2024年9月2日月曜日

ロンドン パークレーン / バイロン像(Park Lane / Byron Statue)


英国のロマン派詩人である第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロン(George Gordon Byron, 6th Baron Byron:1788年ー1824年 → 2021年5月9日+2024年8月24日 / 8月30日付ブログで紹介済)のブロンズ像がロンドン市内にあるので、今回、紹介したい。




1815年にアン・イザベラ・ノエル・ミルバンク(Anne Isabella Noel Millbanke:1792年ー1860年 / 愛称:アナベラ(Annabella))と結婚して、同年に2人の間に娘を設けた第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロンであったが、恋に憂き身をやつし続けたため、翌年(1816年)に彼女とは別居し、更に、近親相姦や同性愛(→ 当時は、死刑に値する犯罪)といったスキャンダルにより、世間からの糾弾を受けて、英国を去ることになる。




その後、ギリシア暫定政府の代表からの訪問を受けた第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロンは、1823年、2年前に始まったギリシア独立戦争へ身を投じることを決め、1824年1月、ギリシアへと向かった。

彼は、相手方の要塞等を攻撃する計画を立案していたが、現地において熱病に罹患して、1824年4月19日、瀉血が原因で、同地で死去した。まだ36歳の若さであった。




第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロンのブロンズ像を設置しようと言う運動が、ヴィクトリア朝時代に強まり、紆余曲折を経たものの、最終的には、ハイドパーク(Hyde Park → 2015年3月14日付ブログで紹介済)内に設置することが、英国ハノーヴァー朝(House of Hanover)の第6代女王で、かつ、初代インド女帝であるヴィクトリア女王(Queen Victoria:1819年ー1901年 在位期間:1837年ー1901年 → 2017年12月10日 / 12月17日付ブログで紹介済)により、1880年に承認された。


ヴィクトリア女王の生誕200周年を記念して、
2019年に英国のロイヤルメール(Royal Mail)から発行された切手の1枚


第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロンのブロンズ像は、英国の彫刻家であるリチャード・クロード・ベルト(Richard Claude Belt:1851年ー1920年)によって制作され、当時、ハイドパークの一部だったハミルトンガーデンズ(Hamilton Gardens)内に、1881年に設置されたのである。



当時、第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロンのブロンズ像は、一般にアクセス可能な場所にあったが、20世紀に入り、パークレーンのレイアウト変更のため、同ブロンズ像が設置された場所は、ハイドパークコーナー(Hyde Park Corner)からマーブルアーチ(Marble Arch)へと北上するパークレーンと逆に南下するパークレーンの間に挟まれた浮島となってしまった。その上、その浮島は、パークレーンの両側から、横断歩道、あるいは、地下通路等により結ばれていないため、現在、アクセス不可能な場所となっている。


北上するパークレーンと南下するパークレーンの間に挟まれた浮島内に
ポツーンと佇むバイロン像


第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロンの没後200周年を受けて、バイロン協会(Byron Society)が、現在、同ブロンズ像の移設にかかるキャンペーンを繰り広げている。

ハイドパークを管理するロイヤルパークス(Royal Parks)は、同ブロンズ像の移設場所として、ハイドパーク内のヴィクトリアゲート(Victoria Gate)近辺を提案。ただし、移設費用として、約40万ポンド(日本円換算で、約8千万円)を要する関係上、バイロン協会は、一般や関係各所からの寄付を募っている最中である。


          

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