richmond)を故意に死地に赴かせたことになっているが、英国 TV ドラマ版の場合、戦地の自分の部屋において、自分の部下で、妻レスリーの愛人だったヘンリー・リッチモンド(Henry Richmond)を、背後から銃で撃つ場面が挿入される。

*犯罪発生時期:英国 TV ドラマ版の場合、具体的な時期については、言及されていないが、アガサ・クリスティーの原作の場合、「1917年1月14日」と明記されている。

*死因:鉛入りの護身用ステッキか何かによる後頭部殴打に基づく頭蓋骨折


(4)


執事のトマス・ロジャーズは、
台所の火をおこすための薪を小さな斧で割っていた際、
何者かに後頭部を大きい斧で割られて
、4番目の犠牲者となる。
画面左側から、ローレンス・ジョン・ウォーグレイヴ(元判事)、
エドワード・ジョージ・アームストロング(医師)、ヴェラ・エリザベス・クレイソーン(秘書)、
エミリー・キャロライン・ブレント(老婦人)、フィリップ・ロンバード(元陸軍大尉)、そして、
ウィリアム・ヘンリー・ブロア(元警部)の6人
が立っている。-

HarperCollins Publishers 社から出ている
アガサ・クリスティー作「そして誰もいなくなった」のグラフィックノベル版から抜粋。

Seven little soldier boys chopping up sticks; One chopped himself in halves and then there were Six.

(7人の子供の兵隊さんが、薪割りをした。一人が自分を真っ二つに割って、残りは6人になった。)


トマス・ロジャーズの死亡に伴い、
テーブルの上に置かれた兵隊の人形の数が7個から6個へと減っていた。-
HarperCollins Publishers 社から出ている
アガサ・クリスティー作「そして誰もいなくなった」のグラフィックノベル版から抜粋。

*被害者:トマス・ロジャーズ(Thomas Rogers - 執事)

*告発された罪状:アガサ・クリスティーの原作の場合、トマス・ロジャーズと妻のエセル・ロジャーズ(Ethel Rogers)の二人は、1926年5月6日の嵐の夜、仕えていた老女であるジェニファー・ブレイディー(Jennifer Brady)が発作を起こした際、処方薬を適切に投与せず、医者を呼びに行っている間に、発作を悪化させて、死に至らせたことになっているが、英国 TV ドラマ版の場合、トマス・ロジャーズが眠っている老女の顔の上に枕を押し付け、呼吸困難から心臓麻痺を起こさせて、殺害したことに変更されている。なお、妻のエセル・ロジャーズは、夫が老女を殺害する現場を近くで震えて見ていた。

*犯罪発生時期:英国 TV ドラマ版の場合、具体的な時期については、言及されていないが、アガサ・クリスティーの原作の場合、「1929年5月6日」と明記されている。

*死因:台所の火をおこすための薪を小さな斧で割っていた際、後頭部を大きい斧で割られて死亡


(5)


信仰心の厚い老婦人であるエミリー・キャロライン・ブレントは、
他のゲスト達が朝食の後片付けをしている最中、食堂に一人残っていた。
その時、
皮下注射器に入った青酸カリが入った皮下注射器を首筋に刺されて、5番目の犠牲者となる。 -
HarperCollins Publishers 社から出ている
アガサ・クリスティー作「そして誰もいなくなった」のグラフィックノベル版から抜粋。

Six little soldier boys playing with a hive; A bumble-bee stung one and then there were Five.

(6人の子供の兵隊さんが、蜂の巣に悪戯をした。一人が蜂に刺されて、残りは5人になった。)



エミリー・キャロライン・ブレントの死亡に伴い、
テーブルの上に置かれた兵隊の人形の数が6個から5個へと減っていた。
画面左側から、ヴェラ・エリザベス・クレイソーン(秘書)、フィリップ・ロンバード(元陸軍大尉)、
ウィリアム・ヘンリー・ブロア(元警部)、エドワード・ジョージ・アームストロング(医師)、
そして、ローレンス・ジョン・ウォーグレイヴ(元判事)
の5人
が立っている。-

HarperCollins Publishers 社から出ている
アガサ・クリスティー作「そして誰もいなくなった」のグラフィックノベル版から抜粋。


*被害者:エミリー・キャロライン・ブレント(Emily Caroline Brent - 信仰心の厚い老婦人)

*告発された罪状:アガサ・クリスティーの原作の場合、以前、ビアトリス・テイラー(Beatrice Taylor)と言う娘を使っていたが、誰の子か判らない子を身ごもったため、彼女を解雇。また、ビアトリス・テイラーの両親も、娘の不始末を許さなかったので、彼女は、川に身を投げて、自分の命を絶っている。一方、英国 TV ドラマ版の場合、以前、ビアトリス・テイラーと言う娘を使っていたが、彼女の母親は、身持ちが悪く、だらしなかった。そこで、ビアトリス・テイラーは、エミリー・キャロライン・ブレントに対して、自分の母親の援助を依頼したが、エミリー・キャロライン・ブレントは、これを拒絶。その結果、困ってしまったビアトリス・テイラーは、列車に身を投げて、自分の命を絶っている。

*犯罪発生時期:英国 TV ドラマ版の場合、具体的な時期については、言及されていないが、アガサ・クリスティーの原作の場合、「1931年11月5日」と明記されている。

*死因:皮下注射器に入った青酸カリによる中毒死 


2025年6月19日木曜日

アガサ・クリスティー作「そして誰もいなくなった」<英国 TV ドラマ版>(And Then There Were None by Agatha Christie )- その3

アガサ・クリスティー作「そして誰もいなくなった」の
「エピソード2」における1場面 -
エミリー・キャロライン・ブレントが殺された翌朝、
残った5人(
ヴェラ・エリザベス・クレイソーン、
ローレンス・ジョン・ウォーグレイヴ、ウィリアム・ヘンリー・ブロア、
エドワード・ジョージ・アームストロングとフィリップ・ロンバード)が、
各人の部屋を捜索したが、盗まれた
フィリップ・ロンバードの銃を発見することはできなかった。
カメラは、食事をする5人を順番に撮し、
最後に、銃を盗まれた
フィリップ・ロンバードのアップで終わる。

アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1939年に発表したノンシリーズ作品「そして誰もいなくなった(And Then There Were None)」を英国の BBC(British Broadcasting Corporation)が映像化した英国 TV ドラマ版の場合、アガサ・クリスティーの原作にかなり忠実に反映しているが、細かい点において、原作対比、以下のような違いがある。


今回は、2015年12月27日に放映された「エピソード2」にかかる部分について、述べたい。


(1)

<原作>

執事のトマス・ロジャーズ(Thomas Rogers)の妻で、料理人のエセル・ロジャーズ(Ethel Rogers)が亡くなった朝、朝食が滞りなく終わった後、医師のエドワード・ジョージ・アームストロング(Edward George Armstrong)が、他のゲスト達に対して、「ロジャーズの奥さんが、眠っている間に亡くなりました。」と告げる。

<英国 TV ドラマ版>

朝食の席上、エセル・ロジャーズが亡くなったことは、全てのゲスト達の間で共有されていて、秘書のヴェラ・エリザベス・クレイソーン(Vera Elizabeth Claythorne)が、他のゲスト達に対して、「食堂のテーブルの上から、人形を2個取り去ったのは、あなたですか?」と聞きまくり始める。


(2)

<原作>

朝食後、トマス・ロジャーズに対して、「モーターボートは、いつもは何時に来るんだ?」と尋ねたのは、元判事のローレンス・ジョン・ウォーグレイヴ(Lawrence John Wargrave)。

この問いに、トマス・ロジャーズは、「午前7時から午前8時の間です。午前8時を過ぎることも、時々あります。フレッド・ナラコット(Fred Narracott - 漁師)は、自分の具合が悪い時、弟を寄越すことになっておりますが、今朝は、どうしたんでしょう?」と答えている。

<英国 TV ドラマ版>

朝食の席上、トマス・ロジャーズに対して、「モーターボートは、いつもは何時に来るんだ?」と尋ねたのは、巡査部長(原作の場合、警部)のウィリアム・ヘンリー・ブロア(William Henry Blore)。

この問いに、トマス・ロジャーズは、「午前中の中頃から後半にかけてです。ただ、フレッド・ナラコットの来島時間は、いささか不規則ですが。」と答えている。


(3)

<原作>

朝食後、ゲスト達は、モーターボートの到着を待ちながら、各々の時間を過ごす。

<英国 TV ドラマ版>

他のゲスト達から満足できる回答を得られなかったヴェラ・エリザベス・クレイソーンは、ヒステリー状態になり、


*アンソニー・ジェイムズ・マーストン(Anthony James Marston):ブランデー(brandy)が入ったグラスに投与された青酸カリによる中毒死

*エセル・ロジャーズ:睡眠薬クロラールの過剰摂取による中毒死


を元に、エドワード・ジョージ・アームストロングのことを疑い始める。そして、各人の手荷物検査を主張。

なお、その過程において、エドワード・ジョージ・アームストロングが、ハーリーストリート(Harley Street → 2015年4月11日付ブログで紹介済)にある自分の医院の階下になる癌の専門医のところへローレンス・ジョン・ウォーグレイヴが通っているのを見かけたことを暴露し、判事自身も、それを認める場面が映像化されている。


(4)

<原作>

退役将軍であるジョン・ゴードン・マッカーサー(John Gordon MacArthur)は、戦地において、妻レスリー(Lesley)の愛人で、自分の部下のアーサー・リッチモンド(Arthur Richmond)を故意に死地へ赴かせたと告発されている。

<英国 TV ドラマ版>

退役将軍であるジョン・ゴードン・マッカーサーは、戦地の自分の部屋において、妻レスリーの愛人で、自分の部下のヘンリー・リッチモンド(Henry Richmond)を、背後から銃で撃つ場面が挿入される。


(5)

<原作>

元陸軍大尉のフィリップ・ロンバード(Philip Lombard)が、エドワード・ジョージ・アームストロングに対して、兵隊島(Soldier Island)の捜索を提案し、ウィリアム・ヘンリー・ブロアも仲間に加わる。

島の捜索を始める際に、フィリップ・ロンバードは、他の2人に対して、自分は銃を携帯していることを教える。

<英国 TV ドラマ版>

フィリップ・ロンバードとウィリアム・ヘンリー・ブロアの2人が、兵隊島の捜索を始める。その際、フィリップ・ロンバードは、ウィリアム・ヘンリー・ブロアに対して、自分は銃を携帯していることを教える。


(6)

<原作>

海岸に座ったまま、昼食にやって来ないジョン・ゴードン・マッカーサーのことを心配したエドワード・ジョージ・アームストロングが、退役将軍の様子を見に出かけ、後頭部を鉛入りの護身用ステッキか何かで殴られて殺されているのを発見する。

<英国 TV ドラマ版>

テラスで毛糸を編んでいた老婦人のエミリー・キャロライン・ブレント(Emily Caroline Brent)が、海岸にカモメが群れているのを見て、近付き、ジョン・ゴードン・マッカーサーが殺されているのを発見する。


(7)

<原作>

ジョン・ゴードン・マッカーサーの遺体を邸内へ運び込んだのが、誰なのかについては、言及されていない。

ただし、彼の遺体を彼の部屋まで運んで行ったのは、エドワード・ジョージ・アームストロングとウィリアム・ヘンリー・ブロアの2人である。

<英国 TV ドラマ版>

ジョン・ゴードン・マッカーサーの遺体を邸内へ運び込んだのは、エドワード・ジョージ・アームストロング、ウィリアム・ヘンリー・ブロア、フィリップ・ロンバードとトマス・ロジャーズの4人である。


(8)

<原作>

その後、食堂のテーブルの上に置かれた兵隊の人形の数が8個から7個へと減っているのを見つけたのは、ヴェラ・エリザベス・クレイソーンとトマス・ロジャーズの2人である。

<英国 TV ドラマ版>

その後、食堂のテーブルの上に置かれた兵隊の人形の数が8個から7個へと減っているのを見つけたのは、ヴェラ・エリザベス・クレイソーンのみ。


(9)

<英国 TV ドラマ版>

その日の夕方、ヴェラ・エリザベス・クレイソーンは兵隊島から泳いで帰ろうとするが、あとを追って来たローレンス・ジョン・ウォーグレイヴに止められる。

海に入ったヴェラ・エリザベス・クレイソーンとローレンス・ジョン・ウォーグレイヴが冷えた身体を暖めている際、「フィリップ・ロンバードが銃を保持している」ことが、ウィリアム・ヘンリー・ブロアによって明らかにされる。

<原作>

このような場面はない。


(10)

<原作>

翌朝、トマス・ロジャーズは、裏庭の奥にある小さな洗濯小屋において、台所の火をおこすための薪を小さな斧で割っていた際、何者かにより、後頭部を大きい斧で割られて殺されているのが発見される。

<英国 TV ドラマ版>

翌朝、エドワード・ジョージ・アームストロングが、朝のコーヒーを欲して、トマス・ロジャーズを探したところ、地下において、何者かにより斧で殺されたトマス・ロジャーズの遺体が発見される。


(11)

<英国 TV ドラマ版>

落ち着きを取り戻したエドワード・ジョージ・アームストロングが、ローレンス・ジョン・ウォーグレイヴに対して、昨日、判事の病気のことを暴露したことを謝罪する。

また、医師は、判事に対して、「他の人は誰も信用できない。信用できるのは、判事だけだ。」と告げる。

<原作>

このような場面はない。


(12)

<原作>

エミリー・キャロライン・ブレントは、以前、ビアトリス・テイラー(Beatrice Taylor)と言う娘を使っていたが、誰の子か判らない子を身ごもったため、彼女を解雇。また、ビアトリス・テイラーの両親も、娘の不始末を許さなかったので、彼女は、川に身を投げて、自分の命を絶っている。

<英国 TV ドラマ版>

エミリー・キャロライン・ブレントは、以前、ビアトリス・テイラーと言う娘を使っていた。ビアトリス・テイラーの母親は、身持ちが悪く、だらしなかった。そこで、ビアトリス・テイラーは、エミリー・キャロライン・ブレントに対して、自分の母親の援助を依頼したが、エミリー・キャロライン・ブレントは、これを拒絶。その結果、困ってしまったビアトリス・テイラーは、列車に身を投げて、自分の命を絶っている。


(13)

<原作>

朝食後、他のゲスト達が食器等の後片付けをする中、エミリー・キャロライン・ブレントは、食堂に一人取り残された。その際、青酸カリが入った皮下注射器で首の横を刺されて殺される。

<英国 TV ドラマ版>

その日の夕食が終わり、ヴェラ・エリザベス・クレイソーンが茶碗や皿等を洗っているところに、ローレンス・ジョン・ウォーグレイヴがやって来て、タオルでそれを拭いていく。その後、ヴェラ・エリザベス・クレイソーンが食堂へ行き、テーブルの上に置かれた人形の数が5個に減っていることを見つけ、銅鑼を鳴らす。そして、エミリー・キャロライン・ブレントが首筋を刺されて殺されているのを発見する。


(14)

<原作>

エミリー・キャロライン・ブレントが殺された現場には、蜂が放たれていた。

残る5人の手荷物検査が行われた後に、凶器の皮下注射器は、食堂の窓から少し離れたところに、落ちてい流のが見つかる。更に、そのそばに、兵隊の人形が割れて、散らばっていた。

<英国 TV ドラマ版>

エミリー・キャロライン・ブレントが殺された現場には、蜂が放たれておらず、その代わりに、彼女の首筋には、皮下注射器が刺さったままで、その皮下注射器に「SOB (Stung of a bee - 蜂のひと刺し)」と印されていた。


(15)

<原作>

エミリー・キャロライン・ブレントの遺体が発見された後、残された5人の手荷物検査が行われるが、注射器は見つからなかった。

その際、フィリップ・ロンバードは、ベッドの横のテーブルの引き出しに隠してあるピストルを持って来るように言われるが、皆で彼の部屋へ行くと、その引き出しは空っぽだった。

<英国 TV ドラマ版>

エミリー・キャロライン・ブレントの遺体が発見された日の翌朝、ヴェラ・エリザベス・クレイソーンと話をしたフィリップ・ロンバードが、施錠してあった自分の部屋に戻ると、銃が引き出しから盗まれていることを見つけた。

早速、残された5人で、各人の部屋の捜索を始めたが、銃はどこにもなかった。


白熊の毛皮の口の中に、銃が隠されている場面を以って、英国 TV ドラマ版の「エピソード2」は、終わりを迎えるのである。