2023年3月12日日曜日

パイプを咥えたシャーロック・ホームズ - その6

サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年-1930年)が執筆したシャーロック・ホームズシリーズにおいて、パイプを咥えたシャーロック・ホームズの挿絵について、引き続き、紹介したい。


今回は、ホームズシリーズの第4短編集である「シャーロック・ホームズ最後の挨拶(His Last Bow)」に収録されている挿絵に関して、紹介する。


ホームズシリーズの第1短編集「シャーロック・ホームズの冒険(The Adventures of Sherlock Holmes)」(1892年)、第2短編集「シャーロック・ホームズの回想(The Memoirs of Sherlock Holmes)」(1893年)、第3長編「バスカヴィル家の犬(The Hound of the Baskervilles)」1901年8月ー1902年4月)、そして、第3短編集「シャーロック・ホームズの帰還(The Return of Sherlock Holmes)」(1905年)まで挿絵を担当していた挿絵画家であるシドニー・エドワード・パジェット(Sidney Edward Paget:1860年ー1908年)は、1908年1月28日に亡くなったため、後述するが、第4短編集「シャーロック・ホームズ最後の挨拶」に収録されている作品の挿絵は、基本的に、他のイラストレーターによる挿絵となっている。


当時、柄がまっすぐとなったパイプが一般的に使用されていたことを示すために、ホームズに加えて、他の登場人物の挿絵も掲載する。


(19)「ウィステリア荘(Wisteria Lodge)」


英国で出版された「ストランドマガジン」
1908年9月号に掲載された挿絵 -
1892年3月末近くの寒々とした風の強い日の午後、
ジョン・スコット・エクルズ(John Scott Eccles)が、
自分に降りかかった殺人の容疑から助けてもらうために、
ベイカーストリート221B(221B Baker Street → 
2014年6月22日 / 6月29日付ブログで紹介済)の
シャーロック・ホームズの元を訪れるところから、物語が始まる。
画面左側より、ジョン・スコット・エクルズ、ジョン・H・ワトスン、
そして、ホームズ。
ホームズは、柄が真っ直ぐになったパイプを右手に持っ
て、立っている。
挿絵:アーサー・トゥイドル

「ウィステリア荘」は、ホームズシリーズの短編小説56作のうち、38番目に発表された作品で、英国では、「ストランドマガジン(The Strand Magazine)」の1908年9月号 / 10月号に、また、米国でも、「コリアーズ ウィークリー(Collier’s Weekly)」の1908年8月15日号に掲載された。

同作品は、1917年に発行されたホームズシリーズの第4短編集である「シャーロック・ホームズ最後の挨拶」に収録されている。


英国で出版された「ストランドマガジン」
1908年9月号に掲載された挿絵 -
サリー州(Surrey)エッシャー(Esher)近くのウェステリア荘に住む
アロイシアス・ガルシア(Aloysius Garcia)を殺害した容疑で、
スコットランドヤードのグレッグスン警部(Inspector Gregson)と
サリー州警察(Surrey Constabulary)のベインズ警部(Inspector Baynes)の2人が、
ジョン・スコット・エクルズの居所を突き止めて、
ベイカーストリート221Bまでやって来た。
画面左側より、ジョン・H・ワトスン、ジョン・スコット・エクルズ、
シャーロック・ホームズ、ベインズ警部、そして、グレッグスン警部。
ホームズがさっきまで持っていたパイプを持っているのかどうか、
挿絵上、ハッキリしない。
挿絵:アーサー・トゥイドル


なお、英国の「ストランドマガジン」誌上に分割で掲載された際、9月号の前編は「ジョン・スコット・エクルズ氏の奇妙な体験(The Singular Experience of Mr. John Scott Eccles)」、10月号の後編は「サン・ペドロの虎(The Tiger of San Pedro)」と言うタイトルで発表された。

一方、米国の「コリアーズ ウィークリー」誌上に一括で掲載された際には、「J・スコット・エクルズ氏の奇妙な体験(The Singular Experience of Mr. J. Scott Eccles)」と言うタイトルで発表された。

本作品のタイトルが「ウィステリア荘」へと改題されたのは、第4短編集「シャーロック・ホームズ最後の挨拶」に収録された時である。


英国で出版された「ストランドマガジン」
1908年9月号に掲載された挿絵 -
シャーロック・ホームズが送った電報の返信が届いた。
ホームズは電報の返信を読んだ後、
電報の返信を自分の手帳に入れようとしたが、
ジョン・H・ワトスンの表情に気付くと、
笑いながら、ワトスンに電報の返信を投げて寄越した。
画面左側の人物がホームズで、画面右側の人物がワトスン
ワトスンが煙草を口に咥えて、椅子に腰掛けている。
挿絵:アーサー・トゥイドル


事件の記録者であるジョン・H・ワトスンは、事件が発生した年月について、「1892年3月末頃」と記述しているが、これは、ホームズが、「犯罪界のナポレオン(Napoleon of crime)」と呼ばれたジェイムズ・モリアーティー教授(Professor James Moriarty)と一緒に、スイスのマイリンゲン(Meiringen)にあるライヘンバッハの滝(Reichenbach Falls)へと姿を消した1891年5月から、「空き家の冒険(The Empty House)」事件を経て、ホームズがロンドンへと帰還した1894年4月の間に該っている。従って、これは、明らかに誤った記述だと思われる。


(20)「ボール箱(The Cardboard Box)」


英国で出版された「ストランドマガジン」
1904年5月号に掲載された挿絵 -
シャーロック・ホームズは、
リヴァプール船の接客員として勤務している
ジム・ブラウナー(Jim Browner)を、
メアリー・ブラウナー(Mary Browner)と
彼女の不倫相手であるアレック・フェアべアン(Alec Fairbairn)
の2人を殺害した容疑者として特定した。
容疑者のジム・ブラウナーは、柄が真っ直ぐになったパイプを口に咥えて、
立っている姿が描かれている。
挿絵:シドニー・エドワード・パジェット(1860年 - 1908年)

「ボール箱」は、ホームズシリーズの短編小説56作のうち、14番目に発表された作品で、英国では、「ストランドマガジン」の1893年1月号に、また、米国でも、「ハーパーズ ウィークリー(Harper’s Weekly)」の1893年1月14日号に掲載された。

同作品は、英国の場合、ホームズシリーズの第4短編集である「シャーロック・ホームズ最後の挨拶」(1917年)に、また、米国の場合、第2短編集である「シャーロック・ホームズの回想」(1894年)に収録されている。


本作品において取り扱われる事件は、残酷で身の毛もよだつものであることに加えて、「不倫」を題材にしており、当時の倫理観とは相容れなかった。

本作品の存在が当時の風紀を乱すと懸念したコナン・ドイルが許可しなかったため、英国において、1893年に発行された第2短編集「シャーロック・ホームズの回想」には収録されなかった。

一方、米国において、1894年に刊行された第2短編集「シャーロック・ホームズの回想」の初版には収録されたが、コナン・ドイルからの依頼に基づき、初版が回収された後、第2版が発行されたのである。

その後、倫理観の変化等があり、コナン・ドイルからの許可も出たため、本作品は、1917年に刊行された第4短編集「シャーロック・ホームズ最後の挨拶」に収録されるという運びとなった。


本作品が短編集に収録されるまでの間に、上記のような複雑な事情があった関係上、本作品の冒頭部分において、ホームズが、ワトスンの些細な動作を観察して、ワトスンが考えていることを推理してみせる有名な場面は、それを惜しんだコナン・ドイルによって、英国の場合、21番目に発表された短編である「入院患者(The Resident Patient)」の冒頭部分に一旦挿入されたが、その後、元に戻された。

一方、米国の場合、本作品と「入院患者」の両方に、同じ場面が出てくるような状況となっている。


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