2023年8月31日木曜日

テリー・プラチェット作「ディスクワールド」シリーズ40周年記念切手(40th Anniversary of Terry Pratchett’s Discworld)- その3

テリー・プラチェット作「ディスクワールド」シリーズ40周年記念切手(その5)
(Illustration : Paul Kidby) -
サム・ヴァイムズ(Sam Vimes)は、テリー・プラチェットによるディスクワールドシリーズに登場する人物。
彼の正式名は、「His Grace, His Excellency, The 1st Duke of Ankh;
Commander Sir Samuel Vimes」である。
サム・ヴァイムズは、第8作目「Guard! Guard!」(1989年)、
第15作目「Men at Arms」(1993年)、第19作目「Feet of Clay」(1996年)、
第21作目「Jingo」(1997年)、第24作目「The Fifth Elephant」(1999年)、
第25作目「The Truth」(2000年)、第29作目「The Night Watch」(2002年)、
第31作目「Monstrous Regiment」(2003年)、第34作目「Thud!」(2005年)、
第36作目「Making Money」(2007年)、第37作目「Unseen Academicals」(2009年)、
第39作目「Snuff」(2011年)や第40作目「Raising Steam」(2013年)に登場する。

英国の SF 作家 / ファンタジー作家であるテリー・プラチェット(Terry Pratchett:1948年ー2015年)が1983年に「ディスクワールド(Discworld)」シリーズの第1作目となる「ディスクワールド騒動記(The Colour of Magic)」を発表しているが、その40周年に伴い、本年8月10日に、英国のロイヤルメール(Royal Mail)から発行された8種類の記念切手について、引き続き、御紹介したい。


今回は、テリー・プラチェットによる「ディスクワールド」シリーズ全41作のうち、中間の15作を列挙する。なお、全てではないが、日本語タイトルに関しては、邦訳版に依っている。


テリー・プラチェット作「ディスクワールド」シリーズ40周年記念切手(その6)
(Illustration : Paul Kidby) -
死神(Death)と死(Mort)は、テリー・プラチェットによるディスクワールドシリーズに登場する人物。
死神は、第4作目「Mort」(1987年)、第11作目「Reaper Man」(1991年)、
第16作目「Soul Music」(1994年)、第20作目「Hogfather」(1996年)や
第26作目「Thief of Time」(2001年)において、主役を務めている。

(16)「Soul Music(ソウル・ミュージック)」(1994年)

(17)「Interesting Times」(1994年)

(18)「Maskerade」(1995年)

(19)「Feet of Clay」(1996年)

(20)「Hogfather」(1996年)

(21)「Jingo」(1997年)

(22)「The Last Continent」(1998年)

(23)「Carpe Jugulum」(1998年)

(24)「The Fifth Elephant」(1999年)

(25)「The Truth」(2000年)

(26)「Thief of Time」(2001年)

(27)「The Last Hero」(2001年)

(28)「The Amazing Maurice and His Educated Rodents」(2001年)

(29)「Night Watch」(2002年)

(30)「The Wee Free Men」(2003年)


2023年8月30日水曜日

ウォーリック州(Warwickshire) ウォーリック城(Warwick Castle)- その2

ウォーリック城の塔の一つ(その1)
<筆者撮影>


イングランド中部のウォーリック州(Warwickshire)内を流れるエイヴォン川(River Avon)を望む崖の上に建っているウォーリック城(Warwick Castle)は、イングランドを征服(ノルマンコンクエスト / Norman Conquest)して、ノルマン朝(Norman Dynasty)を開き、現在の英国王室の開祖となったウィリアム1世(William I:1027年ー1087年 在位期間:1066年ー1087年 - ウィリアム征服王(William the Conqueror)の名で呼ばれることの方が多い)によって、1068年に築かれた城が、ベースとなっている。

1068年に築かれたウォーリック城は、木製の「モット・アンド・ベイリー(Motte-and-bailey)」であったが、12世紀に入ると、石製のものに代えられた。


ウォーリック城の塔の一つ(その2)
<筆者撮影>

ウォーリック城は、1153年にアンジュー伯(Count of Anjou  在位期間:1151年ー1189年)のアンリ(Henry)によって接収され、囚人を閉じ込めるために使用された。

なお、アンジュー伯アンリは、後に、プランタジネット朝(House of Plantagenet)の初代イングランド王であるヘンリー2世(Henry II:1133年ー1189年 在位期間:1154年ー1189年)として即位する。


百年戦争(Hundred Years’ War:1337年-1453年)の際に、ウォーリック城は、要塞として強化され、以降、17世紀初頭まで、軍事拠点として使用された。


ウォーリック城は、1604年に、ステュアート朝(House of Stuart)のスコットランド、イングランドとアイルランドの王であるジェイムズ1世(James I:1566年ー1625年 在位期間:1603年ー1625年)から初代ブルック男爵フルケ・グレヴィル(Fulke Greville, 1st Baron Brooke:1554年ー1628年)へと与えられ、軍事拠点からカントリーハウスへの改装が実施された。その際、城の敷地内に、庭園が造成された。

その後、ウォーリック伯爵(Earl of Warwick)となったグレヴィル家によって、1978年まで所有された。


ウォーリック城の塔の一つ(その3)
<筆者撮影>

ウォーリック城は、1978年に、レジャー会社のタッソーグループ(The Tussauds Group)によって買収され、観光地となった。

2007年に、タッソーグループ自体が、ブラックストーングループ(Blackstone Group)に買収され、更に、ブラックストーングループは、マーリンエンターテインメンツ(Merlin Entertainments)に統合された。

その後、ウォーリック城は、投資会社のプレストベリーグループ(Prestbury Group)へと売却されたが、マーリンエンターテインメンツが35年間のリース契約を締結して、引き続き、観光施設としての運営を行っている。


ウォーリック城は、現在、「指定遺跡(Scheduled Ancient Monument)」かつ「第一級指定建築物(Listed building)」として、英国政府からの保護を受けている。


2023年8月29日火曜日

アガサ・クリスティー作「オリエント急行の殺人」<小説版>(Murder on the Orient Express by Agatha Christie )- その2

2013年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「オリエント急行の殺人」
(ペーパーバック版)の裏表紙
(Cover design by Claire Ward / HarperCollinsPublishers Ltd.
Background illustration and silhouette Shutterstock.com)


中東のシリア(Syria)での仕事を終えて、イスタンブール(Istanbul)のホテル(The Tokatlian Hotel)に到着したエルキュール・ポワロは、そこで「直ぐにロンドンへ戻られたし。」という電報を受け取る。早速、ポワロはホテルにイスタンブール発カレー(Calais)行きのオリエント急行(Orient Express)の手配を依頼するが、通常、冬場(12月)は比較的空いている筈にもかかわらず、季節外れの満席だった。

とりあえず、駅へ向かったポワロであったが、ベルギー時代からの友人で、ホテルで再会した国際寝台車会社(Compagnie Internationale des Wagons Lits)の重役ブック氏(Mr. Bouc)が、ポワロのために、二等寝台席を確保してくれる。なお、ブック氏は、仕事の関係で、スイスのローザンヌ(Lausanne)へと向かう予定だった。

なんとかヨーロッパへの帰途についたポワロは、米国人のヘクター・ウィラード・マックイーン(Hector Willard MacQueen)と同室になる。


季節外れにもかかわらず、オリエント急行には、様々な国と職業の人達が乗り合わせていた。

その中の一人で、イスタンブールのホテルで既に見かけていた米国人の実業家であるサミュエル・エドワード・ラチェット(Samuel Edward Ratchett)が、ポワロに対して、話しかけてくる。彼は、最近脅迫状を数回受け取っていたため、身の危険を感じており、ポワロに自分の護衛を依頼してきたのであった。彼の狡猾な態度を不快に思ったポワロは、彼の依頼を即座に断る。


翌日の夜、ベオグラード(Belgrade - 現在のセルビア共和国の首都)において、アテネ(Athens)発パリ(Paris)行きの車輌が接続され、ブック氏はその車輛へと移り、自分の一等寝台席(1号室)をポワロに譲ったため、ポワロはカレーまでゆっくりと一人で過ごせる筈だった。ところが、ポワロの希望とは裏腹に、列車は、ヴィンコヴツィ(Vinkovciー現在のクロアチア(Croatia)共和国領内)近くで積雪による吹き溜まりに突っ込んで、立ち往生しつつあった。


その夜、隣室(2号室)のラチェットの部屋での出来事や廊下での騒ぎ等により、ポワロは、何度も安眠を邪魔された。そして、翌朝、車掌が、ポワロの隣室において、ラチェットが死んでいるのを発見する。彼は、刃物で全身を12箇所もメッタ刺しの上、殺害されていたのである。

ブック氏は、会社の代表者として、ポワロに対し、事件の解明を要請し、それを受諾したポワロは、別の車輛に乗っていたギリシア人の医師コンスタンティン博士(Dr. Constantine)と一緒に、ラチェットの検死を行う。ラチェットが殺害された現場には、燃やされた手紙が残っていて、ポワロは、その手紙からデイジー・アームストロング(Daisy Armstrong)という言葉を解読した。サミュエル・エドワード・ラチェットという名前は偽名であり、彼は、5年前に、米国において、幼いデイジー・アームストロングを誘拐して殺害した犯人カセッティ(Cassetti)で、身代金を持って海外へ逃亡していたのである。


2013年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「オリエント急行の殺人」
(ペーパーバック版)内に記載されている
オリエント急行の
イスタンブール発カレー行き寝台車の見取り図

ラチェットの正体を知ったポワロは、ブック氏/コンスタンティン博士と一緒に、列車の乗客の事情聴取を開始する。積雪のため、立ち往生した列車の周囲には足跡がなく、外部の人間が犯人とは思えなかった。列車には、


*1号室(一等寝台席):エルキュール・ポワロ

*2号室(一等寝台席):サミュエル・エドワード・ラチェット

*3号室(一等寝台席):キャロライン・マーサ・ハバード夫人(Mrs. Caroline Martha Hubbard)- 陽気でおしゃべりな中年女性(米国人)

*4号室(二等寝台席):エドワード・ヘンリー・マスターマン(Edward Henry Masterman)- ラチェットの執事(英国人)

*5号室(二等寝台席):アントニオ・フォスカレリ(Antonio Foscarelli)- 自動車のセールスマン(米国に帰化したイタリア人)

*6号室(二等寝台席):ヘクター・ウィラード・マックイーン - ラチェットの秘書(米国人)

*7号室(二等寝台席):空室(当初、ポワロが使用していた)

*8号室(二等寝台席):ヒルデガード・シュミット(Hildegarde Schmidt)- ドラゴミロフ公爵夫人に仕える女中(ドイツ人)

*9号室(二等寝台席):空室

*10号室(二等寝台席):グレタ・オルソン(Greta Ohisson)- 信仰心の強い中年女性(スウェーデン人)

*11号室(二等寝台席):メアリー・ハーマイオニー・デベナム(Mary Hermione Debenham)- 家庭教師(英国人)

*12号室(一等寝台席):エレナ・マリア・アンドレニ伯爵夫人(Countess Elena Maria Andrenyi / 旧姓:エレナ・マリア・ゴールデンベルク(Elena Maria Goldenberg))- ルドルフ・アンドレニ伯爵の妻(ハンガリー人)

*13号室(一等寝台席):ルドルフ・アンドレニ伯爵(Count Rudolf Andrenyi)- 外交官(ハンガリー人)

*14号室(一等寝台席):ナタリア・ドラゴミロフ公爵夫人(Princess Natalia Dragomiroff)- 亡命貴族の老婦人(フランスに帰化したロシア人)

*15号室(一等寝台席):アーバスノット大佐(Colonel Arbuthnot)- 軍人(英国人)

*16号室(一等寝台席):サイラス・ベスマン・ハードマン(Cyrus Bethman Hardman)- セールスマンと言っているが、実はラチェットの身辺を護衛する私立探偵(米国人)


ポワロと被害者のラチェット以外に、12名の乗客とオリエント急行の車掌で、フランス人のピエール・ポール・ミシェル(Pierre Paul Michel)が乗っていた。

果たして、ラチェットを惨殺した犯人は、誰なのか?ところが、何故か、乗客達のアリバイは、互いに補完されていて、容疑者と思われる者は、誰も居なかった。

捜査に難航するポワロであったが、最後には驚くべき真相を明らかにするのであった。


本作品において、犯行動機の重要なファクターとなるデイジー・アームストロング誘拐殺人事件については、初の大西洋単独無着陸飛行(1927年5月20日ー同年5月21日)を成功したことで有名な米国人飛行家チャールズ・オーガスタス・リンドバーグ(Charles Augustus Lindbergh:1902年ー1974年)の長男チャールズ・オーガスタス・リンドバーグ・ジュニア(当時1歳8ヶ月)が、1932年3月1日にニュージャージー州(New Jersey)の自宅から誘拐され、約2ヶ月後に邸宅付近で死亡しているのが発見されるという実際の事件があり、アガサ・クリスティーは、この事件から着想を得たものとされている。


2023年8月28日月曜日

ウォーリック州(Warwickshire) ウォーリック城(Warwick Castle)- その1

英国の Seven Dials, Cassel & Co が2000年に出版した
ポール・ジョンスン(Paul Johnson)著
「Castles of England, Scotland & Wales」(筆者所有)から抜粋。

アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)作「死者のあやまち(Dead Man’s Folly → 2023年8月18日 / 8月22日付ブログで紹介済)」(1956年)のストーリーは、次のようにして始まる。

ある日、ロンドン市内にあるエルキュール・ポワロのオフィスにおいて、電話が鳴り、ポワロの秘書であるミス・レモン(Miss Lemon)が、受話器をとる。ポワロに電話をかけてきたのは、人気推理作家で、昔なじみのアリアドニ・オリヴァー夫人(Mrs. Ariadne Oliver)であった。電話はデヴォン州(Devon)からで、オリヴァー夫人は、ポワロに対して、「直ぐこちらに来てほしい。」と頼み込む。そこで、ポワロは、早速、ロンドン発の列車でデヴォン州へと向かう。

ナスコム駅(Nassecombe Station)からオリヴァー夫人が滞在しているナス屋敷(Nasse House)へ迎えの車で向かう途中、ポワロは、外国人旅行者の女性二人(オランダ人とイタリア人)を車に乗せて、近くのユースホステルまで送ってあげる。この辺り一帯は、外国人ハイカー達に人気の場所であった。

その際、オランダ人の女性旅行者は、ポワロに対して、’I to England come for two week holiday. I come from Holland. I like England very much. I have been Stratford Avon, Shakespeare Theatre and Warwick Castle. …’ と話した。


オランダ人の女性旅行者が、ストラトフォード=アポン=エイヴォン(Stratford-upon-Avon → 2023年8月24日 / 8月26日付ブログで紹介済)にあるロイヤル シェイクスピア劇場(Royal Shakespeare Theatre)を観光した後に訪れたウォーリック城(Warwick Castle)は、イングランド中部のウォーリック州(Warwickshire)内にある中世の城で、エイヴォン川(River Avon)を望む崖の上に建っている。


元々、この場所には、アングロサクソン人の砦が建っていたが、イングランドを征服(ノルマンコンクエスト / Norman Conquest)して、ノルマン朝(Norman Dynasty)を開き、現在の英国王室の開祖となったウィリアム1世(William I:1027年ー1087年 在位期間:1066年ー1087年 - ウィリアム征服王(William the Conqueror)の名で呼ばれることの方が多い)によって、1068年に、ウォーリック城が築かれた。


ウィリアム1世の後を継いで、ノルマン朝第2代イングランド王となったウィリアム2世(William II:1060年頃ー1100年 在位期間:1087年ー1100年)は、配下のヘンリー・ド・ブォーモント(Henry de Beaumont:不明ー1119年)をウォーリック城の城守(constable)に任命する。そして、ヘンリー・ド・ブォーモントは、1088年に初代ウォーリック伯爵(1st Earl of Warwick)に任じられ、以降、ウォーリック城は、その権力の象徴となった。


コーンウォール州(Cornwall)ローンストン内に所在するローンストン城(Launceston Castle)
<筆者撮影> -
ローンストン城は、「モット・アンド・ベイリー」で築かれた典型的な城である。

1068年に築かれたウォーリック城は、木製の「モット・アンド・ベイリー(Motte-and-bailey)」であったが、12世紀に入ると、石製のものに代えられた。

なお、「モット・アンド・ベイリー」とは、「モット(motte)」と呼ばれる小高い丘の上に建てられた木製、または、石製のキープ(keep)と、矢来(palisade)や防御用の堀(rampart)等で囲まれた中庭(bailey)で構成された要塞施設のことを意味している。


ローンストン城の入口 <筆者撮影> -
ローンストン城は、現在、イングリッシュヘリテージ(English Heritage)によって管理されている。

2023年8月27日日曜日

テリー・プラチェット作「ディスクワールド」シリーズ40周年記念切手(40th Anniversary of Terry Pratchett’s Discworld)- その2

テリー・プラチェット作「ディスクワールド」シリーズ40周年記念切手(その3)
(Illustration : Paul Kidby) -
テリー・プラチェットによるディスクワールドシリーズの
第2作目「The Light Fantastic」(1986年)等に登場する
オラウータン(orang-utan)の図書館員。
彼は、元々、人間であったが、魔法でオラウータンに変えられてしまった。
図書館員として、高い棚にある本を取るためには、
オラウータンのままで居る方が便利なので、
人間に戻してもらうことを拒否して、オラウータンのままで居るのである。


英国の SF 作家 / ファンタジー作家であるテリー・プラチェット(Terry Pratchett:1948年ー2015年)が1983年に「ディスクワールド(Discworld)」シリーズの第1作目となる「ディスクワールド騒動記(The Colour of Magic)」を発表しているが、その40周年に伴い、本年8月10日に、英国のロイヤルメール(Royal Mail)から発行された8種類の記念切手について、引き続き、御紹介したい。


今回は、テリー・プラチェットによる「ディスクワールド」シリーズ全41作のうち、最初の15作を列挙する。なお、全てではないが、日本語タイトルに関しては、邦訳版に依っている。


テリー・プラチェット作「ディスクワールド」シリーズ40周年記念切手(その4)
(Illustration : Paul Kidby) -
エスメラルダ・ウェザーワックス(Esmerelda Weatherwax -
ウェザーワックスお婆さん(Granny Weatherwax)と呼ばれている)は、

テリー・プラチェットによるディスクワールドシリーズに登場する魔女で、
Lancre coven のメンバーの一員である。
彼女は、自称、ディスクワールドの守護者で、魔法でこの世界を度々守っている。
エスメラルダ・ウェザーワックスは、第3作目「Equal Rites」(1987年)、
第6作目「Wyrd Sisters」(1988年)、第12作目「Witches Abroad」(1991年)、
第14作目「Lords and Ladies」(1992年)、第18作目「Maskerade」(1995年)や
第23作目「Carpe Jugulum」(1998年)等において、主人公を務めている。

(1)「The Colour of Magic(ディスクワールド騒動記1)」(1983年)

(2)「The Light Fantastic」(1986年)

(3)「Equal Rites(魔道士エスカリナ)」(1987年)

(4)「Mort(死神の館)」(1987年)

(5)「Sourcery」(1988年)

(6)「Wyrd Sisters(三人の魔女)」(1988年)

(7)「Pyramids(ピラミッド)」(1989年)

(8)「Guards! Guards!」(1989年)

(9)「Eric」(1990年)

(10)「Moving Pictures」(1990年)

(11)「Reaper Man(刈り入れ)」(1991年)

(12)「Witches Abroad」(1991年)

(13)「Small Gods(異端審問)」(1992年)

(14)「Lords and Ladies」(1992年)

(15)「Men at Arms」(1993年)


2023年8月26日土曜日

ウォーリック州(Warwickshire) ストラトフォード=アポン=エイヴォン(Stratford-upon-Avon)- その2

ウィリアム・シェイクスピアが1564年に生まれ、幼少期を過ごした場所と言われている
「シェイクスピアの生家」
<筆者が撮影>


イングランドの劇作家 / 詩人であるウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare:1564年ー1616年 → 2023年5月19日付ブログで紹介済)の故郷として、世界的に有名なストラトフォード=アポン=エイヴォン(Stratford-upon-Avon)は、イングランド中部のウォーリック州(Warwickshire)内にあるエイヴォン川(River Avon)に面した都市である。


ナショナルポートレートギャラリー
(National Portrait Gallery)で販売されている
ウィリアム・シェイクスピアの肖像画の葉書
(Associated with John Taylor
 / 1610年頃 / Oil on panel
552 mm x 438 mm)


ストラトフォード=アポン=エイヴォンの起源は、アングロ・サクソン(Anglo-Saxons)まで遡り、中世には、商業都市として発展しており、800年以上に及び歴史を有している。


ストラトフォード=アポン=エイヴォンの「ストラトフォード」は、「street(ローマ街道のこと)」を意味する古英語の「straet」と「川(エイヴォン川のこと)」を意味する「ford」の組み合わせに由来している。


英国の俳優 / 劇作家 / 劇場支配人であるデイヴィッド・ギャリック(David Garrick:1717年ー1779年)が、1769年9月6日から8日までの3日間にわたって、「シェイクスピア記念祭(Shakespeare Jubilee)」を盛大に行い、多くの観光客を呼んだ。こうして、ストラトフォード=アポン=エイヴォンは、地元出身の有名人であるウィリアム・シェイクスピアを使って、観光業に力を入れていく。


ウィリアム・シェイクスピアが1564年4月26日に洗礼式を受けた
ホーリートリニティー教会

<筆者が撮影>

中世テューダー朝(Tudor dynasty)様式の木骨組み、所謂、ハーフティンバー様式(half timbering)の建物が多く軒を連ねるストラトフォード=アポン=エイヴォンには、


(1)ロイヤル シェイクスピア劇場(Royal Shakespeare Theatre):ロイヤル シェイクスピア カンパニー(Royal Shakespeare Company)の劇場。


(2)シェイクスピアの生家(Shakespeare’s Birthplace):ウィリアム・シェイクスピアが1564年に生まれ、幼少期を過ごした場所と言われている。


(3)ホーリートリニティー教会(Holly Trinity Church):ウィリアム・シェイクスピアが1564年4月26日に洗礼式を受けた教会。


(4)ニュープレイス(New Place):ウィリアム・シェイクスピアの最後の居住地で、1616年4月23日に、52歳で亡くなった場所。現在、家屋は残っておらず、跡地があるのみ。


(5)ナッシュの家(Nash’s House):ウィリアム・シェイクスピアの最後の居住地の隣りに建つ家屋で、現在、博物館に改装されている。なお、家屋の持ち主であったトマス・ナッシュ(Thomas Nash)は、ウィリアム・シェイクスピアの孫娘エリザベスの最初の夫である。


等、ウィリアム・シェイクスピア所縁の建物が保存の上、一般に公開されている。


ストラトフォード=アポン=エイヴォン内を流れるエイヴォン川
<筆者が撮影>

また、ストラトフォード=アポン=エイヴォン近郊の村であるショッタリー(Shottery)には、(7)アン・ハサウェイのコテージ(Anne Hathaway’s Cottage)がある。

アン・ハサウェイ(Anne Hathway:1555年 / 1556年ー1623年)は、ウィリアム・シェイクスピアの妻で、彼女が幼少期に住んでいた可能性がある農家である。


2023年8月25日金曜日

アガサ・クリスティー作「オリエント急行の殺人」<小説版>(Murder on the Orient Express by Agatha Christie )- その1

2013年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「オリエント急行の殺人」
(ペーパーバック版)の表紙
(Cover design by Claire Ward / HarperCollinsPublishers Ltd.
Background illustration and silhouette Shutterstock.com)


今回は、「アガサ・クリスティーの世界<ジグソーパズル>(The World of Agatha Christie <Jigsaw Puzzle>)- その26(→ 2023年7月21日付ブログで紹介済)」において言及した「オリエント急行の殺人(Murder on the Orient Express)」について、紹介致したい。


「オリエント急行の殺人」は、アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)が1934年に発表した作品で、アガサ・クリスティーが執筆した長編としては、第14作目に該り、エルキュール・ポワロシリーズの長編のうち、第8作目に該っている。


アガサ・クリスティーは、1920年の推理作家デビュー以降、長編5作と短編集1作を既に発表していたが、推理作家としての彼女の知名度は、今ひとつだった。しかしながら、1926年に発表した長編第6作目「アクロイド殺し(The Murder of Roger Ackroyd → 2022年11月7日付ブログで紹介済)」のフェア・アンフェア論争により、アガサ・クリスティーの知名度は大きく高まり、ベストセラー作家の仲間入りを果たした。


一方で、同年、アガサ・クリスティーは、最愛の母親を亡くしたことに加えて、夫であるアーチボルド・クリスティー(Archibald Christie:1889年ー1962年)に、別に恋人が居ることが判明して、精神的に不安定な状態にあった。


当時、ロンドン近郊の田園都市であるサニングデール(Sunningdale)の自宅スタイルズ荘(Styles - 「茶色の服の男(The Man in the Brown Suit → グラフィックノベル版については、2021年1月18日付ブログで紹介済)」(1924年)の出版により得たまとまった収入で購入し、処女作に因んで命名)に住んでいたアガサ・クリスティーは、同年(1926年)12月3日、住み込みのメイドに対して、行き先を告げず、「外出する。」と伝えると、当時珍しかった自動車を自分で運転して、自宅を出たまま、行方不明となってしまう。

「アクロイド殺し」がベストセラー化したことにより、有名人となった彼女の失踪事件は、世間の興味を非常に掻き立てた。警察は、彼女の行方を探すとともに、彼女が事件に巻き込まれた可能性も視野に入れて、捜査を進め、夫のアーチボルドも疑われることになった。マスコミは格好のネタに飛び付き、シャーロック・ホームズシリーズの作者であるサー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(Sir Arthur Ignatius Conan Doyle:1859年-193年)やピーター・デス・ブリードン・ウィムジイ卿(Lord Peter Death Bredon Wimsey)シリーズの作者であるドロシー・L・セイヤーズ(Dorothy Leigh Sayers:1893年ー1957年)等が、マスコミから求められて、コメントを出している。

11日後、彼女は、保養地(Harrogate)のホテル(The Swan Hydropathic Hotel)に別人(夫アーチボルドの愛人であるナンシー・ニール(Nancy Neele)と同じ姓のテレサ・ニール(Teresa Neele))の名義で宿泊していたことが判り、保護された。


上記の通り、1926年に、アガサ・クリスティーは、キャリア面において、ベストセラー作家の仲間入りを果たすとともに、プライベート面においても、失踪事件を起こして、世間からの脚光を浴びてしまう。

上記の失踪事件を経て、1928年に、アガサ・クリスティーは、夫のアーチボルドと離婚することになる。


2016年9月15日に、英国のロイヤルメール(Royal Mail)から発行された

アガサ・クリスティーの没後40周年の記念切手の一つである「オリエント急行の殺人」は、

米国人の実業家であるサミュエル・エドワード・ラチェットが殺害された深夜、

オリエント急行列車の廊下を外側から見た場面が描かれている。

画面左手には、フランス人で、車掌のピエール・ポール・ミシェルが立っており、

画面中央には、エルキュール・ポワロの部屋を突然ノックして、

彼の安眠を妨害し、立ち去って行く赤い着物を羽織った女性が描かれている。

そして、積雪による吹き溜まりの中に立ち往生したオリエント急行の煙突から立ち上った煙は、

帽子をかぶったポワロの形となって、ラチェットの殺害現場を見ているのである。

三日月が、ポワロの眼に該っている。

更に、画面の一番下には、ラチェットを殺害したと思われる

容疑者13名(12名の乗客と車掌)の名前が列挙されている。


同年の秋、ディナーパーティーにおいて、他の出席者から勧められたオリエント急行に乗って、アガサ・クリスティーは、中東旅行へと出発して、トリエステ(Trieste)、ベオグラード(Belgrade)、イスタンブール(Istanbul)、アレッポ(Aleppo)、ダマスカス(Damascus)、そして、バグダッド(Baghdad)まで足を伸ばした。その後、メソポタミア文明の首都と見做されていたウル(Ur)の発掘現場(1925年-1931年)も訪問して、考古学者のレオナード・ウーリー(Leonard Woolley)夫妻と知り合う。

この時の経験が、後に「オリエント急行の殺人(Murder on the Orient Express)」(1934年)に結実するのである。 


中東や考古学等に興味を抱いたアガサ・クリスティーは、翌年の1930年に、再度、中東旅行に出かけ、ウルの発掘現場において、レオナード・ウーリーの弟子として働いていた考古学者で、14歳年下のマックス・エドガー・ルシアン・マローワン(Max Edgar Lucien Mallowan:1904年ー1978年)と出会い、彼からプロポーズを受け、同年の9月11日に再婚する。


2023年8月24日木曜日

ウォーリック州(Warwickshire) ストラトフォード=アポン=エイヴォン(Stratford-upon-Avon)- その1

筆者が所有している JTB 発行の
「るるぶ情報版 海外シリーズ34 イギリス」から抜粋

 
アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)作「死者のあやまち(Dead Man’s Folly → 2023年8月18日 / 8月22日付ブログで紹介済)」(1956年)のストーリーは、次のようにして始まる。


ある日、ロンドン市内にあるエルキュール・ポワロのオフィスにおいて、電話が鳴り、ポワロの秘書であるミス・レモン(Miss Lemon)が、受話器をとる。ポワロに電話をかけてきたのは、人気推理作家で、昔なじみのアリアドニ・オリヴァー夫人(Mrs. Ariadne Oliver)であった。電話はデヴォン州(Devon)からで、オリヴァー夫人は、ポワロに対して、「直ぐこちらに来てほしい。」と頼み込む。そこで、ポワロは、早速、ロンドン発の列車でデヴォン州へと向かう。


ナスコム駅(Nassecombe Station)からオリヴァー夫人が滞在しているナス屋敷(Nasse House)へ迎えの車で向かう途中、ポワロは、外国人旅行者の女性二人(オランダ人とイタリア人)を車に乗せて、近くのユースホステルまで送ってあげる。この辺り一帯は、外国人ハイカー達に人気の場所であった。

その際、オランダ人の女性旅行者は、ポワロに対して、’I to England come for two week holiday. I come from Holland. I like England very much. I have been Stratford Avon, Shakespeare Theatre and Warwick Castle. …’ と話した。


オランダ人の女性旅行者が訪れたストラトフォード=アポン=エイヴォン(Stratford-upon-Avon)は、イングランド中部のウォーリック州(Warwickshire)内にあるエイヴォン川(River Avon)に面した町で、イングランドの劇作家 / 詩人であるウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare:1564年ー1616年 → 2023年5月19日付ブログで紹介済)の故郷として、世界的に有名で、毎年、数多くの観光客が訪れている。


地下鉄チャリングクロス駅(Charing Cross Tube Station)の
ベーカルーライン(Bakerloo Line)のプラットフォームにあるウィリアム・シェイクスピアの壁画 -
駅の頭上に、ナショナルポートレートギャラリー(Naional Potrait Gallery)が建っている関係上、
肖像画をテーマにした壁画が数多く描かれている。


ウィリアム・シェイクスピアは、ジョン・シェイクスピア(John Shakespeare)とメアリー・アーデン(Mary Arden:1537年ー1608年)の下、ストラトフォード=アポン=エイヴォンに出生。

ウィリアム・シェイクスピアの正確な誕生日は、不明であるが、1564年4月26日に洗礼式を受けたことが記録されている。当時、出生証明書は発行されなかったので、これが、ウィリアム・シェイクスピアにかかる最古の公的な記録に該る。洗礼式は、生誕後3日以内に行われるが、当時の通例であったことから、ウィリアム・シェイクスピアの誕生日は、これまで、伝統的に、「1564年4月23日」と見做されてきた。


ナショナルポートレートギャラリー
(National Portrait Gallery)で販売されている
ウィリアム・シェイクスピアの肖像画の葉書
(Associated with John Taylor
 / 1610年頃 / Oil on panel
552 mm x 438 mm)


父親のジョン・シェイクスピアは、成功した皮手袋商人で、町長にも選ばれたことがある市会議員でもあった。また、母親のメアリー・アーデンは、名門一族の出身であったため、ウィリアム・シェイクスピアは、非常に裕福な家庭環境の中で育った。

1582年11月29日、ウィリアム・シェイクスピア(当時:18歳)は、26歳のアン・ハサウェイ(Anne Hathway:1555年 / 1556年ー1623年)と結婚。


ウィリアム・シェイクスピアは、1585年前後にストラトフォード=アポン=エイヴォンを離れ、ロンドンへ出て来ると、1592年から新進の劇作家としての活動を開始したのである。

1613年頃に引退するまでの約20年間に、ウィリアム・シェイクスピアは、四大悲劇と呼ばれている


(1)「ハムレット(Hamlet)」(1600年ー1601年)

(2)「オセロー(Othello → 2023年6月3日付ブログで紹介済)」(1603年ー1604年)

(3)「リア王(King Lear → 2023年7月19日付ブログで紹介済)」(1605年-1606年)

(4)「マクベス(Macbeth → 2023年7月30日付ブログで紹介済)」(1606年)


を初めとして、史劇、悲劇や喜劇の傑作を多く残した。


ウィリアム・シェイクスピアは、1613年頃に、劇作家から引退して、故郷であるストラトフォード=アポン=エイヴォンへと戻ったものと考えられている。

そして、彼は、1616年4月23日に、52歳で亡くなった。なお、死因は、腐ったニシンから伝線した感染症であるとされている。

なお、ウィリアム・シェイクスピアの誕生日が本当に4月23日であるとすると、彼の命日は、誕生日と同じ日であることになる。


2023年8月23日水曜日

テリー・プラチェット作「ディスクワールド」シリーズ40周年記念切手(40th Anniversary of Terry Pratchett’s Discworld)- その1

テリー・プラチェット作「ディスクワールド」シリーズ40周年記念切手(その1)
(Illustration : Paul Kidby) -
リンスウィンド(Rincewind)は、テリー・プラチェットによるディスクワールドシリーズに登場する人物。
彼は、アンク=モルポーク(Ankh-Morpork)にある
魔法使いのための「見えない大学(Unseen University)」の落第生で、
「数字のゼロに等しい魔法(the magical equivalent to the number zero)」と呼ばれている。
リンスウィンドは、彼の命を付け狙う人達から、常に逃げ回っている。
何故ならば、彼は、小さな問題を解決しようとして、
逆に、とんでもない大問題へと発展させるからである。
リンスウィンドは、第1作目「The Colour of Magic」(1983年)、
第2作目「The Light Fantastic」(1986年)、
第5作目「Sourcery」(1988年)、第9作目「Eric」(1990年)、
第17作目「Interesting Times」(1994年)、
第22作目「The Last Continent」(1998年)、および、
第27作目「The Last Hero」(2001年)において、主人公を務めている。


英国の SF 作家 / ファンタジー作家であるテリー・プラチェット(Terry Pratchett:1948年ー2015年)が1983年に「ディスクワールド(Discworld)」シリーズの第1作目となる「ディスクワールド騒動記(The Colour of Magic)」を発表しているが、その40周年に伴い、本年8月10日に、英国のロイヤルメール(Royal Mail)から、8種類の記念切手が発行されたので、4回に分けて御紹介したい。


テリー・プラチェットの本名は、テレンス・デイヴィッド・ジョン・プラチェット(Terence David John Pratchett)で、1948年4月28日に、バッキンガムシャー州(Buckinghamshire)のビーコンズフィールド(Beaconsfield)に出生。


テリー・プラチェットは、1983年にユーモアファンタジー小説の「ディスクワールド騒動記」を発表して、作家デビュー。当該デビュー作がヒットしたため、作家として独立。以降、亡くなる2015年まで、41作の「ディスクワールド」シリーズ作品を発表し、英国において、ほぼ全ての作品がベストセラー入りをしており、彼の代表作となっている。


テリー・プラチェット作「ディスクワールド」シリーズ40周年記念切手(その2)
(Illustration : Paul Kidby) -
モイスト・フォン・リップウィッグ(Moist von Lipwig)も、
テリー・プラチェットによるディスクワールドシリーズに登場する人物。
彼は、「改心した詐欺師(reformed con-man)」で、
第33作目「Going Postal」(2004年)、第36作目「Making Money」(2007年)、
および、第40作目「Raising Steam」(2013年)において、主人公を務めている。


テリー・プラチェットは、1998年に、「文学に対する貢献」を評価されて、OBE(Order of the British Empire:大英帝国勲章)に叙された後、2008年には、「ナイトバチェラー(Knight Bachelor)」に叙せられている。


テリー・プラチェットは、2007年12月に、若年性アルツハイマー病を発症していることを公表。その後も、ほぼ毎年、「ディスクワールド」シリーズ作品を発表したが、2015年3月12日に、アルツハイマーのため、亡くなった。享年66歳で、67歳まで、あと1ヶ月強だった。


2023年8月22日火曜日

アガサ・クリスティー作「死者のあやまち」<小説版(愛蔵版)>(Dead Man’s Folly by Agatha Christie )- その2

2023年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「死者のあやまち」の
愛蔵版(ハードカバー版)の裏表紙
(Cover design by HarperCollinsPublishers Ltd. /
Cover illustration by Becky Bettesworth) -
アガサ・クリスティーの夏期の住まいである
デヴォン州のグリーンウェイが、ナス屋敷として描かれている。
また、物語の終盤に、エルキュール・ポワロが、
フォリアット夫人に対して語ったセリフが、刻印されている。


アガサ・メアリー・クラリッサ・クリスティー(Agatha Mary Clarissa Christie:1890年ー1976年)作「死者のあやまち(Dead Man’s Folly)」(1956年)のストーリーは、以下の通り。


ある日、ロンドン市内にあるエルキュール・ポワロのオフィスにおいて、電話が鳴り、ポワロの秘書であるミス・レモン(Miss Lemon)が、受話器をとる。ポワロに電話をかけてきたのは、人気推理作家で、昔なじみのアリアドニ・オリヴァー夫人(Mrs. Ariadne Oliver)であった。電話はデヴォン州(Devon)からで、オリヴァー夫人は、ポワロに対して、「直ぐこちらに来てほしい。」と頼み込む。そこで、ポワロは、早速、ロンドン発の列車でデヴォン州へと向かう。


ナスコム駅(Nassecombe Station)からオリヴァー夫人が滞在しているナス屋敷(Nasse House)へ迎えの車で向かう途中、ポワロは、外国人旅行者の女性二人(オランダ人とイタリア人)を車に乗せて、近くのユースホステルまで送ってあげる。この辺り一帯は、外国人ハイカー達に人気の場所で、後でも、彼女達はナス屋敷の地所を勝手に横切ろうとして、ナス屋敷の主であるサー・ジョージ・スタッブス(Sir George Stubbs)から厳重な注意を受けている。


ナス屋敷に到着したポワロに対して、オリヴァー夫人は、次のように説明する。ナス屋敷で催される慈善パーティーのために、(殺人)犯人探しゲーム(Murder Hunt)の段取りをしているところだが、このゲーム自体に何かおかしな点があるものの、それが何なのか、よく判らない。オリヴァー夫人は、そんな不安を口にする。彼女としては、それをポワロに明らかにしてほしいと頼むのであった。


2023年に英国の HarperCollinsPublishers 社から出版された
アガサ・クリスティー作「死者のあやまち」の
愛蔵版(ハードカバー版)の扉絵 -
アガサ・クリスティーの夏期の住まいである
デヴォン州のグリーンウェイが、ナス屋敷として描かれている。

ナス屋敷では、次の人達が慈善パーティーの準備をしていた。

(1)サー・ジョージ・スタッブス:ナス屋敷の主

(2)レデイー・スタッブス ハティー(Lady Stubbs, Hattie Stubbs):サー・ジョージ・スタッブスの年若い妻

(3)アマンダ・ブレウィス(Amanda Brewis):サー・ジョージ・スタッブスの秘書

(4)マイケル・ウェイマン(Michael Weyman):サー・ジョージ・スタッブスに雇われて、ナス屋敷の改装を行っている建築家

(5)原子科学者のアレック・レッグ(Alec Legge):原子科学者 / サリー・レッグ(Sally Legge):アレック・レッグの妻

→「エルキュール・ポワロとグリーンショア屋敷の阿房宮(Hercule Poirot and the Greenshore Folly → 2014年9月27日付ブログで紹介済)」の場合、近所のコテージに住むアレックとペギーのレッグ若夫婦(Alec Legge + Peggy Legge)となっている。

(6)マスタートン夫人(Mrs. Masterton):慈善パーティー全体のとりまとめ役

(7)ワーバートン大尉(Captain Warburton):マスタートン夫人の手助けをしている人物

→「エルキュール・ポワロとグリーンショア屋敷の阿房宮」の場合、ワーボロー大尉(Captain Warborough)となっている。

(8)フォリアット夫人(Mrs. Folliat):ハティー・スタッブスの庇護者で、ナス屋敷の前の持ち主でもある。フォリアット家は1598年から何代にもわたってこの地所を所有していたが、第二次世界大戦前に、彼女の夫が亡くなってしまった。また、彼女の長男であるヘンリー・フォリアット(Henry Folliat)は海軍で出征した後、乗っていた艦が沈められ、彼女の次男であるジェイムズ・フォリアット(James Folliat)は陸軍に入隊したが、イタリアで戦死したようである。財政上の窮地に陥ったフォリアット夫人は、サー・ジョージ・スタッブスに対して、屋敷を売却し、その代わりに、園丁が住んでいたコテージを貸し与えられて住んでいる。


オリヴァー夫人によると、犯人探しゲームのアイデアを出したのはマスタートン夫人だが、何か腑に落ちないところがあるという言う。ある誰かが何らかの意図をもって、他の人達の背後で彼らを操りながら、何かを計画しているような気がしてならない、と...


犯人探しゲームの被害者は、原子科学者の先妻のユーゴスラビア人女性で、ボート小屋で殺される筋書きになっていた。当初、サリー・レッグが被害者役を務める筈だったが、慈善パーティーで占い師の役を担当することになり、この村に住む少女マーリン・タッカー(Marlene Tucker)が被害者役を代わった。パーティー当日、ポワロとオリヴァー夫人がボート小屋へ様子を見に行くと、マーリンはスカーフで本当に絞殺されていたのであった!


一方、慈善パーティー会場に、(9)ハティーの従兄弟と称するエティエンヌ・ド・スーザ(Etienne da Sousa→「エルキュール・ポワロとグリーンショア屋敷の阿房宮」の場合、ポール・ロペス(Paul Lopez)となっている)が姿を現す。西インド諸島から到着したばかりで、ダートマス(Dartmouth)にヨットを係留し、ダート河をボートで上がって、屋敷にやって来たのである。ハティー・スタッブスに久しぶりに会いたいと言う。ところが、従兄弟を忌み嫌うハティー・スタッブスは、エティエンヌ・ド・スーザの到着前に姿を消してしまい、その後、その行方が杳として知れない。


その後、また一人犠牲者が出る。この村に住むマーデル老人(Old Merdel)で、ある晩、乗っていた船から船着場に飛び移ろうとして、ダート河に落ちて溺死したのである。彼は、絞殺された少女の祖父だったことが判明する。警察当局は老人の死を事故死として処理しようとするが、ポワロは、以前マーデル老人に会った際、彼が発した思わせ振りな言葉が非常に気になった。「フォリアット家が、ナス屋敷からは離れることはない。('Always be Folliats at Nasse.')」と...


果たして、マーデル老人の溺死は事故死なのか?彼女の孫であるマーリン・タッカーを殺害したのは誰なのか?そして、その理由は?更に、ハティー・スタッブスは何処に行ってしまったのか?