2024年8月24日土曜日

ケンブリッジ大学創立800周年記念 / 第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロン(800th Anniversary of the University of Cambridge / George Gordon Byron, 6th Baron Byron)- その1

ケンブリッジ大学創立800周年を記念して、
英国の児童文学作家 / イラストレーターであるクェンティン・ブレイクが描いた
第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロンの絵葉書
<筆者がケンブリッジのフィッツウィリアム博物館(Fitzwilliam Museum
→ 2024年7月20日 / 7月24日付ブログで紹介済)で購入>

2009年にケンブリッジ大学(University of Cambridge)が創立800周年を迎えたことを記念して、英国の児童文学作家 / イラストレーターであるクェンティン・ブレイク(Quentin Blake:1932年ー)が、ケンブリッジ大学に関係する人物を描いて、寄贈した。

ケンブリッジ大学の創立800周年を記念して、クェンティン・ブレイクが描いた人物達について、(1)アイザック・ニュートン(Issac Newton:1642年―1727年 → 2024年5月26日 / 5月30日付ブログで紹介済)、(2)チャールズ・ロバート・ダーウィン(Charles Robert Darwin:1809年ー1882年 → 2024年6月9日 / 6月13日付ブログで紹介済)、(3)ヘンリー8世(Henry VIII:1491年ー1547年 在位期間:1509年ー1547年 → 2024年7月26日付ブログで紹介済)、(4)ジョン・ディー(John Dee:1527年ー1608年、または、1609年 → 2024年7月30日付ブログで紹介済)、(5)オリヴァー・クロムウェル(Oliver Cromwell:1599年ー1658年 → 2024年8月4日付ブログで紹介済)、(6)ジョン・ミルトン(John Milton:1608年ー1674年 → 2024年8月17日付ブログで紹介済)や(7)ウィリアム・ウィルバーフォース(William Wilberforce:1759年ー1833年 → 2024年8月21日付ブログで紹介済)に続き、順番に紹介していきたい。

8番目に紹介するのは、第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロン(George Gordon Byron, 6th Baron Byron)である。

(8)第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロン(1788年ー1824年

第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロンは、英国のロマン派詩人で、SF の先駆者と見做される英国の小説家メアリー・ウルストンクラフト・ゴドウィン・シェリー(Mary Wollstonecraft Godwin Shelley:1797年ー1851年 → 2021年3月9日 / 3月16日付ブログで紹介済)がゴシック小説「フランケンシュタイン、或いは、現代のプロメテウス(Frankenstein; or, the Modern Prometheus. → 2021年3月24日付ブログで紹介済)」(1818年)に登場する「フランケンシュタインの怪物」を着想する場面に立ち会った人物である。

英国において、第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロンは、一般に、「バイロン卿(Lord Byron)」として知られている。


ナショナルポートレートギャラリー
(National Portrait Gallery)で販売されている
第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロンの肖像画の葉書
(Richard Westall
 / 1813年 / Oil on canvas
914 mm x 711 mm) 


ジョージ・ゴードン・バイロンは、1788年1月22日、ジョン・バイロン大尉(Captain John Byron:1757年ー1791年 → 第5代バイロン男爵ウィリアム・バイロン(William Byron, 5th Baron Byron:1722年ー1798年)の甥)と彼の2番目の妻であるキャサリン・ゴードン(Catherine Gordon)の間に、ロンドンで出生。

父親のジョン・バイロン大尉は、酒癖が悪く、浪費家でもあった。そのため、家庭内では夫婦喧嘩が絶えなかった。ジョージ・ゴードン・バイロンが3歳の時、ジョン・バイロン大尉は、多額の借金を残したまま、放浪先のフランスで死去。その後、ジョージ・ゴードン・バイロンは、精神疾患を抱えた母親と一緒に、アバディーン州(Aberdeenshire)へ移住し、そこで暗い幼少期を過ごした。


1798年に従祖父である第5代バイロン男爵ウィリアム・バイロンが亡くなったが、他に相続人が居なかったため、ジョージ・ゴードン・バイロンは、わずか10歳にして、第6代バイロン男爵となり、ノッティンガム州(Nottinghamshire)にある土地と館を相続し、アバディーン州からノッティンガム州へと移った。


第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロンは、ロンドンのハーロー校(Harrow College)へ送られた。彼は、1801年から1805年にかけて、そこで学んだ後、1805年にケンブリッジ(Cambridge)のトリニティーカレッジ(Trinity College)に入学するも、学業を顧みない日々を過ごした。

彼は、1808年にケンブリッジを去ると、1809年から1811年にかけて、ポルトガル、スペインやギリシア等を旅した。

彼は、1812年に上記の旅行をベースにした「チャイルド・ハロルドの巡礼(Childe Harold’s Pilgrimage)」を出版すると、生の倦怠と憧憬を伴った詩風と異国情緒が時代の流れに合致し、大きな評判を得て、一躍、社交界の寵児となった。


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