2023年5月17日水曜日

コナン・ドイル作「恐怖の谷」<小説版>(The Valley of Fear by Conan Doyle )- その2

英国で出版された「ストランドマガジン」に掲載された挿絵 -
第1部第2章「シャーロック・ホームズの講義
(Sherlock Holmes Discourses)」
ジェイムズ・モリアーティー教授の組織内に居る
情報提供者のフレッド・ポーロックから受け取った暗号文の内容通り、
スコットランドヤードのアレック・マクドナルド警部から、
「昨夜、バールストン館に住むジョン・ダグラスと言う男が惨殺された。」
と言う話を聞いたシャーロック・ホームズは、
ジョン・H・ワトスンも伴い、3人で現地へと急行した。
画面左側から、ワトスン、ホームズ、そして、マクドナル警部。
挿絵:フランク・ワイルズ


1880年代の終わりに差し掛かる頃の朝、シャーロック・ホームズは、ホームズの終生のライヴァルで、「犯罪界のナポレオン(Napoleon of crime)」と呼ばれるジェイムズ・モリアーティー教授(Professor James Moriarty)の組織内に居る情報提供者であるフレッド・ポーロック(Fred Porlock - 偽名)から、数字が羅列された暗号文を受け取った。

ホームズは、年鑑(Almanac)を使って、ポーロックの暗号文を解読すると、「バールストン館のダグラスと言う男に、危険が差し迫っている。」と言う内容だった。


ちょうどそこへ、スコットランドヤードのアレック・マクドナルド警部(Inspector Alec MacDonald)が、ホームズを訪ねて来た。

マクドナルド警部は、テーブルの上に置かれた解読された暗号文の内容を見て、驚きを見せる。何故ならば、「昨夜、サセックス州(Sussex)バールストン(Birlstone)のバールストン館(Birlstone House)に住むジョン・ダグラス(John Douglas)が惨殺された。」と言う連絡を、彼は受けていたからである。


マクドナルド警部がホームズの元にやって来たのは、サセックス州刑事部長(chief Sussex detective)であるホワイト・メイスン(White Mason)からの要請に基づき、ホームズをバールストンへと連れて行くためだった。

マクドナルド警部からの話を聞き、事件に興味を覚えたホームズは、ジョン・H・ワトスンも伴い、3人でバールストンへと向かう訳であるが、その前にホームズとジョン・H・ワトスン / マクドナルド警部の間で交わされる会話から、ジェイムズ・モリアーティー教授にかかる情報が、いろいろと開示されている。


英国で出版された「ストランドマガジン」
1893年12月号に掲載された挿絵 -
シャーロック・ホームズは、
ジョン・H・ワトスンに対して、
彼の宿敵で、「犯罪界のナポレオン」と呼ばれる
ジェイムズ・モリアーティー教授について語るのであった。
挿絵:シドニー・エドワード・パジェット
(Sidney Edward Paget 1860年 - 1908年)


以下に列挙すると、


・独身(unmarried)

・表向きは、高名な数学教授で、給与は年700ポンド(His chair is worth seven hundred a year.)

・高等学術書「小惑星の力学(The Dynamics of an Astroid)」を著作

・書斎の書き物机の後ろにある壁に、フランスの画家であるジャン=バティスト・グルーズ(Jean-Baptiste Greuze:1725年ー1805年)が描いた「若い女性が、両手に顔を置いて、横目で見ている絵(the picture - a young woman with her head on her hands, peeping at you sideways)」が掛かっている。

・ジャン=バティスト・グルーズによる別の絵画は、オークションにおいて、4万ポンド以上の高値で取引されたことを考えると、彼の絵画を所有しているモリアーティー教授は、非常に金回りが良いと言える。

・モリアーティー教授の弟は、英国西部において、駅長をしている。(His younger brother is a station master in the west of England.)

・マクドナルド警部は、モリアーティー教授の書斎において、彼に直接会ったことがあり、その際、月食(eclipses)についての会話を交わした。会談後、モリアーティー教授は、マクドナルド警部に対して、本を貸している。

・ホームズは、今までに3回、モリアーティー教授の書斎に入ったことがある。そのうちの2回は、別の用件で、ホームズは、モリアーティー教授を待っていたが、モリアーティー教授が来る前に、ホームズは立ち去ってしまった。残りの1回は、ホームズが、モリアーティー教授の書斎に無断で忍び込んで、彼のことを詳細に調べようとした。

・モリアーティー教授は、彼の右腕で、腹心の部下であるセバスチャン・モラン大佐(Colonel Sebastian Moran)に対して、年6000ポンドの報酬を与えている。

・ホームズが調べた限りでは、モリアーティー教授は、6つの銀行口座を保有しているが、実際には、20の銀行口座を持っているものと確信。また、ホームズは、モリアーティー教授の海外資産の大部分は、おそらく、ドイツ銀行(Deutsche Bank)か、クレディ・リヨネ銀行(Credit Lyonnais)にあるものと考えている。


等である。


英国で出版された「ストランドマガジン」
1903年10月号に掲載された挿絵 -
ベイカーストリート221B(221B Baker Street → 
2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)の向かい側に建つ
カムデンハウス(Camden House)から、
ロンドンに帰還したシャーロック・ホームズを狙撃しようと、
ジェイムズ・モリアーティー教授の部下で、彼の右腕でもある
セバスチャン・モラン大佐が、カムデンハウスへとやって来た。
挿絵:シドニー・エドワード・パジェット

(1860年 - 1908年)


上記の通り、ワトスンは、モリアーティー教授について、ホームズによる説明やホームズとマクドナルド警部の会話を会話を聞いているにもかかわらず、「最後の事件(The Final Problem → 2022年5月1日 / 5月8日 / 5月11日付ブログで紹介済)」(事件発生年月:1891年4月24日 - 同年5月4日)の際、1891年4月24日の晩、ワトスンの診療室を突然訪れたホームズとワトスンの間で、


「多分、モリアーティー教授のことを聞いたことはないだろうね?」と、彼(ホームズ)は言った。

「全くないよ。」


‘You have probably never heard of Professor Moriarty?’ Said he.

’Never.’


という会話が交わされていて、「恐怖の谷(The Valley of Fear)」事件と「最後の事件」の間で、不整合が発生している。


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