2024年8月11日日曜日

ロンドン ブラックフライアーズ橋(Blackfriars Bridge) - その2

<筆者撮影>


最初のブラックフライアーズ橋(Blackfriars Bridge)は、


<デザイン>

スコットランド出身の建築家 / 技師であるロバート・ミルン(Robert Mylne:1733年ー1811年)

<設計>

英国の建築家 / 技師であるジョン・グイン(John Gwynn:1713年ー1786年)

英国の建築家 / 測量技師であるジョージ・ダンス(George Dance:1741年ー1825年)


に基づき、9年間の工事を経て、ポートランド石(Portland stone)でできた9つの半円アーチから成る約300mの橋が、1769年に竣工。


<筆者撮影>

<筆者撮影>

後にポートランド石による組み立てがうまく為されていなかったことが判明した結果、1830年代に入ると、大規模な補修が必要となり、最終的には、橋の架け替えが行われることになった。


<筆者撮影>

<筆者撮影>

最初のブラックフライアーズ橋は、1860年に撤去される。


英国の技師であるジョーゼフ・キュービット(Joseph Cubitt:1811年ー1872年)が設計した新しいブラックフライアーズ橋は、1869年に架け替えられた。


ヴィクトリア女王の生誕200周年を記念して、
2019年にロイヤルメール(Royal Mail)から発行された切手の1枚


新しいブラックフライアーズ橋は、5つの錬鉄アーチから成る約280mで、英国ハノーヴァー朝(House of Hanover)の第6代女王で、かつ、初代インド女帝であるヴィクトリア女王(Queen Victoria:1819年ー1901年 在位期間:1837年ー1901年 → 2017年12月10日 / 12月17日付ブログで紹介済)の出席の下、1869年11月6日に開通を迎えた。


ブラックフライアーズ橋の北岸に設置されている
ヴィクトリア女王のブロンズ像
<筆者撮影>


現在、ブラックフライアーズ橋のテムズ河(River Thames)北岸に、ヴィクトリア女王のブロンズ像が設置されているが、これは、前述の通り、ブラックフライアーズ橋の正式開通時に、ヴィクトリア女王が出席しているからである。


テムズ河に架かるテムズリンク(Thameslink)の
ブラックフライアーズ駅(Blackfriars Station)のプラットフォームから見た
ブラックフライアーズ橋(その1)
<筆者撮影>

テムズ河に架かるテムズリンクの
ブラックフライアーズ駅のプラットフォームから見た
ブラックフライアーズ橋(その2)
<筆者撮影>

橋の交通量増加に伴い、1907年から1910年にかけて、橋の幅が約21mから現在の約32mへと拡張される。


テムズ河に架かるテムズリンクの
ブラックフライアーズ駅のプラットフォームから見た
ブラックフライアーズ橋(その3)-
ブラックフライアーズ橋の下流側(左側)に、
ブラックフライアーズ鉄道橋の台座が残っているのが見える。
<筆者撮影>

テムズ河に架かるテムズリンクの
ブラックフライアーズ駅のプラットフォームから見た
ブラックフライアーズ橋(その4)-
すぐ目の前に、ブラックフライアーズ鉄道橋の台座が見える。
<筆者撮影>

現在、ブラックフライアーズ橋の直ぐ下流側に、橋の台座が残っているが、これは、同橋を設計したジョーゼフ・キュービットが同時に設計したブラックフライアーズ鉄道橋(Blackfrairs Railway Bridge)の名残である。


テムズ河に架かるテムズリンクの
ブラックフライアーズ駅のプラットフォームから見た
ブラックフライアーズ橋(その5)-
すぐ目の前に、ブラックフライアーズ鉄道橋の台座が見える。
<筆者撮影>

ブラックフライアーズ鉄道橋は、1864年に開通したが、ウォータールー駅(Waterloo Station → 2014年10月19日付ブログで紹介済)に高速列車や大陸間列車が集約されるのに伴って、橋の理由頻度が徐々に少なくなった。更に、現代の列車を支えるには、強度が足りないことが判明したため、1985年に撤去された。


テムズ河に架かるテムズリンクの
ブラックフライアーズ駅のプラットフォームから見た
ブラックフライアーズ橋(その6)-
すぐ目の前に、ブラックフライアーズ鉄道橋の台座が見える。
<筆者撮影>

ブラックフライアーズ鉄道橋の台座が残っているのは、1972年に「第二級建造物(Grade II listed)」に指定されているからである。


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